話す技術・聞く技術: ハーバードネゴシエーション・プロジェクト 交渉で最高の成果を引き出す「3つの会話

  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2012年11月1日発売)
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☆2(付箋12枚/P429→割合2.80%)

コミュニケーションの本は、カウンセリングの考え方が多かれ少なかれ含まれていてハッとする事が多い。話すときの自分の心のあり方、聞く時のあり方、それぞれに本当にありたいと思うような自然体でいるというのは難しいものなのだろう。最初のコミュニケーションは、無力な自分と強大な親との間で始まるものだから。

***以下抜き書き**
・わたしたちが変えられるのは、こうした問題にたいするみずからの反応の仕方である。人はふつう、こちらは知らなくとも相手が知っているかもしれない情報を探ろうとはせず、自分は状況を理解し説明するために必要なことをすべて知っていると思いこむ。自分の感情を前向きにコントロールしようとせず、それを隠そうとするか、あるいはあとで後悔するようなかたちでさらけだしてしまう。きわめて危い状態にさらされそうな自分(あるいは相手)のアイデンティティの問題を掘り下げようとせず、まるで自分自身とは無関係なことのように会話を進めていき、不安の源にあるものをけっしてつかもうとしない。

・むずかしい話し合いとはただ感情をともなうというばかりでなく、本質的に感情をめぐるものなのだ。感情はむずかしい会話につきもののわずらわしい副産物ではなく、対立関係の主要な一部である。感情について語ろうとせずにむずかしい会話に取り組むのは、音楽ぬきでオペラを上演するようなものだ。話の筋はわかっても、ポイントは逃してしまう。

・皮肉な、またいたって人間らしいことだが、相手が悪い意図をもっていると決めつけがちな傾向とはうらはらに、人は自分自身にたいしてはまったく違った扱いをする。たとえばあなたの夫がクリーニングの品をとってくるのを忘れれば、彼は無責任だということになる。あなたが航空券を予約するのを忘れれば、わたしは働き過ぎでストレスがかかっていたのよということになる。部局の同僚がおなじ職場の人たちの前であなたの仕事ぶりを批判すれば、その同僚はあなたに恥をかかせようとしたということになる。おなじ会議であなたがだれかに何事か提案すれば、わたしはよかれと思ってそうしたのにということになる。
自分が行為を行う側にあるときを振り返ってみれば、人には総じてだれかを悩ませたり攻撃したり、冷たくあしらったりする意図などないことがわかる。自分自身の心配にかまけるあまり、別のだれかに衝撃をあたえているなどとは気づかないことも多い。ところが行為を受けとめる側になると、そのストーリーはたやすく悪い意図と悪い人格をめぐるものに落ち込んでいく。

・自分の意図をあきらかにすることだけに集中していると、結果として相手が言おうとしていることの重要な一部を聞き逃してしまうという問題が生じる。「なぜわたしを傷つけようとするのか?」と相手が言うとき、その人はほんとうは二つの別々のメッセージを伝えようとしているのだ。第一のメッセージは「あなたの意図がどういうものかはわかっている」、第二のメッセージは「わたしは傷ついた」である。非難される側に立ったとき、日とは第一のメッセージにばかり焦点を当て、第二のメッセージは無視する。なぜか?自分を守らなくてはならないと感じるからだ。

・“責め”は多くの困難な会話のなかで、きわだった論点となる。おもてに出てこようと出てこまいと、会話はだれが責められるべきかという疑問を中心に展開する。この関係のなかで悪い人間はだれか?ミスをしたのはだれか?謝るべきなのはだれか?腹を立てて当然なのはだれか?
“責め”に焦点を当てることは、考え方としてはまずい。話しづらい問題だからではない。それが関係にひびを入れ、苦痛と不安をひきおこしかねないからでもない。論じ合うのがむずかしく、悪い副作用をおよぼしかねないけれど、それでもやはり伝えることが大事だという問題はいくらもある。
“責め”に焦点を当てることがまずいのは、わたしたちが問題のほんとうの原因になっているものが何かを知り、それを修正するための行動を起こすときのさまたげになるからである。そしてまた、“責め”は往々にして的外れで、アンフェアなものだからだ。だれかに責めを追わせたいという衝動はまさしく、自分と相手とのあいだに争点をひきおこした誤解と、自分が責められることへの恐れにもとづいている。また、人はしばしば、自分の傷ついた感情を直接口にするかわりに相手を責めるが、これもよいことではない。

・ネルソン・マンデラは自伝『自由への長い道』のなかで、そうした例を紹介している。圧倒的な被害にあってきた人々でさえ、自分たちの加担を理解しようとすることができるのだ。それをある白人のアフリカーナ―から学んだときのことを、マンデラはこう書いている。
―アンドレ・ジェファー師はアフリカにあるオランダ改革派教会の司祭だった…彼は乾いたユーモアの持主で、よく好んでわたしたちをからかった。「いいかね」と彼は言ったものだ。「この国の白人は黒人よりもむずかしい役割を狙っているんだ。何か問題が起こるたびに、われわれ(白人)がその解決策を見つけなくてはならない。しかしきみたち黒人が問題を抱えるとき、おるでもきみたちには言い訳がある。ただこう言えばいいんだ、“インガビルング”と」…これはコーサ族の言葉で「白人のせいだ」という意味である。
彼が言っていたのは、わたしたちはあらゆるトラブルの責めを白人に負わせることができる、ということだった。わたしたちがおのれ自身の内面を見つめ、みずからの行為に責任をもたねばならないというのが、彼のメッセージなのだ―この考えにわたしはもろ手をあげて賛同する。

・やがてこの現状についてトビーとエンアンが率直に語り合ったとき、ふたりは問題のありかを知った。自分たちの過去の経験から生まれた、コミュニケーションや関係をめぐるたがいに相容れない態度が原因だったのだ。トビーの母親には飲酒癖があり、それは彼の子供時代を通じてどんどん悪くなっていった。家族のなかでそのことを進んで話そうとするのは彼ひとりだった。彼の父親と姉妹たちは心理学でいう否定の状態におちいり、何もまずいことはないというようにふるまい、彼の母親の常軌を逸した行動を無視していた。そのうちよくなるだろうという希望に無意識のうちにしがみついていたのだが、そうはならなかった。おそらくその結果なのだろう、彼は問題があればすぐに話をもちだして取り組むことが、エンアンとの関係を健全に保つのに不可欠だという強い意識を抱いていた。
エンアンの家庭はまるで違っていた。彼女の弟は精神に障害があり、一家の生活は彼の予定と要求を中心にまわっていた。エンアンは弟が大好きだったけれど、ときには彼をめぐる心配、危機、世話といったたえまのない感情の揺れ動きからの息抜きが必要だった。そのうちエンアンは、潜在的な問題にあまり急いで反応しないことを覚え、感情的に激しやすい家族のあいだに必要な距離をつくりだそうとした。ふたりの意見の不一致をめぐるトビーの反応は、注意深くはぐくまれたこの距離感を脅かすものなのだ。

・あなたのガールフレンドが、金曜日の夜の食事に行けなくなったと電話で伝えてくる。土曜日ならだいじょうぶなんだけど、と彼女は言う。友達が町に来ていて、金曜日に映画を見にいきたがっているの。あなたは、「いいとも、きみがそのほうがよければ」と答えるが、しかし土曜日はあなたのほうの都合が悪い。野球の試合を見にいく予定があったのだ。それでも、ガールフレンドに会えるほうがいいとあなたは思い、せっかくの野球のチケットをむだにする。
こうした状況であなたは、別のだれかの感情を自分自身の感情よりも優先させている。そのことに意味はあるのだろうか?あなたのお父さんの不満や兄弟の心のやすらぎは、あなたの感情よりも大事なのか?友人と映画を見たいというガールフレンドの気持ちは、野球の試合を見たいというあなたの気持ちよりも大事なのか?向こうが自分の感情や好みを伝えているのに、なぜあなたは自分のそれをひとりで処理しようというのか?
あなたが自分の感情を無視してまで人の感情を尊重する理由はいくつかある。あなたは、自分の幸せより人の幸せを優先するべきだという暗黙のルールに従っているのだ。あなたの友人や愛する人や同僚が思いどおりにことを運べなければ、彼らは機嫌が悪くなり、あなたはその結果に対処しなくてはならなくなる。たしかにそうかもしれないが、しかしそれはあなたにとってアンフェアである。彼らの怒りがあなたの怒りよりもよかったり悪かったりするわけではないのだ。「そうはいっても、波風を立てるのはらくなことじゃない」とあなたは思う。「向こうがわたしに腹を立てるのはいやだ」
そう考えるとき、あなたは自分自身の感情や利益を過小評価している。友人や隣人、上司はそれを見てとり、あなたをくみしやすい相手と見はじめるだろう。あなた自身の感情よりも相手の感情ばかりを気にかけるのは、相手にこちらの感情を無視するよう教えているのとおなじだ。あなたがその論点をもちださない理由のひとつに、相手との関係を危険にさらしたくないということがある。しかし逆にその論点をもちださずにいることによって、あなたが感じる憤りはしだいに大きくなり、徐々に関係をむしばんでいくだろう。

・ブラッドと彼の母親は、ブラッドの職探しのことでしばしばもめていた。母親はしじゅう電話をかけてきては、履歴書を送れ、面接に行けと息子をせっついた。ブラッドのほうはあまり関心がなかった。そのつど母親を追いはらい、あるいは話題を変えようとしていた。
あるときブラッドはその問題を友人に話した。するとその女性の友人は、いつまでもひきこもっていないで、自分がどう感じているかを母親に話すべきだとアドバイスした。「それでどうなるっていうんだい?」とブラッドはきいた。「ぼくが感じてるのは怒りだけだおふくろにはとにかく頭にくる」それでも友人はゆずらず、怒りのほかに何を感じているかを考えてみるように強く言った。ブラッドは友人の勤めを受け入れ、その夜、職探しについて、母親について、自分自身について感じていることのリストをつくった。
彼は茫然とした。職探しについては絶望感にとらわれ、混乱と恐ろしさを感じていた。職探しを先延ばしにしているのは、不安をごまかそうとする彼なりのやり方だった。母親にたいしての感情はもっと複雑だった。いっぽうではたしかに、母親のたえまのない干渉をひどく迷惑に思っていた。他方では、それは愛情と気遣いの表れだとも感じていて、彼にとってはとてもありがたいことだった。
自分自身については、おもに恥ずかしさを覚えた。きっと母親をがっかりさせているだろうと思い、少なくともいままでは、自分の能力と大学での教育をむだにしていると感じていた。だが恥ずかしさを覚えるいっぽうで、プライドも感じていた。彼の友人の何人かは管理者教育に職を得ていて、ブラッドもその進路を選択することはできた。しかしそれは彼の希望ではなかったので、もっと自分に合ったものを探すことに決め、そのためにかかってくる重圧は進んで受け入れていた。職探しのあいだは半端仕事で生計を立て、母親には一セントたりとねだったことはなかった。
人は多くの状況で、ひとつの強い感情に圧倒されて、自分の感情の複雑さが見えなくなってしまう。そんなふうに見えなくなる感情には、不満や落胆、嫉妬、罪悪感もあれば、愛情や感謝の気持ちもある。そうした多様な感情の存在を知るだけでも、あなたにとっては目から鱗が落ちるような経験となるだろう。

・じっさいに満たされないのは、責めを負わせられないからではなく、感情を伝えられないからなのだ。責めを負わせたいという衝動は、感情をまったくぬきにした状態で加担のシステムを探るときに生じる。相手にたいしてもどうしても「認めろ!これはきみのせいなんだ!」と言わずにいられないのは、自分が伝えられない感情を抑えつけていることの証拠なのだ。加担をめぐる会話にときどきついてまわる物足りなさを、責めを負わせるための刺激ではなく、隠れた感情をもっと深く探るための刺激にしなくてはならない。いったんそうした感情を相手に伝えると(「わたしが加担したことはこうで、わたしの見るところあなたが加担したことはこうで、それからもっと重要なのは、わたしが最後に見捨てられたように感じたことだ」)、責めを負わせたいという衝動は弱くなる。

・アンドルーがダグおじさんの家を訪ねてきている。ダグが電話に出ていると、アンドルーがおじさんのズボンをひっぱってこう言う。「ねえダグおじさん、ぼく外に出たい」
「いまはだめだよ、アンドルー、おじさんは電話中だから」ダグは言う。
アンドルーはゆずらない。「でもダグおじさん、ぼく外に出たい!」
「いまはだめなんだよ、アンドルー!」
「だって外に出たいんだ!」
おなじやりとりが何度かくりかえされたあと、ダグは別の方法を試してみる。「なあ、アンドルー、ほんとうに外に出たいんだね」
「うん」アンドルーは言う。そしてそれ以上何も言わずに離れていくと、ひとりで遊びはじめる。つまりアンドルーは、おじさんがわかっていることをたしかめたかっただけなのだ。ただ自分の言っていることを聞いてくれているかどうかを知りたかったのである。

・人は困難な話し合いでしばしば、心からよかれと思いながら、感情を認めることなく一足飛びに問題の解決に向おうとするが、これは重大な手落ちである。「きみは働きすぎだよ」と夫があなたに言う。「このところちっともきみの顔を見られない」たしかにそのとおりだとあなたは気づき、そして言う。「そうね、来月は仕事の負担がずいぶん軽くなるの。だから毎晩六時までには家に帰るようにするわ」しかし夫は満足したようには見えず、あなたはもっと言うべきことがあっただろうかと首をかしげる。
だがあなたの夫のぐちは、数学の問題ではない。あなたは問題を“解いた”と思うかもしれないが、夫からのおもてに現れない質問にはまだ手がつけられていない。彼は自分の感情を認めてもらいたいのだ。「この何か月か、あなたはおもしろくなかったのね」あるいは「あなたは見捨てられたように感じてるみたいね」のほうが適切な返答である。問題の解決は重要だが、それにはしばらく待たなくてはならない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 人間・啓発
感想投稿日 : 2015年3月21日
読了日 : 2015年3月21日
本棚登録日 : 2015年3月21日

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