耳の傾け方―こころの臨床家を目指す人たちへ

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  • 岩崎学術出版社 (2015年6月12日発売)
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とてもよかった。勉強したい、話が聴けるようになりたい。

以下引用


クライアント/患者のこころを理解しようと聴くとき、彼/語ることにただ一心不乱に集中すればよいというものではない

聴かれている人が、私の真の思いを理解されている、私のほんとう思いをわかってくれた、たしかに私は心の深いところで私はそう思い続けていた、その思いに気付いてもらっているという意味深い私的な情緒体験として味わうものです

無注意の注意

わたしたちが患者の発言をただまる飲みしていただけだった、それらの発言にある思いを噛み締めて味わうことができていなかった

こころを理解するための聴き方を通してこころに出会うこと、こころに触れることは、彼/彼女の思考や感情を客観視して名前をつけ、既存の論理を操作して説明するという知的な作業ではありません

わたしたちの頭に収められている概念や思考を、そのクライエントに当てはめる関わり方ではこころにで会うことはできない、こころにふれることはできない

知的認知が先走るところには、こころの真の理解は生じない


既成の概念をただ貼り付ける、あたかもわかったかのような理解がはっせいするだけ

誰かにあなたはこれこれ、例えば自己中心的、偽善的、傲慢な人ですと客観的に認知したネガティブな性質を含んだことを伝えるとする。その誰かとの関係が理解が分かち合えるこころが触れ合っているものであるなら、その人は私たちの伝えることを、こころで受け止めて、こころで消化して、その人の在り方に変化をもたらすでしょう

わたしたちもが同調的に対応すること自体が、そこに投影による特異な関係性が成立しそこに引き込まれているこを伝えている。すなわり、投影、逆、同一化という在り方に陥っている。

語られている言葉をただ耳にいれるなら、確かにそれは受動的なそれですが、しかしそこには聞き手の意図が確実に働いている。→その発言の背後にある発言者の意図や、認知について理解できるチャンス。聞き手は、中立性というか、境界に立って、そこへ同調を拒みながら、しかし、一緒に居るという特異な在り方でそこにいられる。

これらの発言を受けて、そうしないといけないと考えるのは、同調しているということ

つっこみをいれることをしない。疑問や感嘆、当惑、苛立ちなどをあえて口にしない。

できる限り言葉を挟まない。感情が高まってつい言ってしまったということを極力しない

聴き続けるか、それとも支持的に示唆するか、迷ったときは沈黙を選び、聴き続ける


この話題がどうしていま出てきているのかそれがよくわからないところがあるので発言は控えた


この話題ははじまったばかりで、もっと聞く必要がある


面接者はその問いを発してもよかったかもしれません、しかしこれらの疑問に対する問いかけはそのわけのわからなさにそのままついていくことにわたしが窮屈さを感じているにすぎない、ことばをはさまずついていけばいい

4つの話題が語られ、そしてそこまでの話題に通底するクライエントの思いを初めてことばにします。それへの反応は、理解されているということを表す表現でした。面接者のことばは、こころにふれるものであったようです

聴きながら面接者はさまざまな問いや思いを内側に浮かばせていきます。しかしそれらをこころに留め置き、クライエントの思いにそのままついていくことを優先する、クライエントのこころに的確に出会うためです

面接者は口を挟まず、そのまま聴き続けるべきだった

傾聴を手放し、問いを発したことで、かえって事態を理解しにくくしてしまった

クライエントの話に耳を傾けながら、【と、その人にとっては心的事実である】という視点が確保されることが大事
→これ、さらっと書いてあるけれど、とんでもないことだと思う。それを、あくまで主観だと判断する基準に、カウンセラーはいなくてはいけないということ。ではその基準は何によって担保されるのか。どこにそれを置けばいいのか。

彼の語っているところを主観的な事実と認識する視点をも保持するところに留まるのであり、そこに私たちの常識や知識を持ち込んで比較対象することではない

彼の語るときの思いに入り込んでkたこと、クライエントとすっかり一体化していたことを表している、それは大事だが、しかしずっとそのままではカウンセラーとしては困ることも明らか


彼らに同一化しつつ、客観的にもとらえる

離れた視点からの客観的な認知は、理解者ではなく、批評家であり、評論家

他者と感情的に融合することを無意識に恐れていると、距離を取って離れてみがち

彼の見解を十分に傾聴せず、彼の語ることに含まれる矛盾を指摘していきました。その指摘は客観的に正しかったとしても、批判的な響きを含んでいたため彼は怒りだし、殴ろうとした。

近づいた関係を作りながらも、ほどよい距離、両者が味わい考える空間のある距離を持つ必要性を学ぶ、臨床家になることは、こうしたまずかった経験から何かを学ぶこと

客観的な観察眼が確立されるぎてしまい、その視点の下に自分の主観的な思いが従属すさせられるだけ、こころを主体の感覚としては理解しきれないのです

知的な在り方に満足し、それを誇り拠り所にしているので、泥臭さや不器用さを受け入れられない

わたしたち自身の感覚、思い、記憶に重ねて味わい聴く。それができるには、患者自身とのであい以前に自分がそうした感情にふれており、事前に意識的に馴染んでいなければならない

私たちの中に劣等意識や嫌悪感があって、その何かの思いにわたしたちが自分で触れられないのなら、そのクライアントがまさにその思いにくるしんでいるときに、それが。私たちにわからない

