男らしさの終焉

  • フィルムアート社 (2019年12月25日発売)
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【感想】
筆者のグレイソン・ペリーは、性別としては男性だが、トランスヴェスタイト(異性の服装をする人)であり、12歳の時から自らの男性性に疑問を抱いてきた。暴力的な父親のもとで育てられ、男性性の野蛮さを痛感してきた彼は、15歳になる頃には反男性プロパガンダに加わっていたという。

そうした複雑な境遇のもとで青春時代を送ってきた筆者が、「男性性は変わらなくてはならない」と提唱するのが本書、『男らしさの終焉』である。筆者は「男たちよ、自分の権利のために腰を下ろせ」と述べており、男らしさとその特権を放棄したほうが、男にとってもかえってメリットがあるのではないか、と指摘している。

例えば、男の子は女の子よりも「我慢強くあれ」「感情的になってはいけない」と教えられる。このカルチャーの中では、男の子の感情は女の子のより種類が少ないし、単純だと思われている。また、男の子は女の子より丈夫だし、細かいことは気にしないと信じられている。
だが当然、男の子だからといって苦難に耐えうる強さを必ず持つ理由はない。むしろ感情の起伏に対して抑圧的であることにより、弱音を吐き出すのを控えてしまい、孤立、不安、感情の麻痺といった心的ストレスを抱えてしまう。

筆者は「男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう」と提唱しており、同時に、男らしさから脱却することで、むしろ「弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられる」と述べている。社会のポジションの大部分が男性によって占められており、その結果競争的な構造が形成されているのであれば、男性の弱い部分を解放してあげることで、より思いやりの深い社会を築くことができる。全ては男性が変えはじめることであり、そして男性のためにもなることなのだ。
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以上が本書の一部まとめである。
本全体として、筆者は男性に結構厳しい目線を向けており、中には過激なだけで根拠に乏しい発言もある。「概して男性は女性と違って友情を保つのが下手だ」「男性がプラトニックで健全な関係の大切さに気づかないのは、そこにはセックスという原動力が関わっていないためである」という感じだ。筆者自身が、男性性としての生き方に悩みながらも、軍隊や競争といった男らしさにあこがれていたという複雑な事情を持っていたこともあり、男へのステレオタイプを強調する傾向にあるのが気になるところだ。
だが、筆者は決してミサンドリーではない。男性性のメリットを受け止めつつも、有害な特徴については改めていこうね、というスタンスを取っている。女性が読んでも男性が読んでも、あらたな価値観の構築に向けて何かしらのヒントをくれる一冊だった。

――男性性は、孤立している状態のことではない。幸福な未来にふさわしい男性性を構築できれば、武力に訴えることが減るし、弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられるようになる。
私たち男性は、自分の人生をかけても男性性は変えられないと思うのをやめよう。私はセラピーを受けたことで、物事に対する考え方は本質的なものであっても変えられることを学んだ。変化には、動機と教育と十分な時間が必要なだけなのだ。
男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう。何しろ彼らは女性と同じ脳をもっているのだ。問題は、現在の男性の性役割に締め付けが強いことだと思う。男性は常に、無意識的に監視してしまうのである。
健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても男らしさの基準に達していないという理由で責めるのをやめるべきだ。
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【まとめ】
1 「男らしさ」という性質にひそむ害
男らしさという悪党がもたらす問題は、今日の世界が直面しているもののなかでも最悪だ。ある種の男らしさは露骨にヒドイ場合、または密かに傲慢である場合は特に、自由で平等で寛容な社会にとって害になる。世界のあらゆる問題はY染色体をもった人々の振る舞いが原因であり、男性とは権力や金や銃や犯罪歴のある人間のことらしい。

大勢の人に女性的だと考えられている振る舞いを、男性もするようにしないといけない。つまり、思いやりがあり、人を幸せな気持ちにさせ、地球を救う振る舞いをである。

1976年、社会心理学者のロバート・ブラノンとデボラ・デイビッドは、男性の性役割に関する、すなわち伝統的な男性性に関する基本的な構成要素を四つにまとめた。
ひとつ目は「意気地なしはダメ」。二つ目は「大物感」。上に見られたいという欲求と、男性の成功とステータスを論じている。三つ目の「動じない強さ」では、とりわけ危機的状況における男性のたくましさと自信と自立心を説明している。四つ目の「ぶちのめせ」では、男性の振る舞いにおける暴力性、攻撃性、大胆さを論じている。


