東京大学の教養学部で長く英語教育に携わってきた著者が、教養の復権を説いた本です。
倉田百三の『愛と認識の出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』などに代表される大正教養主義について、文化史的な観点から考察をおこなった本も多く刊行されていますが、本書で展開されているのは、歴史的な観点から旧制高校的な教養を相対化するような議論ではありません。もっともそのこと自体は、本書のテーマからはずれるということもあり、かならずしも本書の欠陥といえないでしょう。
ただ、「教養」と「修養」の差異についてあまり検討をおこなうことなく、両者をひとつながりのものとしてあつかっている点は、すこし気になりました。これは本書が、教養が軽んじられる現代から教養主義を仰ぎ見るような立場に立っていることによるのではないかと思われます。このため、唐木順三の教養主義批判に代表されるような、大正教養主義をそれに先立つ時代から相対化するような視座が欠けており、どこか「学問の置き所悪し」の印象があります。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
学問・読書・知的生産
- 感想投稿日 : 2018年12月9日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2018年12月9日
みんなの感想をみる