- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594056353
感想・レビュー・書評
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今枝弁護士の苦労、人柄がよく伝わってくる。
極悪非道か凶悪犯罪を目の当たりにする度に、「こんな奴は生かしておく必要も価値もない」「自分の犯した罪は決して消えないしどれだけ反省しようが後悔しようが遺族は許せないし更正なんて建前に過ぎない」なんて憤りを覚えて極刑を望みがちな単細胞の自分にはとても意味のある、考えさせられる一冊だった。
もちろんFの犯した罪は決して許されない。
彼の育った不遇な家庭環境には同情の余地はあるが、だからといってあんな惨いことが許されるわけはない。ということは今枝弁護士もよくよく身にしみて分かっておられて、彼が言いたいのはそこではなく、もっとそもそもレベルの、フラットにノンバイアスに多角的に見ることなんだと思う。
ただ、テレビ、ネット、スマホ、SNSと様々な情報に囲まれる自分たちにとって、物事を客観的に見るというのは非常に難しい…とも同時に痛感させられる。
橋下徹の懲戒請求扇動とFの父親は本当に胸糞悪い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
加害少年の弁護人である作者は死刑廃止を訴えているわけではなく、あくまで真実をまっすぐに理解してほしい、そのうえで公正な裁きをと考えているのはわかる。弁護士は私情を挟まず依頼者(加害者)の利益を最大限に守るべきである、というのもわかる。少年の不幸な生い立ちを訴えてはいるが、だから許せるものではないことも事実であり、やはり死刑判決は妥当だと思う気持ちは本書を読んでもかわらなかった。弁護士という仕事を知るにはとても良い本だと思った。
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関係した弁護士によるモノローグである。
なので取材によって客観性をもたせたものではなく、文体にも「かもしれない」「と思う」という言葉が頻出する。
もちろん弁護団の一人として関わった人物なので、中にいたからこそ書ける内容もあるのだが、はやり「弁護士」としてどう在るべきかという考察に徹し、事件そのものをどう捉えるべきかという問いかけの答えとしては物足りない。
使われている言葉も、裁判関係の引用以外でも小難しい言葉が多く、対象としている読者の設定がどこにあるのか不明。法曹人というのは日常的にこういった文言でやりとりしているのだろう。
今枝仁という人物がどういう人間なのかという説明が全体の1/3を占めており、プロフィール本か?という感想に至ってしまったので残念だが、
この事件に興味をもって、少しでも立体的な理解をしてみたいと思うなら読んでみるべき一冊である“かもしれない”。
事件に関しての全体像を知りたいのなら、
事件発生から、死刑確定後の大月孝行とのやりとりまで一気に読める
「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 」門田隆将著
のほうがオススメ。 -
犯人の元少年に死刑判決が確定した光市母子殺害事件。差戻控訴審の判決を前に,弁護団の一員が書いた本。と言っても,著者は弁護人を執筆時点で解任されている。
弁護団内部のごたごたや,著者自身の半生なども混じっている。著者は大検をとって遅れて大学入学し,検事に任官するが半年でやめるて,弁護士をノキ弁でスタートするなど,だいぶ紆余曲折を経て弁護士になったようだ。法廷や記者会見で号泣するなど,なんだか感情的になりすぎの感じが危うい。
本書もかなり熱意がこもっているようだが,上滑りな感じも否めない。弁護団の中で浮いてしまい解任されるに至るのもむべなるかなという気がする。もっとも他のメンバーも熱血漢が多いようだけど(当然か)。
第七章で,著者の見立てる事件の真相を描いている。曰く,強姦の計画はなかった。排水管検査で各戸を回っていたのは,人との会話を求めつつの単なる時間つぶしで,あわよくば人妻との和姦,という軽い妄想くらいはあったかもしれないが,強姦の意図も,ましてや殺人なんて全く想定していなかった。ただ,成り行きで気が付いたら妻子を殺めていたということだ。
ちょっとこのストーリーは社会的には受け入れられないだろうなと思った(事実受け入れられなかったわけだが)。あれよあれよという間に重大な結果を招いてしまうことはなきにしもあらずだけれど,このケースではちょっと。