2 デフォルトマン
デフォルト(初期値)マンとは、白人・ミドルクラス・ヘテロセクシュアルの男たちのことだ。社会のあらゆるところに存在し、特にエリートクラスに多く存在する。デフォルトマンが成功するのは当たり前である。なぜなら我々の社会の大部分は彼のルールで動いているからだ。デフォルトマンの性、人種、階級が有利になるように、彼の世界観は政府やメディアやビジネスに組み込まれ、社会の基本構造にバイアスを与えているのだ。

デフォルトマンのアイデンティティという拘束服は、部族の全員が喜んで着ているかというとそうでもない。リーダーや、一家の大黒柱や、ステータスハンターや、性犯罪者や、尊敬を集める人物や、立派な業績の象徴。そうなっていることへの心地悪さにもだえている者は多い。
デフォルトマンの役目を終えることは部族のメンバーにとって良い面もあるだろう。常に責任を「立派に」背負っているストレスで爆発寸前になっている状態から抜け出したり、人々が平等でいるおかげでロクでもないことをせずに済む世界に暮らしたり、新しい膨大なワードローブから服を選んだり。他人に責任を取ってもらえるという後ろめたい喜びを味わうこともあるだろう。しかし本当の利益は、元デフォルトマンが目に見えるかたちで他人に配慮し、積極的に関与し、良い人間関係を築くことである。これは幸福なことだ。

現代の男性は常に危機にある。なぜなら、他人よりも上回っていたいという男性の衝動は、啓蒙主義以降の現代世界の中心的な概念、すなわち人間はみな平等であるという思想にそぐわないからだ。
このアイロニーは男性性が不安定になる状況をよく示している。平等と技術の進歩と人権に関する現代の取り組みは、昔から男性が肉体で行ってきた物理的な支配を狙い打ちにしている。人類がうまく生き抜くために必要だった脳には、だいぶ前にあるプロセス(現代性と民主主義)が設定されたが、それは古い男性性と合わないものなのかもしれない。


3 ジェンダーは選び、演じるもの
19世紀まではピンクは男の子の色だった。成人男性は赤い軍服を着ていたからだ。対して、青は繊細で上品であるため女の子にふさわしいとされていた。やがて売り手によって、ピンクと青のジェンダーが逆転し、ピンクが女の子の色として定着したのは1970年代になってからだった。
ピンクの歴史を見てみると、男性性と女性性の象徴はまったく恣意的であるということがよくわかる。ジェンダーを明確に示すために必要な小道具とジェスチャーと台本は、本来的に決定されているのではなく、一時的な社会的構成概念なのである。

ジェンダーはパフォーマティブであり、ほぼすべての人間は、支配的な二元システムの一員として見なされるために努力している。しかし、この考えは人を戸惑わせる。ジェンダーに応じたパフォーマンスに慣れすぎているせいで、「我々はジェンダーをパフォーマンスしている」ということに一部の人は納得しないだろう。「そういうものでしょ」と言うかもしれない。世の中が変化しているとはいえ、自分の容姿に関わる問題を些細なものだと考えている男性はまだ多い。

男らしい外見への志向は、古い男性の役割が不要になっている現状への反応である。それはワーキングクラスの男性性がよく表れている例だと思う。眩しい筋肉、タトゥー、ラウドミュージック、爆音で走る車。これらはどれも、重工業産業が崩壊し、状況が悪くなっているのがはっきりしてもなお、「本物の男」だというメッセージを発信したがっている気持ちの表れである。
過剰な男性性は、力のない男性が取り入れようとすることが多いようだ。極太の上腕二頭筋や分厚い胸筋をつくるのに必要な動きを、ワーキングクラスの仕事である土木工事のパントマイムとみなすこともできる。男性が体をケアするのは良いことだが、必要ないほど求めてしまう筋肉は、男性の服の装飾的な機能と通じるものがある。今日のサービス産業の労働者にとって、ベンチプレスで150キロのウェイトを持ち上げる筋力はまず必要ない。男性たちは男性の美しさには見た目以外にも意味があるという幻想に固執しているのである。


4 未来を作るための男性性
社会は進歩し、機械が荷を持ち上げ、戦闘の多くは専門家に外注されている。男性性の基本的な力学支配・多数派の必要性は、近代化計画のなかではまったく時代遅れのようである。私たちの望み通り、より平等で寛容な社会へとたどたどしくも前進するにつれて、男性が受け継いできた心理的なツールと肉体的なツールは不要な部分が増えているように思われる。

