ピンポン (1) (ビッグコミックススペシャル)

著者 :
  • 小学館 (1996年7月30日発売)
3.97
  • (578)
  • (222)
  • (599)
  • (4)
  • (5)
本棚登録 : 2601
感想 : 292

届かない人間の物語が好きだ。『アマデウス』でモーツァルトに届かなかったサリエリは最後にモーツァルトを殺してしまった。『山月記』で一流の詩人になることをあれだけ渇望していた李徴は、夢やぶれた挙句、虎へと姿を変えてしまった。そして『ピンポン』で卓球に青春のすべてをかけた佐久間は、ペコやマイルとの圧倒的才能差に絶望し、競技そのものを辞めてしまう。

 彼らに才能がなかったわけではない。まったくそうではない。サリエリは当代随一の宮廷音楽家であったし、李徴はかつて神童と呼ばれた一流官僚だった。佐久間も全国屈指の強豪校でレギュラーを張るほどの逸材であった。しかし、彼らはそれでも超一流にはなれなかったのだ。作中で描かれる、天才たちの対比はあまりに痛々しい。佐久間にとっては卓球が唯一の自己表現であった。卓球で負けることはすなわち、自らの存在価値の否定である。だからこそ佐久間は誰よりも練習し、誰よりも競技に対して誠実で有り続けた。しかし悲しいことに、卓球に対して最高の向かい合い方をする人間が、最も強い人間であるとは限らない。「卓球は死ぬまでの暇つぶし」と言ってはばからないスマイルに佐久間は負ける。あっけないほど簡単に。
 
その時、佐久間はどれほどの絶望を味わったのだろうか。勝ちたい、勝ちたい、心の底から勝ちたい。そう思ったからこそ、非公式な対外試合は禁止、もし負けたら退部というルールがあるにも関わらず、彼は単身スマイルに挑んだのだろう。しかし自分の限られた才能と肉体の限界が勝利を許さない。お前はここまでだという呪詛が、頭の中で響きわたったかもしれない。結局、佐久間は卓球を諦める。そしてあらゆる張り合いから逃げはじめた。あれだけストイックに送っていた生活は緩み、どこか人生に対して達観したような感覚を持ち始める。

 当然それは不幸なことだ。生きる意味をその内に見出した何かを、手放さなくてはならないのだ。それから彼が自信に満ちあふれた人生を送れるはずもない。最終巻、佐久間の顔は穏やかであるが、それは競技人生を諦めた意味を時間とともに悟り、納得した結果にすぎない。サリエリは嫉妬の余りモーツァルトを殺してしまうし、李徴は、高慢さ・絶望・憧れといった己の内面に侵食され、ついには虎へと姿を変えた。結果こそ三者三様ではあるが、彼らが内面に持ち続けていた感情は近いものがあるはずである。

 それでも、それでも尚、彼らの苦闘は私達に勇気を与える。世の中にはペコやスマイルのような人間ばかりではない。それは競技の才能においてもそうだし、王者のメンタリティーという意味においてもそうだ。私達はそんなに強くない、佐久間と同じように。圧倒的な力の差を見せつけられれば絶望するし、もう前に進めないと思う。実際に佐久間は、あがきにあがいた末、前に進むことを諦めた。彼の最後は惨めだ。不器用を絵に描いたような男にも関わらず、身につくはずのない戦型を覚えようとし、結局挫折をした。諦めきれなかたのだろう、彼は卓球に多くの時間を費やしすぎたから。その時間が無駄だったと思いたくないから、佐久間はしがみついてみた。もう限界であることは明らかなのに。その惨めさに、哀れさに、どれだけ勇気付けられたか分からない。当たり前だが、才能は所与のものだ。それは動かせないし、変えられない。ただ、ひょっとしたら努力は何かを変えるかもしれない。結局、佐久間は変えられなかった。サリエリも李徴も、何一つ変えられず、非業な最期を遂げた。それでも彼らはしがみついた。人生を変えてしまうほどの覚悟をして。

 いつかは努力が世界を変えるかも知れない。それが凡人の美しさだ。天才に届かない秀才の意地だ。その意地が、善か悪か、潔いか惨めか、そんなものは関係ない。サリエリがモーツァルトを殺したのは、確かに嫉妬という醜い感情の発露だ。そしてその醜さは、彼自身の性格に由来することも間違いないだろう。しかし私は、彼に共感する。彼のメッセージが分かる。彼はモーツァルトを殺すという努力をした。それで世界をなんとか変えようとした。無駄だということは、ほとんど分かっているのに。それでもせずにはいられないのだ。彼にとって宮廷音楽は、ちっぽけなプライドを構成するすべてだったのだから。

 李徴は虎になってなお、詩を詠んだ。しかし詩は「第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか」と親友に評されるほどの出来にすぎなかった。なんという惨めさだ!虎に身を変え、絶望を歌に託し、懇親の力をこめて詠んだ歌であるのに。しかし忘れてはいけない。李徴もまた必死でしがみついた。一流でないことは自分がよく知っている。これ以上恥を晒したくもないだろう。それでも彼は努力をした。そして捻り出して歌を作った。そこでは、その努力が無駄かどうかという疑問は意味をなさない。なぜなら、どこまでいってもその努力が無駄なのは明らかだし、違う意味においてはその努力は何よりも価値があるということもまた、明らかだからだ。

 彼らの気持ちが痛いほどよく分かる。私自身、深い嫉妬と届かぬ羨望を常に持っているから。私は、私の尊敬するあいつにはなれない。人格が違う、努力の量が違う、懐の深さが違う。それでもなお、一度でもあいつに勝ちたい。お門違いな嫉妬だ、それは間違いない。それでも、あいつに劣ったまま生きることは、私のちっぽけなプライドがなぜか許してくれない。あぁ、だからサリエリはモーツァルトを殺さざるを得なかったのか。彼は人間的にもモーツァルトのことが好きだった。少なくとも、モーツァルトを理解しなかった彼以外の宮廷音楽家の誰よりも。それがまた、サリエリの負った呪いなのだ。誰よりも才能と人間性を認めているモーツァルトにだけは負けたくない。友人だから対等でいたい。与えられたいのではなく、隣に立っていたい。そういう凡人の非凡な願いが彼をどこまでも苦しめた。身分違いな願いだということを痛いほどよく分かっているからこそ、その痛みは身を裂く。恥ずかしくて情けない。

 あいつはいいやつだ。私にとっても本当にいいやつだ。それでも私は彼に醜い感情を持つことを止めることはできない。

 彼らはそんな自己嫌悪に意味を与えてくれる。

 サリエリは私を許してくれる。どんな汚い感情だって持つことがある、凡人だから。
 李徴は私を理解してくれる。嫉妬に狂い、己の内面を呪うことがある。凡人だから。
 佐久間は私を勇気づける。努力の末に届かず、諦めることがある。凡人だから。

 そんな凡人たちの物語が、届かない者たちの叫びが、いつでも私を支える。まだ諦めないぞ。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年1月14日
本棚登録日 : 2013年1月14日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする