芸術の商業主義への転換に対する痛快な皮肉。
なんでもマーケの要素にする村上隆とかそうだよね。
才能がなく、中身のないパクリ作品の量産であっても、商才と声の大きさがあれば、商業的には成功してしまう、そんな現実を見せてくれます。
作中のブレインウォッシュことティエッタみたいに才能への憧れの強い無能ほど、それを認識したくなくて、無能を覆い隠す商業主義に走るんでしょう。
鑑賞する者についても同じで、自分の中の感覚に自信がないものだから、取り敢えず賞賛して、商業主義の一員と化すのでしょう。
ただ、これだけ作品があふれた世界の中で独創性とかってあるのか、とも思えるし、美しさに欠ける無理矢理の独自性をよく分からんまま褒め称えるのもどうかと思うわけです。
気負わずに美しいと思うものが美しく、それ以上の何物でもないと、それがコピーであっても。
コピーの上に名前を書くから、それが記号化し、作品外の価値を持ち込み、マーケの奴隷と化す。
恐らくバンクシーという人は頭が良く、極めて批評的な作品に仕上がっており、オススメです。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2014年7月6日
- 読了日 : 2014年7月6日
- 本棚登録日 : 2014年7月6日
みんなの感想をみる