ジェンダーをめぐる激しい議論は、活動家、メディア、学者、つまりミドルクラスの人々によって行われている。一方、その輪の外にいる男女は不当に扱われている。

偏見に満ちている男性権利活動家から離れた、理想の運動とはどんなものだろう?現代の男性は次世代に対して、女性が優位になることを疑ったり拒絶したりしてはいけないと教えるべきだ。同時に、そのことの大切さや、これまでの男性のあり方や、負の歴史に囚われた時代遅れの人間ではなく真に現代的な男性でいる術を、教えなければいけない。

男女平等の世界で男性はどうなるか、どうあるべきか。それにフォーカスした例はほとんどない。社会の変化によって女性が受ける利益と男性が受ける屈辱に関する記事を、いくつも読んできたが、男性の未来についてはあまり書かれていなかった。専業主夫の増加。セクシストの減少。心を開いて気持ちを伝えること。いずれも重要な社会的変化である。
問題は、それらがかつてなかったものであるため、オールドスクールな男性たちの強力なプロパガンダを退けるロールモデルとナラティブがないことである。男性に必要なのは、時代遅れのロマンチックな物語のスリルではない。今ここにある親密な関係と意味ある役割がもたらす、日々の幸福を祝福する態度である。


5 男性性の殻を打ち破れ
男の子は成長する過程で、男女の感情は異なるとするカルチャーに浸かっていく。そこでは、男の子の感情は女の子のより種類が少ないし、単純だと言われている。男の子は女の子より丈夫だし、細かいことは気にしないと言われている。
男の子の感情の複雑さを過小評価するのを今すぐやめよう。男性は暴力との、パフォーマンスとの、力との関係を変革しなくてはいけない。まずは、子供であれ大人であれ男性がもっと感情の広がりをもてるようにしよう。男性性にポジティブな変化が起これば、世界にものすごくポジティブな変化が起きるだろう。男の子にとって感情表現は難しいものだが、成長すると、ひげが生えて声変わりをするのと同じくらい、うまく表現できないことをあっさり受け入れてしまう。

男の子は、運動場や遊び場で転んだり怪我をしても泣いてはいけないときわめて具体的に教わる。しかし、感情の危険についてはどうだろう。女の子をデートに誘ったり、同僚ときわどい話をしたり、友人に個人的なことを打ち明けたりするときに、木登りしたり巨漢の選手にタックルするときの気の強さやマチズモは役に立たない。普通の男の子は、乗り越えれば成長できる機会に、自分の能力のなさに落ち込むことがある。男の子が自分の感情に敏感でいるように育てられていないとしたら、意見の相違が起きたときや、愛情を表現するときに、どうやって自分の感情を声にすればいいのだろう?

ソーシャルワークの研究者であるブレネー・ブラウンは、TEDで「傷つく心の力」という素晴らしいトークを行った。ブラウンによると、最も充実した人間関係をうまく築いているのは、心が傷つくリスクを冒し、自分の弱さと失敗、つまり自分の弱さの根底にあるもをさらけ出せる人だという。他人に自分を開いているのだ。
ブラウンによると、多くの人が感じている恥ずかしさは、つながりが絶たれることへの不安、つまり「私は十分ではない」ことを知られる不安である。そして、人々はそういうことを話したがらない。他人とうまくつながっていると感じている人とそうでない人に違いがあるとすれば、前者が自分は友情や愛を受けるにふさわしいと思っている点だとブラウンは言う。

男性性は、孤立している状態のことではない。幸福な未来にふさわしい男性性を構築できれば、武力に訴えることが減るし、弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられるようになる。
私たち男性は、自分の人生をかけても男性性は変えられないと思うのをやめよう。私はセラピーを受けたことで、物事に対する考え方は本質的なものであっても変えられることを学んだ。変化には、動機と教育と十分な時間が必要なだけなのだ。
男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう。何しろ彼らは女性と同じ脳をもっているのだ。問題は、現在の男性の性役割に締め付けが強いことだと思う。男性は常に、無意識的に監視してしまうのである。
健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても男らしさの基準に達していないという理由で責めるのをやめるべきだ。

●男性の権利
傷ついていい権利
弱くなる権利
間違える権利
直感で動く権利
わからないと言える権利
気まぐれでいい権利
柔軟でいる権利
これらを恥ずかしがらない権利

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年5月4日
読了日 : 2023年5月3日
本棚登録日 : 2023年5月3日

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