しかし長い時間が経った。犯人の元少年も,自分が犯したこととはいえ,もはや遠いかなたの夢のような出来事になってしまっているだろう。月並みには,真相は犯人のみが知っていると言うけれど,そのようなはっきりした真相など,すでにどこにも存在しないに違いない。 -
光市事件の死刑確定判決がでたこともあって、久しぶりのレビューです。
この本は非常に内容が重たくもあるのですがいい本です。
この本は光市母子殺害事件弁護団を解雇された泣き虫弁護士”今枝仁”さんの本です。前半は、今枝仁さんの伝記のようなことが書かれており、中盤から後半にかけて光市事件のことについて書かれています。光母子殺害事件は当たり前ですが、被害者である本村洋さんに焦点を当てた報道が目につきます。2006年に最高裁から差戻審が出てからそれまでの無期懲役の流れから死刑へと流れが変わりました。そのころからメディアは大きく取り扱っていたわけですがメディアの報道はどこも内容が薄いものです。
この本には光市母子殺害事件のひとつの事実が鮮明に書かれていて内容も非常に濃いです。裁判員制度によって誰もが死刑判決を下す可能性がある中で、死刑について深く考える上でも良い本だと思います。
内容は非常に重たいですが、非常に考えさせる良い本でした。時間があるときに一気に読むのをお勧めします。-
2012/02/25
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光市母子殺害事件の被告人の21人の弁護団の途中解雇された一人の弁護士の著書。
残虐で猟奇的な殺人事件で断片化されワイドショー化された報道に感情的に偏向しない姿勢が大切だとわからせてくれる。
元少年と深く係わり、身元引受人にもなった著者の「思い」が伝わる一冊。
彼は本書の中で紹介されているTV番組に死刑判決が出たあとに出演。その思いを語っている。
「人間として1点、実際、予測はできていたとはいえ、死刑判決を受けて、一人の自分が愛情を注いだ人間が殺されていくっていくっていうことの意味がどういうことなのかっていうのが、想像はしていたんだけども想像を超えてました。だから、本村さんの気持ちは遥かにその想像の彼方にあったということがひとつの感想です。本村さんの心境は想像したつもりで、想像できていない遥かに深く重いものだったんだということを、本当にわずかな期間接しただけです。だけどもこんなにつらかった。それが愛する妻とわが娘だったらどれだけつらいか。判決を受けて僕が思ったのは、一番欠けてたのは想像力だった。」
死刑の宣告により、今まで見えなかった何かが見えるようになる。
それは被告人、被害者遺族、弁護士それぞれの思いが片方向の感情でなくそれぞれの感情として見え、その責任が自分の背中に乗った瞬間なのかもしれない。 -
著者によれば、「悪魔」と呼ばれた少年は
<強姦目的で個別訪問したわけではなく、暇つぶしのいたずらだった。たまたま優しい人に当たったので、母親に甘えるように抱きついた。
抱きつかれた女性は激しく抵抗したが、抵抗された少年はパニックになり、黙らせようと首を絞めた。女性が死んでしまったので、生き返らそうとして屍姦した。一緒にいた赤ん坊が泣きやまず、夢中で首にひもを巻いた。結果赤ん坊も死んでしまった。
赤ん坊を頭から床に投げ落とした事実はない。
自分のやったことがばれたら父親に殺される(少年は日ごろから父親に虐待されていた)と思い、死体を押し入れに隠して逃げた。>
のだそうです。
こうして論旨をまとめながら、「少年」という呼称に違和感を覚えます。出来ごころの万引きじゃないんです。傷害致死でも過失致死でもない、殺人なんです。
人の生きる権利を根こそぎ奪ったら、自分が死ぬまでその罪を背負って行くのは当たり前の償いじゃないでしょうか。
刑事裁判を担当する弁護士の大変さはよくわかりました。大阪府知事である弁護士のスタンドプレイが、他の弁護士の活動をいかに不当に害したかもわかりました。
でも、少年法の精神が分かりません。殺人者でも名前を発表してはいけない、しかし死刑を禁じないという少年法は、プライバシーを守って命を守らないおかしな法だと思います。 -
まぁ両側から物事を見ることが大切だとは思った。
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「母胎回帰のストーリー」「復活の儀式」等等、荒唐無稽な主張を繰り返した光市事件の弁護団の1人が書いた本。
物事は多面的にみるべきという考えの下で購入したものの、半分以上は著者の自伝だったりして、結局のところマスコミで言われる荒唐無稽な記述に対する言葉は少ない。
自伝部を飛ばし、光市事件の弁護者側の観点のみを読んだが、弁護士と思えないぐらい非論理的感情論が目立つ。売却済。