回送先:川崎市立宮前図書館
思想家の自伝というある意味ではマイナーなジャンル(多くの思想家の「他己紹介」ならば日本語でも読むことができる。例として、ブルーエルの『ハンナ・アーレント伝』など)から自分探しに明け暮れる社会の風潮を皮肉たっぷりに(しかし自伝を読むという本来の目的を外れることなく)せせら笑う。このアイロニーは率直に言えば評者には痛快と思えてならない。確かに評者も広義の意味では「自分探し」をしている。しかし、それは他人から揶揄されないと分からないものでもある。
自伝を書くという行為はともすれば自分の権威の誇示とも見えてしまうが、しかしやっている行為そのものは何を食べ、何を考え、何を作ってきたか(上野にとってはここが言いたいところなのだろう)ということのサマライズにすぎないわけで、これはそれ相応の教養と知識の上においては「一定のヒラバ」が認められることができる(もちろんそれは建前上に過ぎないのは言うまでもないが)。
無論これには不利な面もあり、それは思想家がしているから「自伝」なのであり、権威のないわれわれ(とされる概念)はプロフィールの露呈しかできないという批判もあろう。しかし、そこに気品を読み取ることはできない。換言すれば、何を作ってきたかをキチンと言葉にすることを怠っている「われわれ」の側の怠慢さが見て取れるのだ。
近年新書のレベルが決定的に低下して評者は諦念の感があるのだが(ゆえに、見切りをつけて洋書に手を出した部分もある)、その中にあって気概を吐く新書ひとつ。立ち読みでは真骨頂は理解できない。レジ行って買うないしは図書館で借りて時間をかけて読むのがいいだろう(ついでにこの本は品のいい古書店で見かけたいものだ)。
- 感想投稿日 : 2010年8月29日
- 読了日 : 2010年8月29日
- 本棚登録日 : 2010年8月29日
みんなの感想をみる