国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

  • 早川書房 (2013年6月21日発売)
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豊かな国もあれば貧しい国もある理由
地理や文化ではなく、制度や政治の問題。
貧困国の経済的障害は、政治権力が限られたエリートによって行使され、独占されているという事態から生じている。

世界の2つの政治制度
包括的─自由民主政─自由市場の好循環
収奪的─権威主義的独裁─奴隷性や計画経済の悪循環

前者こそが持続的な成長が可能となる。
では、中国のような中央集権的市場経済が発展を続けるのか?→続けない。彼らは後発性の利益をたまたま得ただけであり、そうした社会は、創造的破壊を伴う技術革新への許容度が低い。
つまり、政治体制を支配するエリート層が、社会的基盤を揺るがされることを許さない。
権力を握り独裁を敷いていても、自国を自由経済に置き換え、繁栄すれば、結果的により多くの金が自分のものになるのでは?→ノー。自由民主主義に必要な異なる制度は、誰か権力を握るかについて異なる結果を生む。自由民主主義と自由経済における創造的破壊は、既存の利益者を壊すことになるのだ。

包括的政治制度とは、そこにいる権力が、ある特定の個人や社会集団の財産になっていないような仕組み。権力者はあくまで権力機関の役割の担い手に過ぎない。
収奪的政治制度とは、権力者=権力機関であり、権力機関が丸ごと権力者の財産である。

そうした収奪機関は、他者やライバルを蹴落とすため、自分の私服を肥やすために課税を行う。これを止めるには、単なる頭の挿げ替え(あとに座るのも既得権益にまみれた人物)だけでなく、非エリート中間層、民衆の連帯と多元的で広範な連携を軸とした民主的なトップの交代が必要。
自由な市場経済が創造的破壊によって経済的強者の交代を生むのに対し、自由民主主義も、既存の政治的リーダーの交代を生む。

現在のアフリカは、天然資源ブームにより経済発展を遂げているが、そこは政治権力が安定化されているとは言い難いかもしれない。しかし、長期的には持続可能性にないとはいえ、短期的な経済の発展は、人々を貧困からすくい上げ、安定の土台を構築することに貢献する。

16~17世紀、スペイン人は南米において奴隷と金銀の接収で巨万の富を得たが、イギリス人は北米大陸で同じことができなかった。北米大陸には金が無く、先住民も労働力を提供しなかったのだ。
その結果、「入植者が働きたくなるインセンティブを与えなければ駄目だ」と言うことに気づき、北米大陸の植民地が自前で議会と法を持ち始める。先住民の搾取と独占を社会の土台としたメキシコと、発展具合は大違いだった。

経済制度は経済的インセンティブを形作る。知識を身に着け、貯蓄して投資し、イノヴェーションを起こして新しいテクノロジーを取り入れる。人々がどんな経済制度の下で生きるかを決めるのが政治的プロセスであり、政治権力が社会の中でどう分配されるのかを決める。

貧しい国が貧しいのは、権力者が貧困を生み出す選択をするからで、これは誤解や無知のせいではなく、故意である。貧しい国の生活水準が低い原因は、親が子に教育を受けさせるインセンティブを生み出せない経済制度であり、そうした親子や学校の希望をサポートできない政治制度である。ある程度の政治の中央集権化が進み、かつ権力者が権力を掌握してないとき、成長が生まれる。

18世紀のイングランドには市場経済が生まれ、イングランドは植民地を多く獲得したが、それらにイングランドの制度が導入されることは少なかった。
世界の様々な地域ごとにすでに存在した制度は、小さな相違から始まり、時としてイングランド流の受け入れに適さないまでに増幅していた。悪循環と好循環は現在まで持続する傾向があるのだ。

収奪的経済の元でも、経済成長が生まれることがある。例えばソ連のように、生産性の高い重工業に強制的に人を配置する方法などだ。
しかし、技術的発展は長くは続かない。それは、経済的インセンティヴの欠如とエリートによる抵抗である。

ローマ共和国からローマ帝国時代に変わり、経済形態が収奪的になった。技術革新が起きなかった重要な理由として、奴隷制の普及が挙げられる。奴隷をあくせく働かせておけば富が得られるし、そこから発展するイノベーションは少ない。これは奴隷制に共通する特徴だ。

西ローマ帝国が崩壊後、抑圧された労働者に依存する封建的な諸制度が生み出され、これが中世ヨーロッパの長期に渡る収奪的でゆっくりした成長の土台を形成した。
また、名誉革命が、イングランドの政治制度を変化させて多元化し、包括的経済制度の基盤を築き始めた。
名誉革命が所有権を強化・正当化し、金融市場を改善し、海外貿易での国家承認専売制度を弱め、産業を拡大させた。
これは政治的制度において、幅広い連合が、議会に多元性をもたらし、あらゆるメンバーの権力を抑制した。議員でない人や選挙権さえ持たない人の請願にも、議員が耳を傾けるようになった。
権力がゆっくりと少しずつ、エリートから市民へと移行していったのだ。
さらに、アメリカ大陸の発見が決定的な岐路となる。
アメリカ大陸に先乗りしていたスペインと違い、植民地との貿易を商人にまで開いた(国が独占しなかった)ことが、イングランドの経済的活力の礎となった。

歴史的要素が制度の発展の道筋を形成するとはいえ、累積的なものではない。
それらは既存の諸制度から簡単に逆転するものであり、そうした要素が歴史の決定的な浮動点となりうることもある。

政治的エリートが、創造的破壊への恐れが主な原因となって、人間の生活水準に持続的な向上がなされない場合がある。

産業の普及を妨げるのは、絶対主義か、政治的な中央集権制(規則や財産権を制定できる機関)がないことであり、これら二つは繋がっている。

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感想投稿日 : 2020年7月2日
読了日 : 2020年7月2日
本棚登録日 : 2020年7月2日

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