『同志少女よ、敵を撃て』は、内容を的確に想像させる、とても分かりやすいタイトルだ。ソ連では仲間を「同志」と呼ぶ。「少女」は主人公を指しているのだろうか。「敵を撃て」とは、敵であるドイツ兵を倒すことを意味しているのかもしれない。つまり、ソ連の少女が数々の苦難を乗り越え、立派なスナイパーとなり、ドイツ兵を討つ物語だろうと予測できる。しかし、読了後にはこのタイトルへの理解が大きく変わり、なんて素晴らしいタイトルなのだろうと深く感じ入った。



主人公セラフィマにとって「敵」とは、復讐の対象だった。それは、故郷を襲撃したドイツ兵であり、自らの村を焼き払い、彼女を「殺人鬼」へと変えた師匠イリーナでもあった。
戦いの日々を通じて、セラフィマは女性が戦場で直面するさまざまな苦難を知り、「女性を守るために戦う」という信念を育んでいく。その信念は、次々と訪れる出来事によって強化されていった。
たとえば、
目の前で木っ端みじんになった天才スナイパーのアヤ、
人殺しを楽しむような怪物になりつつある自分、
死んだ夫の子を産むためにドイツ兵の愛人となったサンドラ、
兵士が女を戦場で犯す意味・女が敵兵に犯される需要、
敵国の子供を守ろうとして撃たれた「ママ」。
そして、敵国の女性を犯そうとしている幼馴染を撃ち殺し、その信念は純乎たるものになった。
最終的に、セラフィマは、復讐の対象であったイリーナこそ、女性を守るために戦っていたことに気づく。「同志」とはイリーナであり、「敵」とは女性を苦しめるすべての者になった。イリーナは、戦争で身寄りを失った少女たちに戦う理由と術を与え、その行動で彼女たちを守り続けていた。そして、戦うための信念を持て、と彼女たちに教えてきた。
こうして物語を読み進めていくと、タイトル『同志少女よ、敵を撃て』は、まさにイリーナがセラフィマに向けた言葉として感じられる。このタイトルは、単に物語を表すだけでなく、登場人物たちの信念や思いを象徴しているのだ。

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カテゴリ 文学

沈黙交易とは、互いに顔を合わさず、言葉も交わさずに行われる交易。アイヌ及び北東アジアで見られた奇習らしい。(現代人もAmazonで誰とも合わず、何も言わずに取引をしているけれど)
沈黙交易の解釈として、本書では大きく2つ挙げられており、文化の捉え方として、大変勉強になった。
1つ目は、外部への恐れ説。古代日本では、疫病は海からやって来ると捉えられており、外部から来るものと接触したり言葉を交わしたりすることで、ケガレが及ぶとされた。陰陽道ではケガレを払うために反バンという儀礼があった。呪文を唱えながら地面を踏みしめる儀礼。平安から鎌倉時代にかけて行われていたらしい(神楽や能など近世の芸能に強い影響を与えた)。これとよく似た儀礼がアイヌにもあって、行進呪術という。集団で行進しながら呪文を唱えたり、破邪の刀をふって、ケガレを払う。この儀礼が、疱瘡神信仰及び陰陽道の影響をアイヌが受けている一つの証左として紹介されている。沈黙交易は外部からのケガレへの恐怖の表れと捉えられる。
もう一つの解釈は、贈与経済から交換経済への以降の一段階として捉える説。アイヌは日本文化の中から自然との贈与の関係に最も意義をおいた。自然との贈与の関係に意義をおいた例として、アイヌの動物祭祀、クマ祭、コロポックル伝説が紹介されている。贈与は受取る義務と送り返す義務の時間差によって関係者に負い目が生じ、関係が維持されていく。交換はその場で関係が清算されてしまう。アイヌの沈黙交易は、相手が返してくれる確証のない中で、値段の交渉もなく、ある程度の時間差をおいてなされる。どちらかというと、交換よりも贈与に近い特徴を持っている。このことから、贈与から交換への移行へのステップとして捉えられる。
近代以前の人間の文化を学ぶのは本当に面白い。現代では失われた感覚や世界観が垣間見られ、世界の奥行きが広がったように感じる。

2024年12月31日

読書状況 読み終わった [2024年12月31日]
カテゴリ 文学

朧月、罪人を運ぶ一艘の小舟の上。そんな日常世界から乖離した閉鎖空間で、人知れず行われる心のやり取り。あまりにも完璧な舞台設定。最後の情景が、自分の経験のように、脳裏に焼き付いている。
「次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人2人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。」

2024年12月28日

読書状況 読み終わった [2024年12月28日]
カテゴリ 文学

アフリカと新興宗教という、一見まったく結びつかない組み合わせに興味をひかれた。この二つがどう関連し得るのか全く想像がつかなかったが、読み進めるうちにその背景や理由に「なるほど」と納得させられた。
特に印象的だったのは、宗教が広がる現実的な理由だ。読み始める前は、現地の人々が宗教に寛容であり、教義の内容が彼らの文化や価値観に合致しているから広がるのだと考えていた。だが、実際にはそれだけでなく、ご利益(金銭的支援)や、戦争時に国外逃亡が容易になるといった実利的な側面が非常に大きな役割を果たしていることが描かれていた。この点には「確かにその通りだ!」と強く共感させられた。
意外な組み合わせと言えば、シュルレアリズムのディペイズマンを想起する。あるものを本来あるはずのないと思われる場所に置くことで強い印象を与える手法だ。アフリカという意外な場所に置かれた新興宗教が、現地のコミュニティーに溶け込み、現地信者の生活の一部になっている様がリアルに書かれていて、新鮮な面白さを感じた。

2024年12月22日

読書状況 読み終わった [2024年12月22日]
カテゴリ その他

主人公の仁右衛門は、まさに野性そのままの人間だ。無知で粗暴、そして暴力的。人間社会の約束事を守ることなく、感情のままに振る舞い、暴力を振るい、人を憎む。手元に金があれば、酒を飲み、博打を打ち、散財する。
人間は自然の脅威に対抗するために協力し合い、社会を築いてきた。社会の中で生きるためには、他者から協力を得る代わりに、一定のルールや約束事を守らなければならない。それができない人間は、仁右衛門のように社会から排除され、孤独な道を歩むことになる。
この物語を読んで、「奇跡の人」という映画を思い出した。見えない、聞こえない、話すこともできない三重苦を背負ったヘレン・ケラーと、彼女を導いた教師サリバンの物語だ。サリバンがヘレンに最初に教えたのは、「服従」だった。善悪を論じる以前に、服従は人間が持つべき第一の知性なのだろう。私たちは、主人の命令に従順な犬を「賢い」と評価する。それと同じように、人間も社会で生きていくためには、まず服従という能力が必要だ。それができなければ、あるいはそれを拒むならば、仁右衛門のように永遠の放浪者として生きるしかない。

2024年12月15日

読書状況 読み終わった [2024年12月15日]
カテゴリ 文学

タタールのくびきが現在のロシアの在り方に重要な影響を与えていたことが理解できた。
カトリック世界への不信感を背景に、元の支配を受け入れたアレクサンドル・ネフスキーは、結果的にロシアを西欧から距離を置く存在にした。
モスクワ公国は元の軍事力を利用してライバル勢力を駆逐していき、ルーシ国家内で一番の勢力に成長した。
単純な支配・被支配という関係ではなく、互いに絡み合い、利用し合う関係は面白いと感じた。

2024年12月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年12月1日]
カテゴリ 歴史

読み終わった後、しばらく何も手につかなかった。大切なものを失ってしまい、もう二度と取り戻せないような寂しさと喪失感に襲われた。
無邪気で美しい宝石たちが好きだった。草原を走り回ったり、花冠を作ったり、みんなで仲良く冬眠したり――そんな生き生きとした日常は、見ているだけで心が温かくなった。けれど、そんな彼らも皆、消えてしまった。別れの言葉ひとつ残すことなく。
なかでも、主人公フォスの消滅はとても寂しい。フォスは「生の終わりを願うに足る絶望と復讐」を与えられて人間となり、1万年もの孤独に耐え抜いて神へと至った。そして、人間の末裔である三族を消し去り、最後には博士の遺言通り、自らも消えることで人間の痕跡を完全に絶った。
あの非力で可愛らしいフォスが、本当によく頑張ったと思う。何もできなかったはずの彼が、唯一成し遂げたことが自らを含む人間の根絶だなんて、あまりにも哀しい。「だれからも愛されたい」というフォスの願いは、結局かなわなかった。それどころか、仲間も自分もすべて消えてしまった。最後の瞬間に見せたフォスの笑顔が、心に焼き付いて離れない。
物語の結末では、新たに誕生した無機物生命体たちが楽園で生活を始める。しかし、彼らの姿からかつての宝石たちの面影を感じることはまったくない。寂しさは決して埋まらず、宝石たちの世界が完全に終わってしまったのだと改めて実感させられる。その喪失感が、より一層胸を締め付ける。

2024年12月1日

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読書状況 読み終わった [2024年12月1日]
カテゴリ 漫画

本書のテーマは、なぜ臨時政府(立憲君主制)が挫折し、なぜボリシェビキが成功したのか。革命直後の状況では、戦争の早期終結と事態の一挙的な転換を望む民衆の欲求を抑え込むことが必要であったが、臨時政府は西欧との関係を切れず、民衆に銃口を向ける非情さをもつこともできなかった。ボリシェビキにはそれができた。新しい社会の誕生を信じて西欧との関係を切り、民衆を容赦なく殺すことができた。その結果、彼らが権力を握り、ロシアは社会主義国家となった。臨時政府が瓦解しなければ、粛清によって多くの人々が殺されることも、ウクライナ戦争が起きることもなかっただろうか。

ロシア革命はボリシェビキ側から語られることが多いが、臨時政府の動きを中心としてみると、印象がまた変わってくる。ボリシェビキ側から見ると臨時政府は戦争を継続しようとする民衆の敵という印象を受けるが、様々な勢力がいる中で、彼らは社会主義とは違ったやり方で(立憲君主制)でロシアを改革しようと尽力していたことがわかった。
社会の底が抜け、極度の不安定の中綱渡りのようにギリギリのところで彼らは何とか瓦解せずにしのいでいた。ようやく体制が落ち着きそうなところで、「思い込みが激しく、大事な伝言を頼むのには最も向いていないタイプの人」であるリヴォフが余計なおせっかいを発動し、
これまでの努力をぶち壊すところは目頭が熱くなった。

2024年11月22日

読書状況 読み終わった [2024年11月22日]
カテゴリ 歴史

ロシア革命は農民と反戦と貧困の克服という高尚な理想から始まったが、ソヴィエトが権力の座におさまると、その権力を守るために、農民と労働者を弾圧しまくる。信じられないような単位の人々が簡単に殺されていく。理想の実現のための手段を維持するために理想に反した行動をとるというのは、再現性が高いのだろう。

2024年11月22日

読書状況 読み終わった [2024年11月22日]
カテゴリ 歴史

AI向けの仏教史入門、といったものか。
仰々しい内容かと思いきや、仏教史のパロディのようで、禅の只管打座を足のないAIがどうやって実践するのか、など笑っていいのか迷うような内容が多く、ユーモラスな作調だった。
しかし、内容よりもとにかく「ブッダチャットボット」の語感が良すぎる。

2024年11月2日

読書状況 読み終わった [2024年11月2日]
カテゴリ 文学

「恐怖」というから、一体どんな恐ろしいことが書かれているのかと思ったら、閉所恐怖症の恐怖だった。内容は、閉所恐怖症の男が電車に乗ろうか乗るまいか逡巡しているだけ。はたから見たら何をつまらないことを書いているのかと思うのかもしれないが、主人公の男と同じく閉所恐怖症の自分にとっては、「そうそう、そうなんだよ!」と手を打って共感するような描写ばかりだった。
閉所恐怖症の人にとって、電車に乗るにはかなりの覚悟が要る。車両に乗り込んでドアが開いている間は何ともないが、ドアが閉まって外気を感じられなくなると、俄かに緊張し始める。車両ががたんごとんと動き出すと、気分の雲行きがさらに怪しくなってくる。「おや、すぐにはここから出られないのでは。」と感じてしまったが最後、全身の血がカっと頭に上り、冷や汗が出て手がしびれ、呼吸が深く吸えなくなってくる。「発狂か卒倒の谷底へ突き落しかねないような、どえらい恐怖が五体に充満して」、「今すぐここから出してくれ!死んでしまう!」と叫んで暴れだしたくなる。電車に乗ることは、主人公の男が言う通り、まさに「死ぬか、狂うか」なのだ。
また、なんでこんなことで苦しんでいるのかと自分でも感じているからか、ちょっと投げやりなユーモアがあって面白い。
・あり得ない聞き間違い
「「もう大阪へ行くんだから。」と答えたのが、自分には何だか、「もう直死ぬんだから。」と云うように響いた。」」そんなことあるかい。
・暴走気味な妄想
「私は汽車へ乗ると、気違いになるか、死ぬかしますから、検査までにはとても東京へ行かれません。」こんな理由を、区役所の兵事係へ書いて送ったら、どうするだろうか。・・・「そら御覧なさい、君たちがあんまり無理をいうものだから、僕はこの通り気違いになったぜ、嘘じゃない、本当に気が違っちまったんだ!」こう言って、泣きっ面をして、検査の当日に暴れ込んでやりたい。」冷静なようで、ぶっ飛んでる。

読書状況 積読
カテゴリ 文学

正義と悪が対立する作品において、魅力を決定づけるのは悪役だと思う。ある程度言動や人物像が予想できる正義の人物よりも、予測がつかない悪役のほうが魅力的だ。その点でこの作品の悪役は素晴らしく、この作品を大変魅力的なものにしている。
『大暗室』の悪役である大曾根龍次は生粋の悪人だ。本人もそれを自覚しており「僕は地獄の底から生まれてきたのです。悪こそ僕の使命なんだ。」なんて言っている。悪役に、悪に染まった理由など必要ない。訳の分からぬまま悪であるほうが魅力的だ。悪になった理由や経緯・過去などがあると、恐ろしさや得体の知れなさが薄れてしまう。現代では人間のあらゆることが分析や説明の対象となっているが、フィクションの中の悪役くらい、得体のしれない者のままでいてほしい。大曾根龍次には同情できる事情や過去など一切描かれないので、最後まで怪しい存在のままでいてくれる。『ダークナイト』版のジョーカーのほうが好きな人は、大曾根龍次に魅力を感じると思う。
大曾根が美青年という点も、彼の魅力をさらに引き立てている。女優に変装をして、全く違和感がないくらい美しい姿をしている。正義側にあるはずの美しさが、悪の側にあることで、怪しい魅力が増している。この点では、手塚治虫『MW』の結城美知夫と似ている。
常軌を逸した欲望も、悪役の大きな魅力だ。社会に許された範囲内の欲望しか持つことができない凡人には、悪役の、常人には理解できないスケールの欲望は憧れる。大曾根龍次は、悪事によって集めた資金を使って、自分の欲望を体現した王国を、東京の地底に築いた。そこは「あらゆる怪奇と艶美とを織り混ぜた狂気の国、夢幻の国、天国と地獄との交響楽とも例うべき」王国であった。
悪役の真骨頂は、何よりその死に際だろう。大曾根龍次よりも死に際が見事な悪役を知らない。作中のクライマックス、彼は自身の王国である大暗室で、遂に主人公たちに追いつめられる。彼は正義の側に自身の運命を委ねるようなことはしない。自ら壮絶な最後を迎える。その自決の様は、彼の悪の芸術性を極限まで高めている。地獄のオーケストラが奏でる悪魔の音楽と怪しく光るオーロラのもと、自分に心酔する美女たちの死体に跨って自身の体を切り刻み、真っ赤に染まった顔で狂ったように笑いながら死んでいく。美しき悪魔の最後にふさわしい壮絶な死。この死によって、彼の悪は芸術となった。
最初から最後まで自身の悪を貫き通し、そこに一切の理解や同情も挟ませぬまま、不気味な美しい悪魔として散っていく。大曾根龍次は、理想的な悪役だ。

2024年10月20日

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読書状況 読み終わった [2024年10月20日]
カテゴリ 文学

『クビライの挑戦』とは、チンギス・ハンが築いた遊牧民国家を、ユーラシア全土に広がる帝国へと発展させる試みである。その構想の壮大さに驚嘆した。
クビライが支配した領土は、東は朝鮮から西はポーランド付近にまで広がり、ユーラシア大陸を横断するほどの規模を誇る。この歴史上類を見ない大帝国をどのようにして築いたのか。彼とその側近たちは、前例のない「新国家」を構想するにあたり、「草原の軍事力、中華の経済力、そしてムスリムの商業」というユーラシア史を象徴する三大要素を融合させるという基本方針を打ち立てた。
まず、草原の軍事力を保持しながら、中華の経済力を掌握するため、クビライは広大な都市圏を築いた。上都と中都(大都)の二つの主要都市を中心とし、宮廷・政府・軍団が夏と冬でこれらの都市間を移動する体制を整えた。その移動圏内には各種機能を担う都市を配置し、これを基盤としてユーラシア全土に交通・運輸網を張り巡らせた。このネットワークはムスリム商人によって活用され、商業が大いに発展した。また、クビライは自らの直轄地域だけでなく、配下の王侯たちにも同様の都市圏を構築させ、それらを互いに結びつけた。こうして、クビライの中心都市圏と王侯たちの小都市圏がネットワークとなり、草原の遊牧民世界と定住民の都市文明が一体化された。
ユーラシア全域の伝統と力が集約されたこの世界帝国を、壮大と言わずなんと言おうか。そのスケールと構想力に圧倒された。

読書状況 積読
カテゴリ 歴史

神話の魅力はたくさんあるが、現在の感覚からすると、何それ、と思われるようなよくわからない設定が特に好きだ。現代人にはない大胆な想像力が感じられて、とても面白い。中でも、ケルト神話の半神半人の戦士クー・フーリンの設定が良い。かれは戦意が高まると体がねじれるという「ねじれの発作」を持っている。口が大きく裂け、片目が脳に食い込み、もう片方の目は頬に突き刺さる、とのこと。この本ではそこまでしか書いてないが、調べてみると、顔面だけでなく、足や首、内臓までもねじれるらしい。想像すると、凄まじい姿だ。それにしても、なんでこんな設定にしたのだろうか。このわからなさが良い。

2024年9月22日

読書状況 読み終わった [2024年9月22日]

公権力によって事実が「作られていく」のは非常に恐ろしい。それが間違っていたとしても、一度作られてしまうと、覆すのは本当に難しい。
しかし、報道は作られた事実を覆す力を持っている。あらゆる資料に当たり、どんな資料も鵜呑みにせず、一番小さな声を聴くことによって、それが可能になる。

