古川ロッパ昭和日記 戦中篇?昭和16年‐昭和20年

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  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (905ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794930170

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  • 古川ロッパが書いた日記の昭和16年から20年7月分をまとめたもの。900ページの大作であるが、戦争が始まるところから、終戦直前までの日本社会の状況が克明にわかる。戦前編と比べ、1日分が長くなっており、1日の出来事が詳細に記載されている。戦争がはじまると国民の間には高揚感があり、ある意味、開戦を喜んでいるようにも思える。戦中は、戦果に一喜一憂し、品不足に苦しみながら懸命に生活しつつも、戦争はどこか他人事のような、遠い存在のようにとらえているように感じられる。昭和19年11月から空爆が始まるが、このころから生活と戦争が一体となり、戦争が社会生活に大きく影響し始めたことがわかる。その時の古川ロッパの考え、思い、決断が正確にわかり、回想とは違う大きな意義のある極めて貴重な資料といえる。とても勉強になる一冊であった。

    「煙草「チェリー」が「さくら」と改称。箱に「桜」と一字入っている。何というバカな話(S16.1.7)」p13
    「田舎者の撮影見物は、ポカンと口をあいて、無遠慮に、役者の前へ立ちはだかる。大体その見物人の態度で、その土地の文化程度がわかる(S16.2.4)」p24
    「陸軍の軍人、情報部の役人などは、毎日こうして方々から招待されるものと見え、芸妓なども「昨夜はあれから何うして」なんて話している。ヘンな世の中だ(S16.2.8)」p25
    「ルゴールを塗り、アスピリンを飲んで床に入る(S16.2.9)」p26
    「陸軍航空本部の西原少佐に招かれ、白井鉄造・エノケン他宣伝部員みな東宝系、鳥のバタ焼を食べる。話は結局この夏までに飛行機物をやって呉れといふこと。手回しがいい(S16.3.26)」p44
    「麻布の伊太利大使館へ。伊太利大使が我国の傷病兵を招き、慰問する、その余興にたのまれたわけ。宝塚の歌と踊り。大使から記念品として、銀のシガレットケースに伊太利語で何か彫刻のあるものを呉れた。茶菓、これがうまし(S16.4.8)」p50
    「北支南支中支の兵隊さんからのたよりに一々、ブロマイド入りの手紙六通書いた。やっぱり書いていると、しみじみ気の毒な気がした(S16.4.12)」p51
    「顔洗う前に、古賀氏にもらった電気剃刀で、髭を剃ってみる。グーッグーッと音がして、ハイカラだが、上っ面を少しばかり刈り取るだけで、ホる剃り方は出来ないので、具合よくない。珍品として保存するのみ(S16.5.5)」p60
    「コーヒーの代用品、現今の多くは、柿の種ださうである。柿の種を煎じたのをコーヒーだと言って飲んでいるとは。ああもう、コーヒーは飲めない(S16.6.8)」p73
    「出征頗(すこぶ)る多く、日の丸の旗のサイン毎日何枚かさせられる(S16.7.14)」p92
    「ジョニウォーカーの黒は、翌朝が快適だ、オールド・パアよりずっと快い(S16.7.17)」p93
    「世間に召集多く、夜食の話題も自づと沈む(S16.7.17)」p93
    「ゆっくり寝たいと思ふのに、朝七時半、防空演習のさわぎ、焼夷弾が落ちたとか何とか言ってワーワー言ふので目が覚めちまひ、日記する(S16.10.15)」p136
    「起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米つひに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛に軍歌を放送している。食事、ラヂオは、我軍が既に空襲や海戦で大いに勝っていると告げる(S16.12.8)」p160
    「切っぱつまっていたのが、開戦ときいてホッとしたかたちだ(S16.12.8)」p160
