ワケありな国境 (ちくま文庫 た 61-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (2011年8月9日発売)
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地図を見るのと歴史が好きなので「地歴図」という地図を以前はよく眺めていました。近代になって数多くの戦争等を経て、現在私たちが地図帳で見ている国境が目まぐるしく変化してきたことがわかります。

この本では、それらの国境が制定された時のエピソードが解説されています。学校では習う機会のない、国境の歴史について楽しく読ませてもらいました。

以下は気になったポイントです。

・ロシアはオスマン帝国とのクリミア戦争で大きな出費が続いて財政が火の車だったので、アラスカをアメリカに売却、1867年、1km2当り5ドル=720万ドル(現在価値で100億円程度)、当時のアメリカ全体の税収の1割程度(p16)

・カナダという国は、全ての州が承認する憲法はまだ持っていない、ケベック州との調整がつかないから、1982年に憲法が議会で承認されて公布されたが、ケベック州が承認していない、ケベック州に自治権を認めた憲法原案は他の州が反発(p38)

・キューバの中にグランタナモ米軍基地があり、これはアメリカ領、両国が同意するかアメリカが放棄しない限り永遠に租借は更新される、その中ではどの憲法も適用されず、軍法のみが適用される治外法権地域(p47)

・植民地時代のイギリスでは、イギリス本国に拠点を構える企業の税金は高く、植民地に拠点を構える企業の税金は低く設定された、その名残もあり、ケイマン諸島(キューバ近く)は今もイギリス領(p57)

・1982年にフォークランド紛争がイギリス、アルゼンチンの間で起きた、南極開発の拠点としてイギリスが保有したかったために起きた戦争(p66)

・ヤルタ会談において、ドイツは米英仏ソの4か国で分割占領することに決まった、戦後、ソ連占領領域が東ドイツに、米英仏領域が西ドイツになった(p71)

・1949-60年までに、250万人もの東ドイツ国民(国民の4分の1)が西ドイツに逃亡した(p73)

・1989.10にゴルバチョフが東ドイツを訪問した時、不満を抱いていたベルリン市民が大規模なデモを行った、東ドイツは混乱を鎮めるために西ドイツへの旅行を自由に行けるようにした、この決定を聞いた東西ベルリン市民が壁を打ち壊した(p75)

・もともと英国もアイルランドもカトリックだったが、宗教改革後の1534年、イギリス王家はプロテスタントに改宗した、ヘンリー8世が離婚問題でローマ教皇と対立して離脱したのが原因(p86)

・もともとアルザス=ロレーヌ地方はドイツ系住民が多かったが、17世紀後半にルイ14世がフランス領にしてしまった、、1870年に起きた普仏戦争によりドイツに奪われた、この時に書かれたのが「最後の授業」(p100)

・ハンガリーは1989年、ソ連のペレストロイカの混乱をついて共産党独裁を放棄して民主化に成功、これにより西側オーストリアとの国境を開放したので亡命者が殺到、ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった(p114)

・デンマークは、11世紀には30年間、イングランド島まで支配したこともある、14世紀には北欧国の盟主になっている、このときにノルウェーの保持していた、アイスランド・グリーンランドはデンマークのものになった(p126)

・ソ連を構成していた15の共和国は独立して、東側諸国に残った国、西側に加わった国があったが、ロシア領内にある、多数の自治国や自治州は強制的に連邦に参加させた、その中で反旗を翻した地域がチェチェンである(p135)

・第一次世界大戦にて、オスマントルコ帝国は瓦解して、パレスチナ・イラク・ヨルダン・シリア・レバノン等が作られた、現在のトルコ共和国は、オスマン帝国末期にトルコ民族運動から生じた国で繋がりはない(p147)

・1980年のイラン・イラク戦争は奇妙な戦争、アメリカは表向きはイラクを支援したが裏ではイランに武器の供給、ソ連はイラクを支援する傍らアフガニスタン侵攻、アラブ諸国は基本的にイラク支援したが、シリアとリビアはイラン、この時のイラクの指導者(サダムフセイン)をアメリカは支持している(p158)

・1884年にコンゴ地域の分割を調整するために14か国(英独仏伊米スェ・ノ・ス・ハンガ・ロ・蘭・ポ・オスマン・ベルギ)をベルリンで開催、決定事項は、1)コンゴはベルギーの権益だが自由貿易地域、2)沿岸部支配国が後背地も所有(p170)

・スペインは1975年に西サハラから撤退して植民地を手放したが、それでも残したのが、セウタとメリリャ(p179)

・中国には現在5つの自治区があり、県レベルでも多くの自治区がある、自治区全体の面積は中国全土の65%、そこに56の少数民族(人口比では10%)が住んでいる、独立運動が激しいのは、シンチャンウィグル・コワンシー・チベット自治区(p202)

・サンフランシスコ条約ではソ連は署名をしていないので、ソ連は日本が南樺太を放棄したことを認めていないことになる、国際法上はロシアは不法占拠状態にある(p281)

2012年6月14日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 外国一般
感想投稿日 : 2012年6月14日
読了日 : 2012年6月14日
本棚登録日 : 2012年6月14日

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