チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社 (2003年4月10日発売)
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感想 : 29
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仏教におけるチベット・タントリズムと、ポスト構造主義におけるドゥルーズ的な生成の思想をつなぐ、著者の知的冒険が展開されている本です。

著者は、みずからの思索の軌跡を説明するにあたって、ヤキ・インディオの呪術師のもとで修行した体験を記述したC・カスタネダの議論を参照しています。カスタネダは学生時代、シュッツの現象学的社会学をラディカルに推し進めたガーフィンケルのエスノメソドロジーを学んでいました。エスノメソドロジーでは、この現実は相互主観的に構成されたとみなされることになります。彼らにとって社会学調査は、人びとが当然視していることを疑問に付し、そこに亀裂を入りこまる「現象学的苦行」の場だと考えられます。しかしカスタネダは、あらゆる常識に対して疑問の目を向けるエスノメソドロジーとは逆に、呪術師との対話のなかでみずからのよって立つ足場が疑問の淵に投げ入れられるという体験を記述しています。

とはいえ、意識変容の体験を通して「現実」の根底にある無意識の領域にめざめたとカスタネダが語っていると理解するならば、それは誤りといわなければなりません。むしろ、そうした二元論を宙吊りにし「世界を止める」ことの会得がめざされていたというべきでしょう。幻覚体験は根源的な世界経験などではなく、そうした二元論を抜け出すための「戦術」だと理解される必要があります。

そして、チベット・タントリズムにおいてもこれとおなじことがめざされていると著者は考えています。チベット・タントリズムの修行を通して著者自身が獲得した経験は、クリステヴァのことばを用いて説明するならば、フェノ=テクストとジェノ=テクストのたえざる往還運動が起こっている意味生成の「場所」(khora)へと身を開き、さらにはみずからの身体をそうした「場所」とすることだということができるでしょう。

著者は、本書のなかで仏教の中観を論じつつ、「誰でもできる脱構築」ということばを使っています。そのことばの安易さには正直なところ同意できないのですが、仏教の「戦術」的な性格をそれなりにうまくいいあてているように思えることもじじつであるように思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 宗教
感想投稿日 : 2018年7月15日
読了日 : -
本棚登録日 : 2018年7月15日

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