    「ラヂオは、我軍の活動を告げている。二階で手紙を書き、何となく日米戦のため落ち着きを失っている自分を感じ乍(なが)ら、机辺の整理をしていたが、ラヂオが気になって階下で火燵(こたつ)にあたり乍ら、きく(S16.12.9)」p160
    「わが海軍は強い。盛に戦果をあげている。心強い、しっかりたのむ(S16.12.9)」p161
    「戦に勝っている喜びは全くたとえようがない、よくぞ日本に生まれた。今日は香港が陥落した。強い、実に日本は強い(S16.12.26)」p169
    「巨艦(三万三千噸)レキシントン撃沈のニュース出る(S17.1.15)」p181
    「大阪は食物欠乏が激しい。米が無くなったことも度々あるさうだ。東京は、天国だ(S17.2.2)」p189
    「ラヂオのニュース、シンガポール陥つの歌が早くから階下でガトガト叫ぶので眼がさめちまふ。朝風呂をお祝ひにたてるかと思ったが、やって呉れない(S17.2.16)」p195
    「浦野富三がすすめるので、海軍司令部へ、おめでたう言ひに行く。南へ出て、南街映画劇場へ行き、ここで又桜井バンドの演奏中にとび出し、模写をやり「これはタダです」を連発して引込む。それから座へ出て、客席廊下で債券売りの手伝ひ。今夜より、シンガポール陥落ダンス差加へる(S17.2.16)」p195
    「海軍主計少佐和泉氏より北の新地へ取りに来いと電話、何と! 行ったらジョニオカー赤二本呉れた(S17.2.16)」p195
    「八時すぎ頃、半鐘がジャンジャン鳴っているのを夢うつつにきいていると、なをがやって来て「本ものの空襲警報らしうございます」といふので寝てもいられない、起きて風呂へ入る。落ちつけ落ちつけだ。ふーむ何うも仕方ないナとひとり言言っていると、ラヂオで横須賀鎮守府発表、空襲警報解除と来たので一安心(東京初空襲は、17.4.18)(S17.3.5)」p203
    「昨朝は全く緊張した気分になった、飛行機の音をきくと、誰しも、ひょっとこれが敵機では、と思ひ、不安を感じる。今夜はもう落ちついたが、戸山ヶ原で機銃の音、高射砲らしい音、やっぱりそれをきくと、ヘンな気がした(S17.3.6)」p204
    「海軍省から真珠湾の九勇士の劇化上演をすすめられたから、四月狂言の中一つを引込めて、つき代へることにすること相談(S17.3.7)」p204
    「及川大将の招待あり。十一時半迎へ来り、芝水交社へ。有楽座へ靖国の遺族招待をするので、その礼に招かれたわけ。及川大将感じよく記念撮影して、食堂へ。パン、スープ、オルドヴル、肉と珍しいものだったがおかったるく、まだ食ひたいので一笑軒へ急ぐ(S17.4.17)」p222
    「(東京初空襲)二三カットを終った頃、空襲警報だといふ。騒然としていると、今はすっかり晴れた空に、飛行機数台飛び、はるかの空で高射砲を浴び出した、あれッ今のは敵機か。さあ大さわぎ。晴れたからオープンの撮り残しをと、ハリキっていたのだが、この騒ぎで中止。ラヂオが今敵機襲来し、九機撃墜したとのニュースを伝へた。演習みたいな気がしていたのだが、本ものと分ってびっくりし直す(S17.4.18)」p223
    「とろとろとした頃、サイレン鳴り渡り、カンカンと半鐘鳴り出した。女房は起きてモンペをはき、防護団へ出た。二時十分だ。表は俄然人の声「空襲警報発令!」と声を嗄らして叫んでいる。何たることだ、わが国土へは一機も入れないぞと豪語していた軍の連中、天子様の御心を騒がせ奉り、何と申し訳をする気だ。防空演習の時なら、こっちは高鼾で寝てしまふ所だが、それどころではない、床へ腹ん這って、ただ困っている(S17.4.18)」p223
    「一時頃か、空襲警報発令、芝居していても落ちつかない(S17.4.19)」p223
    「新体制以後の競馬は、まるでひどい目にあふばかり、二百円ついても五十円は債権だし、配当率も税にとられて、ひどいもの(S17.5.16)」p237
    「ものの値段の馬鹿馬鹿しく高くなりしに呆れた。デパートを歩いて、紙屑かご四円、玄関に置く傘立て七円などには苦笑しちまった。百円が昔の十円だ(S17.7.10)」p262
    「築地のいつもの所で車を下りると、まく暗だ、アレ防空演習が、このへんは今夜なのかな。と!窓のすぐ下で、バン!と音がする、ワーッと人声、バケツ運びが始まる。「みんなバケツ持って出て下さァい」といふ声、パン!パン!と又爆音。ジャブジャブ水かける音。それが終って、男の声「番号!」女が「一二三四五六...」男「番号もといッ」こいつはたまらん、酔っちまはう、秘蔵のブラック・レベルを抜く。芸妓そろそろ来る。「あひにくな日ねえ、十時に解除ですってさ」そのうち、「訓練警戒警報解除、警戒警報解除。電気の覆ひを除って下さァい」と叫ぶ声。芳蘭亭の支那料理と、一笑軒の折詰で、芸妓? ええそんなものもいましたっけといふ感じ。あたしもね、今夜ってえ今夜は、もう芸妓買ひてえものはやめようと思ったね。十二時帰宅(S17.7.27)」p270
    「女房が隣組の組長にされて、近々急しくなるといふ。隣組の防空訓練がますます激しく、近いうちに防空壕を何うしても掘らなくてはいけない由。十月を期して空襲あるならんと予測してる者多し(S17.9.15)」p292
    「今日の各新聞に、アメリカの「ライフ」誌に掲載された「東京空襲予定地図」が出ていたが、いよいよアメリカも本腰らしい(S17.10.1)」p299
    「今日、戦闘帽出来、被ってみる、いよいよ明日は国民服の姿か、恥かしや(S17.10.24)」p308
    「まことにすみませんが、今日は、撮影所に割当の電力をつかひ果したので中止です」と言ふ(S17.12.8)」p328
    「日記帳が変るといふ以外に何も正月気分は無い、門松もなし、年賀状もなし。大晦日気分は何処にあるのか、ただこうして過ごしても年は一つとるのであった(S17.12.31)」p338
    「「交換船(演目)」憲兵隊より、日本人が弱くていかんからもっと強くさせろと注意あり、十二日に稽古し直すこととなる。全く、こういう手合には敵はない(S18.1.10)」p346
    「何もかも、ちゃんとして置いて、空襲があって、めちゃめちゃになったってそれでいいと思ふ。空襲があるだらうと言って何ごとも放ったらかす奴は、そんなら不養生して身体を悪くするのと同じだ。神ぞ知る、キチンとする者に恵みあることを(S18.1.15)」p349
    「日本苦戦説が巷間に流布して来た、甚だしきは敗戦論が、又全く、苦戦には違ひないらしいし、空襲来必死も覚悟の上だ、今更じたばたすべからず、飽くまでも、ビジネス・アズ・ユージュアルだ(S18.1.26)」p355
    「中山と二人で天王寺の陸軍防衛司令部へ行く。もと市の美術館で中々立派。講堂で、女子軍の歌や踊りを三四十分やり、次に僕、例の撮影漫談から声帯模写まで、何と四十分も喋った、終始受けるのでうかうかと。ガソリンカアで送ってもらひ、座へ出る。軍からお礼にアンパン二十袋とビール等持って来てくれた(S18.2.18)」p367
    「東宝映画最近封切済の「ハナ子さん」は、ズタズタにカットされた由。それも検閲官のめちゃめちゃな意見で、やれ灰田の顔が間が抜けてるからとか、ジェスチュアが米英的だとか言って切ったのださうだ。次に「音楽大進軍」を検閲に出すわけだが、これもこのあん梅では、思ひやられる。ええィ、小役人に任せて置いていいのか! 実際!(S18.2.28)」p372
    「警戒警報中は絶対防空衣服のことと大阪は厳重だ。巻ゲートルのない者は、ズボンの上へ靴下止めをして歩く。即ち僕も、その姿で、請負師の如き格好して歩く(S18.5.14)」p410
    「山本連合艦隊司令長官(今年四月)戦死の発表(S18.5.21)」p414
    「「独演会」終って、「捕物帳」が開く前に、アッツ島わが軍全滅のニュース入り、すっかりめ入った。又警戒警報になるのではないかとトタンに思ったり、芝居してる気がしない(S18.5.29)」p417
    「大阪から下げて帰った鯛の浜焼をマヨネーズつけて食ふ、うまい(S18.6.1)」p419
    「(山本五十六国葬)国葬のありさまを知る。国民黙祷の時間、端座して礼拝。涙さしぐむを覚ゆ。いさぎよく行け! ここまで来ちまった戦争だ、カンシャク起したって責任はもたなければならないのだ、国民皆玉砕だ。そんな気持ちがした(S18.6.5)」p421
    「戦争も、アッツ島全滅以来何のニュースもパッとしなくなり、国内の気分も、何うにも暗くなっている(S18.6.7)」p422
