古典外交の成熟と崩壊I (中公クラシックス)

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  • 中央公論新社 (2012年12月7日発売)
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故高坂正堯氏の数少ない学術論文集であり、氏の京都大学における博士論文である。学生時代に図書館で読んだが、博士論文がこんなに面白くていいのか!というのが第一の感想である。数式や抽象的なモデルを駆使して「科学」的な装いを凝らした近年の国際関係論にありがちな小難しい議論は一切なく、外交史研究の王道を行きながら上質の文明論たりえている稀有な書物である。

高坂は我が国で初めて現実主義の国際政治学を打ち立てたと評されることが多いが、これは誤りではないにしても若干注釈が必要だ。多くのリアリストが言うように、外交は究極的には国益と国益がぶつかり合う闘争の場である。しかしそれが剥き出しのリアルポリティークと化すのを防ぎ、潜在的な対立を孕みながらも、互いの自制と協調によってともかくも安定を保つ上で重要な役割を果たしてきたのは、時に「正統性」あるいは「ヨーロッパ」と表現された共通の理念であり、また「文化」や「スタイル」とでも言う他ない緩やかな行動規範である。そうした共通基盤の上に、闘争と協調が絶妙のバランスを維持し、「古典外交」の頂点として結実したのが世に言う「ウィーン体制」であり、それが本書の主たる分析対象である。したがって高坂の外交論は極めて冷徹なリアリズムに根ざすものでありながら、近視眼的な国益優先とも偏狭なナショナリズムとも一線を画する。

だが時代の移り変わりとともに「古典外交」を支えた共通基盤は変質していく。交通・通信手段の発達により外交に求められるスピードが格段に速くなり、ナショナリズムの台頭により世論の動向も無視できなくなる。外交は性急に結論を求める粗野なリアルポリティークに傾斜し、「会議は踊る」と言われたウィーン会議が持っていた優雅なゲーム性は失われる。リアリズムの支柱であった勢力均衡も、かつてそれを生んだ「多様性への愛」ではなく、単なる自国の勢力拡大の手段と化してしまう。こうして古典外交は崩壊へと向う。

生粋の京都人であった高坂さんは、貴族が外交を担ったウィーン体制に最も愛着を持っていたように思う。本書の中でもウィーン体制と18世紀文化との関わりを論じた第3章は、まさに失われた貴族文化へのオマージュとも言うべき逸品で、高坂さんらしい薫り高い文章である。学術誌ではなく中央公論という一般誌に発表されたということもあるだろうが、専門分化された無粋な講壇知識人には到底真似のできない、英国貴族風の気品あるアマチュアリズムに満ちている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年12月29日
読了日 : 2015年4月15日
本棚登録日 : 2023年12月29日

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