ビジネスマンはオフィス街に集まる。例えば大手町は典型的なビスネスマンの街である。それは彼らの社会的な身分や役割によるものだ。ところが秋葉原全くことなる仕組みでその個性を獲得している。その現象を著者は個室空間の都市への延長の結果であると述べている。もっと大胆に侵食といってもいいかもしれない。秋葉原はその歴史上マイナーな人格の都市的な偏在をもたらしていた。具体的にはパソコン販売の導線の大本であったという点である。大手商業資本、広告代理店からコントロールされたくないという心情をもつオタクたちは必然的にマイノリティである。マイノリティかつ消費者である彼らのその特性ゆえに、秋葉原はこれまでと違ってコマーシャリスティックな大衆的な開発を再帰的に受け入れないものとなっていった。当初は決して意図したものではなく自然発生的に個性を獲得していった秋葉原という趣都を誕生させた。世界的には秋葉原があたかも大昔から連綿と続いてきた歴史あるアニメ・漫画好きの聖地であると認識されているが、実際には97年以降のことに過ぎない。この事実から考えられることはなにかというと、こういった物語をつくることが、海外の注目を日本に向けるための重要事項であるということだろう。たとえ後付の設定でも、それが幻想だとしても魅力あるものとして多くの人間に受容される方法論がいま求められている。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
人文・社会科学
- 感想投稿日 : 2011年10月19日
- 読了日 : 2011年10月19日
- 本棚登録日 : 2011年10月19日
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