    「食ひものいよいよ無し。客をしようにも食物のために出来ない。遊びに行かうにも、酒なし食物なし、そのため止めちまふ。たのしみは、ただ読書、そして仕事(S18.7.9)」p436
    「自宅の庭へ防空壕を掘る。竹屋の次男が数日前から来て呉れて、エイヤエイヤと土を掘り、今日出来上った(S18.7.10)」p437
    「平塚が入って来て、今、大政翼賛会へ呼ばれて、こういふことを言はれて来ました。劇場では、毎日、開演前、観客一同に国民儀礼をやらせること。閉演時に万歳三唱をさせること。他、劇場員は防空服装のこと。何といふことだ。つひにこういう愚かしさにまで来てしまった(S18.8.17)」p455
    「警戒警報中の大阪は、男は巻ゲートル、女はモンペ着用といふ規則なのだが、みっともなくていやだから、今日は、何うもしないまんま、こわごわ叱られるかナと思ひつつ歩いた。時々同士を見ると、たのもしい気がした(S18.9.2)」p464
    「昨日女房よりの手紙に、パパがお留守だと肉がちっとも入らず、毎日かなしき食事の由、やれやれ可哀さうにと、かなしくなった。戦争は勝たねばならぬ(S18.9.5)」p465
    「伊太利無条件降伏のニュースには、全国民ががっかりして、畜生畜生と歯ぎしりした。小林一三氏ひょっこり楽屋へあらはれ「大変なことになったねえ」と、きげんよくない。日本だけが、世界を敵に回す時が来はしまいかと、皆それを考へて、クサっている(S18.9.9)」p467
    「戦争は、伊国降伏から独の大ハリキリとなり、反って活気づいた。独ソ・日ソ、うまくさへ行けば、案外早く片付くのではあるまいか。戦争もこう長くては、ダレるではないか(S18.9.14)」p470
    「石鹸てものが、ダイヤモンドの如く貴重品になり、花王石鹸の相場一個二円五十銭。花柳界では十円の由。洗濯石鹸とも何ともつかないクサい奴を、楽屋で皆、二円半も出して買っている(S18.9.21)」p473
    「部屋の書生、小島が四十日間の訓練の呼び出しがあり、穴倉といふのも、近いうち軍需工場へ徴用されさうだと言ふ。若い男は皆いなくなる(S18.10.15)」p484
    「四十以下の者は、訓練だ徴用だと、毎日びくびくしている。前川・中山など訓練でいぢめられて、前川の方はノビちまった(S18.10.16)」p485
    「戦争は何うなっているのか、まことに心細い。巷には苦戦敗戦の話ばかり、何うなり行くことか。実に暗澹とした気持(S18.10.20)」p486
    「何うも今度の撮影は、殊にライトのセッティングに手間どり、待っている間が長いやうに思っていたが、きいてみると、ライト屋の生きのいいのが皆、兵隊や徴用にとられていなくなったので、まごついているものらしい。何処も同じことである(S18.11.16)」p500
    「ベルリン大空襲で、全市めちゃめちゃのニュース。いや何うもいやな心持だ。押され気味の戦争、然しポーカーにも波はある。くそッと奮起して呉れ。戦争は勝たなくては嘘です(S18.12.1)」p508
    「海軍主計中佐和泉氏、ひょっこり来り、何とホワイトホース二本、無造作に呉れた。驚喜する。こっちも切符を沢山買って進呈。大阪の海軍さんにも紹介して呉れる由。海軍様々なり(S19.1.9)」p529
    「戦争の話をすると、実に憂鬱である。敵は段々迫って来た、空襲は何時来るか分らない。或る地方では竹槍を用意していると言ふ。口に出せないことだが、一億玉砕、最悪の場合のことを考えると、ゾッとする。全く、大変な世の中に生れ合せてけり(S19.2.14)」p548
    「五時のニュースをききましたかと言ふ。いいえと言ったら、マーシャル六千名玉砕のことをきき、アッとばかり憂鬱(S19.2.25)」p554
    「サイパン玉砕のデマ(?)がとんでいる。若し、さういふことになったら、いよいよ娯楽など全面的に排撃といふことになりはせぬか。戦は正に頂点まで来た。今は、われは仕事といふ立場からでなく、国民の立場として、「娯楽どころではない」といふ気がする。「今は!」だ(S19.7.11)」p618