自分の思いに情感に伴って触れた範囲でしか、クライエントのこころに触れられない


倫理的に正しくても、何も考えないイノセンスに留まることこそ危険

自分の中にある性的倒錯、虚偽性、反社会的な思いに出会っていることが必要


訓練の方法は、自己分析。自らを感知し、意識化する作業。できる限り、こころの容態や動きの特性を知り、できるだけ分節化されらことばにするという言語化。その積み重ねが、他者の思いにふれることにつながる

クライエントに開かれた状態にするには、不断の自己分析が必要。私たちのこころについて、何かに新たに気づく感受性が保たれていることが、他者のこころに気づきやすくしています


自らのこころをフルに活用すること

自他の分化があいまいになる、精神病的感性。極めて病的な人が臨床センスが素晴らしい鋭さを持つのはこのため。クライエントと直ちに融合する。しかし自他の分化や意識無意識の分化が失われやすいナルシシズム的なこころの状態に対し、患者の深い思いを鋭く感知すると同時に、離れてみることができる、自分の心に動きを意識化できることが求められる。

近似から、違いを繊細に感知し、そこに自然に生まれてくる問いを吟味する、そこに患者その人の主観的な世界での独自のあり方を理解していく術がある

同じ感覚にあるずれを細部に感じ取る


精神分析的リスニングの背景は、クライエントの彼ら自身も触れていないだろう、こころの深いところに置かれている思考や感情を理解しようとする姿勢が面接者側にある、この深い無意識は、ことばだけに収まらず、彼らの些細な振る舞いや態度、空気を含めて表出している

こころを揺蕩わせる


正確に聴き取ろうとするのではなく、語られることび耳を傾けながら、発言を聴きいれるこころにある私たち自身のこころを漂わせる。

表面に見えている単純な受け身のかかわりではない。意識的な意図性は排除されているが、無意識のこころに作業は能動的に営まれている→アート作品を聴く時の態度に近い気がする、焦点合わせず、それがさし
示しているものを、感覚として感知する感じ


自分を盲目にする、能動から受動、身を控えた受け身的な聞き方、方向づけなしに聞く


既存の知識と積極的に照合してそこに理解を作り出すという作業を止める→無分節的、間主観性といったイメージが想起される。前言後的に聴きつつ、しかしそこに身体的な感知により、その人の深層を流れるロゴスを覚知するイメジかな

防衛的に準備して打って出てしまうそれをやめ、そのような構えをゆ準備せず、自分の中に起こる自生的な応答に身を任せましょう

私が、私自身を、クライエントの主観的世界の中に位置づけ、そこから感じ、そこから眺望する

クライエントの主観的な世界の中からのパースペクティブ

面接場面でのこうした事態は、クライエントのこころの内界において今日に至るまでに生活経験を通して蓄積している内的な対象に基づくもの。つまり、過去に蓄積された無意識の記憶に基づく予想、それをわたしたちは、クライエントから重ねられている、イコール転移。

クライエントにより、面接場面に投影自己同一化された彼の内的世界の中にわたしたちは身を置くことになっている

つまり、面接において、私たちは、クライエントの主観的世界の中にいる、そこに住む対象として扱われている

それは恐ろしい事態だが、しかしこの位置にいることは大変得難い貴重なこと。私たちが理解しようとしている彼のこころの世界を体験できているから。ですから、この位置を生かす聴き方が求められる。ここに難しさがある。それはしに位置に留まるだけなら、それはlそのクライエントにがもともと持つ世界の反復に付き合うだけになってしまう、その変形に寄与することが面接者には求められる。

転移は過去の反復


内的世界が、面接室内。外界が内界に染まる。その投影を受け入れて、クライエントの世界に居て、その世界に出会う


彼女自身の投影同一化。私が支配されている無残な彼女になっている。それはいつもの彼女


転移をもたらしている投影同一化に気づかないと、クライエントにこころの世界の誰かとして扱われ、わたしたちも誰かのようにふるまい、反復にお付き合いしてしまう

その投影を受け入れて、転移に気づき、考えることは、クライエントのこころの世界に出会うこと→今、このクライエントにとって、この私は誰なのか、なんなのか?

ただ受け身的に聴いているだけだと、転移されているこころのなかの世界を支配している脅迫反復に圧倒される、このとき、投影状況から抜け出そうとするのは、彼らのこころを理解する機会を放棄すること。そしてこの行為もまた、彼らの世界での役割を演じていることなのです。

患者の無意識は、面接者の無意識によって感知される

なぜこのときにこの話を繰り返すのだろうかと、私は思いました。そこには何かある、しかしわからない、だからそのまま聞いた。そして対象の不在だということがわかった、選択された事実が直感された

平等に満遍なく漂う注意を向けない聴き方が、直感的な理解を生み出す


わたしたちがかかわるのは、こうした傷つきに苦しみ、それを扱えない人たち。

転移とは、こころに蓄積された過去から現在までの外的出来事と、それに付随することから出る、世界の様相そのもの。無意識に、忘れ去られた抑圧された乳幼児期の体験を、想起せずに行動化すること、つまり記憶としてではなく、行為としてそれを再生し、治療者に対し、振る舞っている。反復脅迫。

聴くことから五感で感知する
鍛えられた直感、選択された事実の発見、転移の中に生きて、患者を感知する→発見号もそうだな、あれは転移だ。

不快なのや、失礼をされつつ、そこからその人のこころが出てくるという発送はなかった

自然とやっていることもあり、それを言語化する面白さもありつつ、しかし転移の話は面白かった。

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感想投稿日 : 2021年5月11日
本棚登録日 : 2021年5月11日

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