ここから始める政治理論 (有斐閣ストゥディア)

  • 有斐閣 (2017年4月14日発売)
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政治理論とは、政治学における、現実に生じた政治現象を研究する経験的分析とは別の、規範的な問題を考える下位分野であり、政治理論においては、
①あるべき社会・政治について考えること(規範的政治哲学)
②政治とは何かについて考えること(政治の政治理論)
の2つがあるが、この二つはしばしば切り離すことができず、両者について考えることも政治理論の課題になる。

ミルによれば、政府が市民的自由を制約してよい場合は、それが他人に危害を加える場合のみ。
政府の徹底的な中立を要求する「リバタリアン」、自立といった個人的価値に関して政府が介入することを認める(選択の自由に介入するのは認めない)「完成主義的リベラル」、選択される対象の価値にまで踏み込み、善い生き方を説く「コミュニタリアン」などがある。

ロールズの格差原理→持てるものから持たざる者への再分配を支持するが、その理由は「功績」(各人が受け取る取り分は、家柄、才能など、本人の選択の結果ではない)と、「正統な予期」(社会においては、人は孤立してはやっていけないため、自分は他者を前提に成り立っていると考えれば、持たざる者に再分配するべき)が挙げられる。

民主主義には多数決を中心としないものもあり、代表的なものは熟議民主主義と闘技民主主義
熟議:話し合いの中で各自の意見が変容することを重視するもので、理由の検討のプロセスである。しかし、合意志向(合意とはその外殻にある合意しえなかった部分を排除すること)への批判と、感情を無視することが批判される。
闘技:互いに経緯を払った対立・競争関係を重視、政治は敵対性のあるものだという認識。しかし、闘技の成立をどのように説明するかが難問。

私とは:抽象的個人観(個人が社会に先立っており、社会とは個人の集合体とする考え)、個性としての個人観(各自のアイデンティティを重視する考え)、規律化した個人観(個人は社会からの影響を受けて個性が形成されるという考え)

フェミニズムは、「わたし」と「政治」との関係について最も真剣に考えてきた思想の一つ。
近代の政治理論において、
国家=政治=公的領域であり、市場=経済=私的領域であった。しかし、ここに女性の存在は無く、女性は男性よりも劣った存在であり、家庭内にしか居場所がなかった。
それは、政治の場であれ経済の場であれ、女性が男性と対等に活動することを「不自然」とみなす考え方を生んだ。
また、フェミニズムは政治+経済=公的領域であり、家族=私的領域とし、女性が公的領域において適切に評価されることが難しいというフェミ流公私二元論を説いた。
さらにここから発展し「個人的なことは政治的である」という言葉が生まれる。これは、政治とは何かという政治の定義まで遡って考え直し、男女関係や家族の中にも政治を見出した。(何が公的で何が私的なのかは、そもそも自然ではなく、国家・政治によって公的に形成される家族や婚姻にかかわる法によって規定されている)

これに対する反応
①政治理論は「自由な個人」や「自律的な個人」を対象としているが、女性が権利的に十分な自由を保障されていないのであれば、想定すべき対象を代えたほうが良い
②家庭=政治=暴力=NOとするのではなく、政治が上手く行われていない状況を把握するべきである

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年6月7日
読了日 : 2020年2月21日
本棚登録日 : 2020年2月3日

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