2024年9月22日

読書状況 読み終わった [2024年9月22日]
カテゴリ 歴史

表紙のイラストがとても印象的で、思わず手に取った。儚げな少女がバスタブの中で胎児のように蹲り、こちらを見つめている。水色から紺色への青のグラデーションは、夏の果てのような物悲しさと優しさを感じさせる。この時期の宵口前の空模様とよく似ている。このイラストは、この物語の内容を本当によく表現していると思う。

再生、もう一度生まれるための物語。「母のいない世界でようやくちゃんと泣いて、息をして、自分のちからで呼吸を始めることができた。」物語を読み進めるうちに、頭の中がかき混ぜられ、心の底に沈んでいたものが浮かび上がってくる。かつて抱いた感情とか、大切な人に言ってもらった言葉とか。そして、この物語は、その浮かび上がったものたちと一緒に、再び心の中に沈んでいってくれる。

「大丈夫」という言葉が作中に何度も出てくる。「だいじょうぶ。時間はあなたを愛している。眠りはあなたを守り、育てる。いつかあなたが大丈夫になる日が必ずくる。」「大丈夫、大丈夫よ。」「大丈夫だよ。もう、くるしくないよ。ちゃんと、みんなと一緒に生きていくからね。」大切な人に向けられた「大丈夫」には、万感の思いが込められている。自分が言われた「大丈夫」、自分が言った「大丈夫」。いろいろな記憶が思い起こされた。母親に会いたくなった。

2024年8月24日

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読書状況 読み終わった [2024年8月24日]
カテゴリ 文学

青というのは、なんて素晴らしい色なのだろう。澄んでいて深く、鮮やかでありながらも時に暗い。さまざまな青を経験するたび、この色から受ける印象はますます豊かになっていく。マイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』によって、青はクールで艶やかな色になり、山下達郎の『Ride on Time』と永井博の『Time Goes By』によって、青は永遠を感じさせる色へと変わった。さらに、名も忘れた寺の仏画によって、青は神秘へと繋がる色になった。青の持つこの深さをどう表現すべきか悩んでいた時、この図鑑で素晴らしい言葉に出会った。

「青が深まるごと、なおいっそう人間に無限への思慮を呼び起こし、純粋さや、ついには超感覚的なものへの憧憬を喚起する。青は空の色なのだ。」(ワシリー・カンディンスキー『芸術における精神的なもの』)

まさにこの言葉がすべてを表している。そうだ、青はまさにこういう色なのだ。

2024年9月16日

読書状況 読み終わった [2024年9月16日]
カテゴリ 図鑑

タイトル通り、雨に関する言葉をひたすら集めた辞典である。この本を読み進めるうちに、現実をより細かく捉える感覚が養われていく。例えば、強い雨を表す言葉だけでも、本書には30個以上が紹介されている(主従雨、一発雨、雨集、えきがく(変換できず)、大車軸、大降り、大粒の雨、男降り、豪雨、沛雨、ざんざ降り、霈沢、疾雨、深雨、繁雨、大雨、篠突く雨、滝落とし、柴榑雨、濯枝雨、土砂降り、縦洪水、破雲雨、太き雨、暴雨、滂沱、翻盆雨、猛雨、凌雨、滂沛・・・)。これらの言葉は、概ね同じ意味を持ちながらも、それぞれ異なるニュアンスを持ち、言葉から想起される雨の様子もまた異なる。細かな違いに注目し、それに名前を付けることで、現実の細部がより鮮明に認識されるようになり、私たちが認識できる現実の幅が広がっていく。
ちなみに載っている言葉の中で一番好きな言葉は「銀竹」。
「光線を浴び、光り輝いて降る雨。強い雨脚に雲間からの光が当たり輝いている様子が、まるで銀色の竹のようだというのである。」 

2024年8月18日

読書状況 読み終わった [2024年8月18日]
カテゴリ 文学

『事務』を切り口とした文化・文学論。本書は『事務』というテーマから様々な話題へと展開し、途中で何の本を読んでいるのか戸惑うほどだった。権力、規範、主体性、発達障害、マインドフルネス、オタク、運命、死…その射程の広さに驚かされる。まさか、あの退屈で卑小な『事務』が、こんなにも立派な文化の担い手であるとは思わなかった。これからは「事務」に対して、もう少し敬意を持って接してあげようと思う。

2024年8月17日

読書状況 積読
カテゴリ 文学

前巻に引き続き、素敵な場所がたくさん登場する。今回は「おふとんモノレール」が最高。「おふとんモノレール」は寝台付きの夜行モノレールだ。以下に、特におすすめしたいポイントを挙げる。
① すごく高いところを走っている!
モノレールは、下の景色が霞むほどの高所を走っており、まるで夜空を飛んでいるかのような感覚になる。夜空を飛ぶ体験は神秘的で情緒的な趣があって、誰しもあこがれるだろう。ジブリ映画や『ピーターパン』の世界観を思い起こさせるような情緒がある。
② 寝台付きの部屋が素敵!
部屋の内装はシンプルで、ふかふかのベッドと簡易な座椅子が一つだけ置かれている。ベッドの横には大きな窓があり、寝ながら夜景を楽しむことができる。また、ドアから入ってすぐに靴を脱ぐ仕様になっている点も素晴らしく、自宅のような親しみやすさを感じさせる。
③ 終夜開いている食堂車両!
運転車両の手前に食堂車両があり、部屋から通路を通って簡単に行くことができる。窓沿いに設置されたテーブルと背もたれのない椅子が並んでおり、夜景を眺めながら飲食を楽しめる。この背もたれのない椅子が、気軽に立ち寄れる雰囲気を演出しており、特に好ましい。さらに、自動販売機でうどんやコーヒーフロートを購入できる点も魅力的である。この場所には凝った料理やお酒は不要であり、夜更かしをして小腹がすいた時にふらっと立ち寄るのにふさわしい空間だ。
④ 吹きさらしの通路!
部屋を出ると、簡素な柵があるだけの吹きさらしの通路に出ることができ、夜風を感じることができる。一晩中、通路に座って夜景を眺め続けることができるのも、この場所の魅力である。
⑤ 所々落下しそうな大胆なつくり!
通路の柵は腰ほどの高さしかなく、少し飛べば外に落ちてしまいそうである。車両間の隙間も広く、飛び移る際に失敗すれば、隙間から落下してしまいそうである。特に駅のホームは、工事現場の足場のような簡素なつくりで、柵も一切ないため、夜風にあおられて足を踏み外せば真っ逆さまに落ちる危険性がある。(そもそも階段や昇降機が見当たらないが、どうやって上がってくるのか謎である。)このような大胆で少し危険なつくりが、ちょっとしたスリルを提供しており、楽しさを感じさせる。

2024年9月23日

読書状況 読み終わった [2024年9月23日]
カテゴリ 漫画

謎の多い少年が、気ままに様々な星を旅する物語。主人公が訪れる場所はどこも魅力的で、自分もその場所へ行きたくなってしまう。この巻では「夜天図書館」が特に印象的だった。
夜天図書館は、夜にだけ開館する巨大な図書館だ。特に素晴らしいと感じたのは、以下の点である。
① 遮光ドーム
図書館の天井はドーム状になっており、晴れた夜にはドームが月や星の光を取り込む。月明かりの下で一晩中本を読めるなんて、とても贅沢で心惹かれる。まるで漢詩の世界に浸るような、優雅で趣深い空間だ。
② 水路
なんと、この図書館には水路がある。小舟で水路を移動しながら、館内を巡る仕組みになっている。水路は本の分類に従って枝分かれしており、細部に至るまで工夫されている。小舟には小さな本棚も設けられており、なんとも素敵な趣向だ。
図書館に水路という組み合わせは現実では考えにくいが、心地よい静けさをもたらす水は、本の世界に没入するための絶妙な演出だ。特に、水路が月明かりに照らされて輝く様子は、非常に美しい。
③ 寝台
図書館の至るところに寝台があり、好きな場所で本を読みながら横になることができる。寝台は小部屋のように仕切られており、しかも高い場所に設置されている。階段やはしごを登って寝台に入る様子は、まるで秘密基地に入るようで、童心に返ってワクワクする気持ちを呼び覚ましてくれる。

2024年9月23日

読書状況 読み終わった [2024年9月23日]
カテゴリ 漫画

この本で初めてシモーヌ・ヴェイユの存在を知った。このような純粋な人がいたとは。彼女は哲学教師の資格を持ちながら、労働者を真に理解するために、彼らの中に入り、彼らと共に工場で働いた。「工場日記」はその時の体験を綴った日記。
病弱で体調を崩しながらも日々過酷な労働をし、その体験をつぶさに書き留めている。日記の中には体調の悪さや労働の苦しさがリアルに描かれており、彼女の経験した苦しみが切実に伝わってくる。
「よく眠れない。朝、食欲なく、かなり激しい頭痛。出かけるとき、胸をしめつけられるような苦しみと不安をおぼえる。」
「憂鬱で、くたくたに疲れ切り、どうしようもない怒りのために胸がつまるような思いがし、自分の中の生命力がすっかり空っぽになってしまったような感じがする。」
これほど苦しんでまで、なぜ彼女は工場労働を続けたのだろうか。彼女を突き動かしたのは、彼女の持つ本質的な欲求だった。
「人々と同化し、人々と同じ色をまとうことによって、その人々の中を、さまざまな人間的環境の中を通って行きたいという本質的欲求を、わたしは持っております。それを、神の召命と呼んでもよいと思います。」
苦しみを言い訳にせず、自分の本質的欲求に真っすぐに従う。なんて強い純粋さだろう。
そんな彼女の以下の一言が重い。
「決して苦しんだことのない人間の単純さ。」

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カテゴリ エッセイ

貧しい農民の出身でありながら、明王朝を建国し、皇帝の座にまで上り詰めた偉大な人物。しかし、彼が成し遂げた偉業のスケールに比べ、結末はあまりにも寂しいものだった。
建国間もない国家を盤石にするため、不正を働く官僚や地主を次々と粛清した。かつての忠臣たちでさえ、傲慢になり不正に手を染めると、その命を奪った。晩年には、最愛の妻と皇太子に先立たれ、かつての戦友たちの多くも自ら粛清してしまったため、この世に残る者はほとんどいなかった。周囲には、ただ彼の顔色を窺う者たちばかりが残った。そこまでして盤石にし、孫に渡したはずの王朝も、それを支えるべき我が子(燕王、後の永楽帝)に奪われてしまった。 永楽帝はその後、都を北京に遷し、南京には朱元璋の孝陵だけが残された。
なんと寂しい結末だろうか。まさに寂寞たるものを感じる。

読書状況 積読
カテゴリ 歴史

なぜ人々は遥か遠方のエルサレムを目指したのか。現代のように車や飛行機がない時代、おそらく多くの人々は自分の生まれ育った村を出ることすらなかっただろう。そんな時代に、10万人もの人々(現代の規模に換算すると約132万人だそう)がエルサレムに向かったというのは、異常だ。では、彼らを突き動かしたものは何だったのか。その思想的背景を理解することはできたが、感覚までは理解できなかった。当時の人々にしかわからないものがあったのだろう。このような現代にはない感覚を、ぜひ知りたいと思う。

それにしても、「浄化」という概念は恐ろしいものだ。異教徒を不浄な存在とみなし、彼らを殺すことが「浄化」だとされていたのだから。こうした言葉のすり替えによって、ジェノサイドは起こる。ナチスがユダヤ人の大量虐殺を『最終的解決』と呼んでいたことを思い出される。

2024年9月29日

読書状況 積読
カテゴリ 歴史
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