原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

  • 岩波書店 (2011年10月8日発売)
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 広島と長崎への原爆投下を批判し、核エネルギーの国際的管理を提唱しながら、大統領就任後には、核の力を頼みにするようになり、核兵器による脅しを多用し、通常兵器と同じように使おうとするまでになったアイゼンハワーの核戦略の一環として、いわゆる「平和のための核」政策を捉えたうえで、それが被爆地広島においてどのように展開されたかを検証する一冊。まず、1953年末のアイゼンハワーの国連演説に始まる「平和のための核」政策が、水爆実験に成功したソヴィエト連邦を牽制しつつ、西側の同盟諸国に核技術を提供することによって、同盟諸国をアメリカとその資本の支配下に繋ぎ止める狙いをもっていたという指摘は、あらためて確認しておく必要があろう。そうした狙いを秘めた政策が、被爆地広島では、まず広島への原発誘致案として表われ、広島の側からも、それを受け容れる声が、中国新聞を中心にいくつもあったという。また、日本各地での、アメリカの原子力潜水艦のために開発された原子炉と同型の原子炉をもつ原発の建設に至る、日本での核開発の大きな弾みとなった、「原子力平和利用博覧会」の二度にわたる広島での開催に関しては、そこで核エネルギーの医学への効用が強調されていた点が、クローズアップされている。そのことが、「全人類の福祉のための原子力」という幻影を生み出し、ひいてはそれが被爆者に対する「救い」のメッセージになったという議論である。広島での展示は、まさに被爆者をターゲットとしていたのだ。こうして被爆者は、それまでにもアメリカの核開発のためのサンプルにされていたのだが、今度はそれにお墨付きを与える役割まで負わされることになったという。事態は確かにそうであろうが、そのような「二重の被害」の背景や、それを負わされた被爆者の心情に関しては、もう一歩踏み込んだ検証が必要と思われる。政治家や平和運動の指導者だけでなく、公文書上の歴史に残っていない被爆者の声も拾う必要があるのではないか。もちろん、森瀧市郎や当時の広島市長など、同時に被爆者である当時の指導者ないし「有名人」の言説は、その変転も含めてよく拾ってあって、そこには資料集的な意味合いも感じられるのだけれども。本書は最終的に、広島で生まれた幻影に目を眩まされた反核運動が、その後も「原子力平和利用」の支持を打ち出し続けたことを確認したうえで、そのことに表われる運動の論理の「弱点」を反省したうえで、反核運動と反原発運動を統合させることを訴えているが、著者たちが「弱点」と見るものがいったい何だったのかは、戦後の広島に「原子力」が導入される過程から、著者たち自身によって浮き彫りにされてしかるべきとも思われる。なお、読んでいて、英語以外の言語に対する配慮に欠ける点が気になった。「ジョセフ・スターリン」に、編集者は気がつかなかったのだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2011年10月26日
読了日 : 2011年10月25日
本棚登録日 : 2011年10月26日

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