日本語とハングル (文春新書)

著者 :
  • 文藝春秋 (2014年4月21日発売)
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感想 : 12
4

あらかじめ断っておきますが、当今流行の「嫌韓本」の類ではありません。
そんな本には1ミリも興味がありませんので。
ある種の人たちには溜飲が下がるらしいですが、他国を貶めて自国がいかに優れているかを強調するのって、少なくとも「美しい日本」の国の人たちがすることではないと個人的には考えています。
ヘイトスピーチやレイシズムなんて言語道断です。
本書はハングルから日本語を照らすことで、日本語の特異性を際立たせようという大胆な試みに挑んだ本。
いや、文句なしに面白かったです。
たとえば、音節の区切り。
「あめが」
「アメガ」
は仮名が文字のうえで3つの塊に分かれていて、形の上で音節の区切りが分かります。
ローマ字だとどうでしょう。
「amega」

「a me ga」
とか
「a-me-ga」
のように空白やハイフンを入れないと音節の区切りは分かりません。
ハングルはちょっと表記が難しいですが
「□」が「m」で、「ト」が「a」。
「□ト □ト」で「ma-ma」
となります。
音節の区切りがはっきり見える上に、何と文字という形から言語音が透けて見える、つまり音が可視化されているんですね。
□□□
<その文字は音節構造が見えるのか>などという問いは、ローマ字だけ見ても、仮名だけ見ても、漢字だけ見ても、そしてそれら三つを併せて見ても、立て得ない問いなのです。だから<ハングルから日本語>、なのです。(P61~62、「だから」から「日本語」までは傍点が打ってある)
□□□
どうですか、面白くて興奮しませんか?
紹介するとキリがないですが、ハングルとの比較を通して日本語の言語としての圧倒的なパフォーマンスも浮き彫りにされています。
著者はこう述べます。
□□□
多様な文字を自らのエクリチュールの血脈に取り込み、宿し、多彩なエクリチュールを育てゆく日本語の<書かれたことば>の世界。日本語は文字についての考え得る、ほとんど限界に近いパフォーマンスを発揮しているといっても過言ではありません。(P38、文章の冒頭から「発揮している」まではゴシック体で表記)
□□□
ハングルという文字から日本語を照らす、という本筋からはややずれるかもしれませんが、「話されたことば」の文法論の話が特に面白かった。
「書かれたことば」の文法論は世に数多あり、「話されたことば」についても日常の中で観察して考えた文法論は存在します。
ただ、「話されたことば」を厳密にデータ化し、これを踏まえて考察した文法論はこれまでほとんどありませんでした。
こうした困難な試みに挑んだ研究をまとめたのが、金珍娥(2013)「談話論と文法論―日本語と韓国語を照らす」(くろしお出版)です。
日本語の東京ことばの話し手40組、80人、韓国語のソウルことばの話し手40組、80人、異なり人数計160人の自由会話を録画録音して分析しています。
それによると、日本語の総文数は9070文、韓国語の総文数は7103文。
同じ時間なのに韓国語より日本語の方が多い。
理由は
「日本語は韓国語より<発話の重なり>が多い」
からだそう。
日本語では何と、半分ほどの発話が、相手との重なりを示しているというのです。
一方、韓国語は2割ほどです。
同書は会話スタイルの特徴について「日本語は共存型、韓国語は独立型」と結論しています。
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要するに日本語は相手と共に話しながら、発話帯を一緒にオンにして会話を楽しみ、韓国語は相手の話に傾聴しながら、発話帯が重ならないようオン、オフに配慮しながら会話を楽しむというわけです。(P223、「日本語は」から「会話を楽しむ」までは傍点が打ってある)
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このレビューでも時々言及していますが、「話されたことば」と「書かれたことば」という言語の存在様式と、「話しことば」と「書きことば」という表現・文体の区別という、大切なことも学ぶことが出来ました。
興味のある方はどうぞ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2014年6月21日
読了日 : 2014年6月21日
本棚登録日 : 2014年6月21日

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