笑う禅僧─ 「公案」と悟り (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2010年11月18日発売)
3.33
  • (3)
  • (3)
  • (10)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 53
感想 : 9
5

評価あんまりよくないけど・・・これ面白かったよ!!
禅という、アブナくて変テコで、それでいてヤクザな(いや、ほんとに)宗教を、よくぞここまでわかりやすくしかもそのややこしさを損なわずに書いたなーと、とても感心した。

禅の本質ってなんぞや。これは究極の問いである。
What is zen?
わからない。というか、わかる人なんているのだろうか。もしいるとしたら、それはきっと「悟った」人であろう。で、もしそんな「悟った」人がいるとしたら、それは凡人から見ればかなりの確率で「イッちゃって」いる人だろう。
つまりは、日常からの超越である。その人の規範は、きっと日常から超越してしまっているのではないかと思う。

禅は厳しい宗教である。これは間違いない。
禅とは「自力」の宗教である。神も、経典も、信心も、禅は与えてくれないし、なんら教えてくれない。
ひたすらに「悟り」を求めるのに、その「悟り」の境地を図るものさしが一切ない。
だから己のみがある。しかしその「己」に執着してもいけない。では「無」というのがその境地かと言えば、これまた違うようである。

なんだ?
悟りってなんなんだ?
自分が全てなら、ものさしがないのなら、私は今のままでも十分悟ってるのと、どう違うの?

作中で司馬遼太郎の言葉が引用されていたのだが、その言葉が印象的だった。
「禅宗というものは、難しい。禅宗はやったほうが悪くなってしまう感じがする。1万人に1人だけが悟りの境地に行けるけれども、9千999人はやらない前より悪くなるのではないか」
ああ、わかる、と思った。司馬さんがそう言いたくなる気持ちが。
禅は突き詰めていけば、主観の肯定というところに触れざるをえないのではないか。そう言えば聞こえはいいが、それはつまり、社会のものさしの否定へと、簡単に繋がりかねないのでは?

だからこそ、禅は厳しくなったのだろうな、とも思う。あまりに自由すぎるから。だから、戒律や規範で常に自身を戒める必要があったのだろう。
自由すぎるからこそ、自分でしかその境地を計れないからこそ、禅は厳しくなった。そうでなければならなかったのだろう。
だから、禅宗のお坊さんはこっちが引くぐらい自分に厳しいのだと思う。禅の有名(?)なお坊さんに、イッちゃってるという人が多いのもそのせいだろうなー、と思った。

文章自体もとてもうまいし、エピソードの出し方もとても理にかなっていて、読みやすさと内容とのバランスも大変よかったと思う。
でも、この帯はやめたほうがいいと思うよ(笑)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 一年かけて一つのことを考える(卒論)
感想投稿日 : 2012年3月3日
読了日 : 2012年3月3日
本棚登録日 : 2012年3月3日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする