ピカソは1918年に、オルガ・コクローヴァと結婚した。彼女はロシア・バレエ団のバレリーナだった。彼女との間に長男パウロが生まれた。ピカソの名声も高まり、上流階級の人々との交際も増えてきた。芸術家としては幸福の絶頂と言ってもよいだろう。妻のオルガも鼻高々だったに違いない。しかし、元々がボヘミアン気質だったピカソは上流階級の生活には馴染めず、次第にオルガとの間にも溝が深まっていった。しかも、浮気性のピカソは若い愛人と付き合うようになったばかりでなく、愛人が女の子を生んだ。
愛人の妊娠をきっかけとして、ピカソはオルガとの離婚を考えたが、スペイン人のピカソには難しかった。スペインはカソリックの国だったので離婚を認めていなかったのだ。やがてオルガと別居することになったピカソだが、彼女に養育費をはじめ、多くの財産を与えなければならなかったという。自分で蒔いた種には違いないが、ピカソは失意のどん底に落ちて絵を描くことをやめてしまったらしい。
この時の苦悩が、やがてピカソの中で形になっていく。気を持ち直した彼が最初に描いたのは、手をさしのべる女と、牡牛と馬の対抗だった。この2枚の構図スケッチは単なるイタズラ描き程度のラフスケッチに過ぎないが、8日後に書かれた構図スケッチは、ほぼ最終的な構成を有している。ここからピカソは実際の壁画をカンバスに描き始めることになる。
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カテゴリ:
芸術
- 感想投稿日 : 2022年3月9日
- 読了日 : 2022年3月10日
- 本棚登録日 : 2022年3月9日
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