新装版 昭和史発掘 (6) (文春文庫)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167697051

感想・レビュー・書評

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  • ニ・ニ六事件。今は歴史上の出来事になってしまった感じがあるが、生々しい描写を読むと考えさせられる。一つ想像するに、これこれの理由があるから蹶起するというより、蹶起有りきだったのではないか。自分の経験上、「…じゃ、会社を辞めます」と言った瞬間アドレナリンが出た。そこから相手が理解しやすいように理由をいろいろ考えた。事の重大さは全く違うけれども。そして、軍隊という閉鎖された空間で考えが煮詰まっていったのではないかと。もし、自分があの場にいたらどうしただろう。

  • 骨太。
    果たして平成史を書ける知識人はいずこ?

  • 20代の人に
    もっとこういう本を読んでほしい。

  •  さて、決行前夜までの話。安藤大尉、栗原中尉といえば、恩田陸「ねじの回転」で読んだばかりなので馴染み深い。こっちを先に読んでおくべきだったよなと思う。といいながら、この巻はは北一輝や西田税のほうから説き明かされる。北が革命下の中国を放浪するくだりなど、事件とは直接関係ないのだが、これは昭和史であって二・二六事件史ではないので、書き落とすことはできないのだろう。そしてじりじりと時計の針は回り、決行前夜までの安藤の逡巡など、まるで小説を読んでいるようだ。おもしろいのだが、この巻ばかりのことではないが、史料引用部の戦前の漢字カタカナ交じり文が読みにくく難渋する。一応時系列に沿ってはいるのだが、ひとつのイベントを複数の関係者のそれぞれの面から書き起こす必然として、時間がいったりきたりしたり、同じ出来事が何度もでてきたりするのも読みにくい。いっそ整理して小説にしてしまえばとも思ったり。

  •  戦前の軍部は、新政府の長州族と薩摩族の対立抗争と民間の会津族などの反政府族によって演出、近代国家的体裁が出来つつあった時点で、列強の近代国家群の「日本」を取り巻く「歴史」を潜り抜け、軍部は皇道派と統制派の対立にいたった。■皇道派の犯した2・26事件について、内から抉った論述が、清張節によって語られる。民間の北一輝、西税、それと対立する大川周明達の一派、青年将校の磯部浅一、安藤輝三大尉意、栗原安秀中尉、などなど2・26事件の思想と情念や血気に対する態度が、人物を経た動きが語られている。安藤大尉のクーデターに参加すべきかどうかの葛藤は、生なましく兵を預かるものの責任と社会に対する義憤の相克が丹念に描かれている。清張は、こういった「責任」の引き受け方が、「人間」くさい人物を描くのが得意であり、また絶妙な正確分析がなされる。■当時は1919年の一次世界大戦の参戦国の貿易は激化し、日本は20年に一億円の貿易赤字に陥る。輸出という外需が減少したため、21年の卸売物価変化率は前年の10パーセントからマイナス22.8パーセントまで低下。その後23年、24年及び28年を除いて31年まで卸売物価は低下し続けた。需要の減少による物価の持続的低下という典型的デフレ不況が1920年代の十年間も続いたのである。1930年井上蔵相は旧平価での金輸出解禁に踏み切り、財政政策を緊縮型に転換する。為替レートの切り上げを伴う金輸出解禁によって貿易収支の悪化が予想されたからである。この政策は、内需を抑制し、生産の増加率を落とし、生産のために必要な輸入を減らす必要があると考えたから行われたのである。しかしながら、この政策は浜口雄幸という国民からの圧倒的支持を得た政権が行った「善意」と「倫理」感から断行された政策でもあったが、需要を減らせば、更にデフレに陥る愚直な政策でもあった。この緊縮財政策によって、昭和恐慌は、個人の倫理観から見たら正当であっても、全体のマクロから見たら間違った政策によって引き起こされたと結論することが出来るのである。30年の消費者物価は10・2パーセントもの低下を記録し、企業は大幅な人員削減と賃金の切り下げを実施することになる。温情主義的な経営で労使の対立が起こらなかった鐘紡ですら、大ストライキが起きる結果となった。このような深刻なデフレ不況であり、農村部では、欠食児童、婦女子の身売りが横行したえげつないほどの困窮きわまるデフレ不況となったのである。■1931年9/18関東軍石原莞爾、板垣征四郎が「柳条湖事件」を切っ掛けに満州事変、同じく31年12月に高橋是清蔵相金輸出の再禁止。管理通貨制に移行し、是清の大胆な日銀国債引受策によって、日本経済は世界恐慌以前の経済状態に移行。マネーサプライは32年には2年続きの減少から増加に転じ、総需要も増大し、産業界も活況を取り戻した。35年国体明徴声明、そして運命の36年、青年将校約20名、その部下たち1400名に及ぶ軍事クーデター2・26事件が起きる。日本のケインズであった高橋はこのクーデターの発起人である皇統派によって暗殺される。■こうした高橋の卓越した経済金融政策が、述べられていないのは、残念である。というのも、青年将校は、農村部の出身であり、困窮を目の当たりにしていたのでえある。経済政策の貧困が、東北の農業にも大きな影響を与えたのである。不況と不作にあえいだ農民層を解放するため、また腐敗する政治家を一掃するためにも、北一輝の「国家社会主義」の思想の下(特に磯部浅一が重要)に決起したのである。青年将校には、貧困をなくし、平等であるとする北一輝の「社会主義」の思想に共感したものも多かったのであろう。高橋是清もその想いは同じであったのだろうと思う。経済の建て直しにより困窮を断ち切ろうとしたが故の日銀による国債引受政策(リフレ政策)を採ったのである。運命の悲劇といおうか、その83歳の高齢な高橋を攻撃対象にすることを磯部浅一は強硬に主張した。高橋は中橋基明中尉、中島莞爾中尉によって殺害される。■青年将校は、3月に満州への配属される予定だった。2月は彼ら皇統派青年将校たちに残されたぎりぎりの時期であったのである。1400名の総決起する前夜の様相が、興味深く描かれている。■なお、清張は軍部ファッショとしているが、2・26事件にもまた北一輝の思想にも、その様相は全く無い。「拡張侵略の意志」は、この皇道派の思想である北一輝の国家社会主義にも全く認められないからである。天皇による裁可を求めるという革命方法が、決定的に間違った方法であったのであって、膨張主義は同じ陸軍の統制派にこそ認められる。それ故、2・26事件後 、荒木貞夫大将、真崎甚三郎大将などが陸軍中枢から排除され、決起した皇道派は統制派によって処刑され、統制派が中枢を占めることになる。彼らの「膨張主義」と度を越した強硬姿勢と当時の新聞マスコミの煽りとそれに対する民衆の圧倒的支持によって、国家総動員へ突き進むこととなったのである。

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著者プロフィール

1909年、福岡県生まれ。92年没。印刷工を経て朝日新聞九州支社広告部に入社。52年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。以降、社会派推理、昭和史、古代史など様々な分野で旺盛な作家活動を続ける。代表作に「砂の器」「昭和史発掘」など多数。

「2023年 『内海の輪 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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