誰のために法は生まれた

著者 :
  • 朝日出版社 (2018年7月25日発売)
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本棚登録 : 540
感想 : 41
5

「なんかよく分からないけれどここには大切なことが書いてある」と感じる本。
そんな本に20代のころにはよく出会ったように思う。
そしてなんだか訳の分からないままに読み進めて、運がよければそれを仲間と語り合って、何か掴みかけたような気がする手がかりを確かな手ざわりのある論理に変えていく。
そんな経験が昔はしばしばあったように思う。

それは馬齢を重ねるなかで、それなりにまあ分かることも増えてきたからということもあるだろけれど、「分からない」中に希望や期待を見出すことができる頭や精神の柔らかさが、それこそ馬齢を重ねた結果失われたためだろう。

そして久しぶりに出会ったのがこの本である。
「なんかよく分からないけれどここには大切なことが書いてある」と感じて読み進める感覚。
まだまだ私の頭や精神にも柔らかい部分があったんだと思うと、それだけで嬉しい。

内容は「法」や「政治」の本質に迫ろうとするもの。
「法」を相手にずっと研究に取り組んできた老教授が、古典文学テクストを手がかりに、中高生を相手にしながら、その核心へと迫っていく。
とてもエキサイティングでスリリングだ。でも老教授が何十年の相手にしてようやく至った「法」の核心を語ろうとするのであるから、当然それはすっと飲み込めるような軽いものではない。
ただどうしても食べたくなる。本書の言葉で言えば「こっちの水はあ~まいぞ」という声が聞こえてくるからだ。
そうした声に誘われるようにふらふらと最終章まで読み進めると、それでもなんか大切なことのいったんには触れられた安心感がある。
もちろんそれはかりそめの安心感にすぎない。
十牛図(禅)で言えば「見跡」「見牛」くらいの段階だろう。でもそれでも大切なプロセスの最初の一歩、二歩分くらいは進んだと言えるのではないかと思う。

だから本書の相手も中高生なのだろう。
ここからは一人一人が「悟り」に向けてその歩みを進めていくことが期待されている。
ぜひ若者たちにはそうした道を歩んでもらいたいと思う。

同時に「おっさん」になったことを免罪符にしてはいけないのだろう。そんなことを痛切に反省させられる一冊になりました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 評論
感想投稿日 : 2024年3月22日
読了日 : 2024年3月22日
本棚登録日 : 2024年3月22日

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