2012年 日本 119分
監督:若松孝二
出演:井浦新/満島真之介/寺島しのぶ
http://www.wakamatsukoji.org/11.25/
1960年代。すでに作家としての名声を手に入れている三島由紀夫(井浦新)。1966年『英霊の聲』発表後、ますます政治や自衛隊、天皇制度への関心を深め、さまざまな活動を開始。翌年には日本学生同盟の持丸博(渋川清彦)の訪問を受け、学生たちと交流が始まり、さらに自衛隊への体験入学を経て、楯の会(祖国防衛隊)を結成。純粋な大学生、森田必勝(満島真之介)もこの会に参加し、三島に心酔する。学生運動等が盛んだった60年代、学生たちは血気にはやっている。そして三島もまた死に場所を求めていた。そしてついに1970年11月25日、彼らは市谷の防衛庁に立て籠もり…。
三島の没後ちょうど50年目の11/25なので見てみました。ちょっと前に丁度「英霊の聲」も読んだところだったし。実際のニュース映像なども織り交ぜてあり、三島が生きた時代背景などは伝わってきましたが、正直映画としては、晩年の三島の数年をダイジェストで描いてあるだけで、とくに新しい視点があるわけではなく、終始平坦に、既に知っている結末に辿り着いただけ、という印象。三島と森田の関係をそれほど掘り下げてあったとも思えず、妻役(寺島しのぶ)もなんのために出てきたのかあまり意味はなかった。
正直、井浦新はミスキャストだったのだと思う。個人的には大好きだし、むしろ彼の顔面がなかったらこの映画を最後まで見れなかったかもしれないけど、とにかく優男すぎて三島のナルシスト感、マッチョ感がゼロ。大変知的で穏やかなインテリにしか見えない。とくに肉体作りもしなかったようで、サウナ、割腹場面などの脱いでるシーンも優男のまま。この映画のエンドロールでアルファベットの名前が出るのは違和感があるから、と、それまでの「ARATA」から「井浦新」に芸名を改名してまで臨んだ彼にしては、覚悟が薄かったのでは…と思ってしまった。良くも悪くも、三島はご本人の存在感が圧倒的なので、実物と比較されることは想定内だろうに。
井浦新は顔も淡泊で優しげなので、三島のあのギラギラ感、狂気のようなものが微塵もなく。本人が悪いわけではないが、楯の会の制服も大変スタイリッシュに着こなしてしまって、ただの素敵な人だし、決行前に白装束で剣舞を舞うシーンなども、ただただ美しいので、逆に気迫のようなものは伝わってこない。語弊があるかもしれないが、もっと空回りすべきだったのではないだろうか。なんというか、当人たちがナルシスティックに自己陶酔、大真面目に語れば語るほど、部外者から見ればちょっと滑稽とも映るような、そういう三島の虚栄、それゆえの哀愁、みたいなものが全く感じ取れなかった。
もちろんそれは私の三島観にすぎないけれど。個人的には三島は、思想ではなく美学の人だったと思っている。あの死に方も、思想ではなく彼流の美学に殉じただけで、ある意味パフォーマンスでしかなかったと。彼は自分で自分の人生、死に様を完全にプロデュースし、あのように演出し、自ら演じた。そういう三島の自意識みたいなものはこの映画の三島からは感じ取れなかった。かといって、学生たちを心酔させるほどのカリスマ性もなく、森田が三島のどこにそんなに魅かれたのかは映画からは伝わってこないし、逆もしかり。
三島と共に割腹する森田必勝を演じた満島真之介の顔の濃さのほうが、もしかして20年後くらいに三島を演じるのにピッタリかも、なんて思ってしまった。純粋さゆえに行動を起こす若者としては、よく演じていたと思うが、彼にも狂気はなかったので、なぜこんな冷静そうなひとたちがあんな事件を起こしたのか、という不思議な気持ちになってしまう。
最悪なのはエンディング曲。井浦新自身も驚いたそうだが、彼が名前を改名してまで日本語にこだわったのに、エンドロールでそのバックに流れるのは洋楽。聞いたこともないBELAKISSというバンドの曲。調べたらイギリスのバンドで、世界にさきがけ日本デビュー、みたいな感じだったらしい。つまり別に監督のこだわりや、歌詞に意味がある、三島にゆかりがある、などの理由で選曲されたわけではないということ。大人の裏事情がミエミエで、ちょっと幻滅。つまりその程度の意識で作られた映画だったのか、と思ってしまった。これでは三島も浮かばれなさそうです…。
- 感想投稿日 : 2020年11月25日
- 読了日 : 2020年11月25日
- 本棚登録日 : 2020年11月25日
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