若者殺しの時代 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2006年4月19日発売)
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堀井憲一郎は名文家だとわたしは思っています。『週刊文春』に連載中の「ホリイのずんずん調査」の文章は,一読するとギミックが多いように見えますが,あのギミックに見えるフレーズは,音楽用語でいうところの裏打ちのタイミングで入ってきます。だれも書かないようなフレーズを多用しているから冗長かというと,とんでもない。彼の文章は,すこしもだらしないところがありません。彼はTVに出演することがあるので,彼の文章に彼が喋る肉声を聞きとれると主張するひとがいるかもしれません。しかし,残念ながら,それはまちがいだとわたしは思います。喋るとおりに書けるひと,というのを,わたしは見たことがありません。たぶん,ありえないのでしょう。ありえるとわたしが思うのは,書くとおりに喋れるひとです。たぶん堀井憲一郎はそういうひとなのだろうとわたしは思っています。もっとも,彼が名文家であることは,いまさらわたしが言うまでもないような気がします。「ホリイのずんずん調査」では,物の数を数えるという大義名分が掲げられていますけど,多くの読者は,数えられた数を知りたくて読んでいるわけではないでしょう。

さて,堀井憲一郎が講談社現代新書に書くというのは,場違いな観があります。しかし,名文家の新刊が出るというのは,言ってみればモーツァルトの新曲が出るようなものです。一も二もありません。

堀井憲一郎は本書で“裏打ち”の文体を封印しています。彼は,1983年を境にして日本社会のなにかが変わったということを検証しています。中山美穂が主演した映画『波の数だけ抱きしめて』と同じ時代の同じような事柄を扱っていて,同じように切ない本です。『波の数だけ抱きしめて』は,1982 年の湘南を舞台にしています。当時のアキバ系学生(=アマチュア無線愛好家)が,出力10mWのトランスミッターを大量に手作りして,ひと夏だけ合法的な違法ラジオ局を作ろうと言いだします。それを聞いたまつ毛のきれいな中山美穂が「素敵ね。。。」と言ったものだからさあたいへん,織田ちゃんが漁師をして資金作りに精を出します(おれだってそうするよ)。ところがDJが美人女子大生(中山美穂)であることを博報堂のナンパ社員(別所哲也)がかぎつけ,彼女を落とそうとして資金提供とタイ・アップを申しでます。「おれたちゃ,そんなんでやってんじゃねえよ!」と,この頃から怒っている織田ちゃん。「取りこまれるふりして,逆に利用すればいいじゃないか」と別所。アキバ系学生は,機材が揃えば文句ないので,博報堂の提案を受けいれました。合法的な違法ラジオ局の聴取エリアは,葉山から江ノ島まで広がることに。なのに中山美穂は,ある日突然姿を消します。残されていたのは,一本のオープンリール用テープ。そこにはTOTOの「Rosanna」が。。。

泣けますけど,堀井憲一郎に関係ありませんでした。

それにしても,「取りこまれるふりして,逆に利用すればいいじゃないか」というセリフが,ホイチョイ映画でよく出てきたものだと思います(脚本は一色伸幸)。そして,結局あのとき取りこまれただけだったじゃん,というのが堀井憲一郎の『若者殺しの時代』の趣旨のひとつになっています。 1983年を境にして,なにかがなにかに取りこまれました。それをひと言で表すことを,堀井憲一郎は賢明にも避けています。それをひと言で表すことは,取りこまれることだからです。

本書は,すんでのところでアメリカ人作家デレク・ハートフィールドに捧げられかかっています(著者が「読んだことがない」というので撤回されていますが)。さすが名文家。本書は,わたしにとって今年の評論部門の第一位になると思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセー
感想投稿日 : 2010年5月17日
読了日 : 2010年5月17日
本棚登録日 : 2010年5月17日

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