    「白川来る。明朝入隊の由。先日の結婚の時出し損った祝ひ(百円)と、今度の映画の附添料残り五十円(「敵は幾万」出演料も二百円立て替へて渡す)。仕方ない、元気で行って来い。行って参りますと出て行った(S19.7.15)」p630
    「やせたやせた、皆人々がやせて行く。母上のやせ方もかなり激しいが、今日渡辺篤のやせ方には又一驚した(S19.7.17)」p631
    「五時、ラヂオ、つひにサイパン全滅の報道である。つづいて「海ゆかば」の演奏、実に参った。不安はつのる(S19.7.18)」p632
    「皆空腹で機嫌が悪い(S19.7.20)」p633
    「新聞見ると「敵遂にテニヤンにも上陸」と大見出しで、がっかり(S19.7.27)」p636
    「神経戦といふが、正に敵が、あまりにも近づいているので、ビクビクするし、神経衰弱的になって来た。ピーとかプウとか、電車の警笛にも、あ、サイレンかとドキッとする。ドカン! といふ何かの物音で、警報忘れてる間に、来たかと思ったり、何うの、困る(S19.7.29)」p638
    「大野屋の息子が、学徒で出征、日章旗を持って来る、署名してやる(S19.8.18)」p648
    「今日きいて、つくづくもう情けなくなったことは、糞尿汲取人がいなくなり、各家庭で糞尿の始末をすることになったといふこと。もう、ここまで来ては、ああ戦争は勝ちたいもの(S19.9.9)」p660
    「話を始めようとしている折柄、プーウとサイレン、おや警戒警報だな、と言ってるうち空襲警報のサイレン、ドドーンとひびく高射砲の音、いけない、それ逃げべしと、地下室へ退避。もとの我一座の事務所だったところ、その一隅に腰を下して、ひらすら神に祈る(しばらくして空襲警報解除)(S19.11.1)」p686
    「今朝の新聞で昨夜の東京空警は、B29一機襲来、投弾せずとのことでホッとした(S19.11.6)」p689
    「昨夜井関の話、東京上空をB29が、ゆらゆらと飛ぶこと一時間、大ていの都民は目でそれを見ている、そのB29を、落とすことも何うすることも出来ない、その情けなさ、切歯扼腕、ただ眺めるのみ。これが何十と来たら、東京は今年中に半分になってしまうだらう。疎開を急げ急げ。この大悲壮感に、すっかり皆影響されて、全く憂鬱であった(S19.11.10)」p692
    「東京では、この度のB29の偵察におびえて、又々疎開を促進し、六十歳以上の老人、七歳以下の子供は、どんどん疎開せよとのことださうな(S19.11.11)」p692
    「東京へ近づくにつれて、空襲の不安が、益々つのる、全く東京都民は、戦々恐々として暮らしているのだ。毎日毎時の不安、神よ、守らせたまへ(S19.11.14)」p694
    「戦争を、こんな身近にしみじみと感じるのは、全く近頃のことである。今までの何年間かは、戦争とわれわれの間には、何の位かのへだたりがあった。それが、今日は、もはや隣の出来事となり、家内の出来事となっている(S19.11.15)」p695
    「霞が関の海軍通信隊へ行く。海軍さんが「今日は朝九州へB29が来ました、この二三日には必ず東京へも来る、ここは一ばん狙はれているので、兵はもう大分疎開している」なんて気味の悪いことを言ふので嫌な気持(S19.11.21)」p698
    「午後十一時半頃か、昨夜の発令は。母上・女房・子供は、鈴木さんの壕へ駆け込む。僕、家の壕へ。空に爆音、高射砲の音、ドーンといふ爆弾らしき音。女中二人も入ってたが、ラヂオときくために壕の蓋を開けて、あら大変と叫ぶ。出てみると空の一部、真っ赤。火災が起きたな。折柄雨。鈴木さんの壕へ行く、鈴木氏は二階でラヂオききながら悠々としているとのことで、僕も行ってみる。二階で、アメリカの、最近のサンデーイヴニングポストを見たり、戦争の話をきく、何うにも悲観論である。火事を見る、方角は、神田辺と見たが、二時すぎても燃えている。三時頃プーウといふ解除のサイレン。即ち一同引揚げる。益々疎開を考へねばならない(S19.11.30)」p702
    「帝都には敵は一機も入れない、鉄壁の陣だと誇っていた軍は、何をしているのだ。ラヂオは「帝都上空」といふのに馴れてしまったではないか。この惨害を、何うして呉れる。レイテ湾の戦果を感謝する一方、都民は皆、軍を恨んでいるに違ひない(S19.11.30)」p703
    「朝刊に、敵機十五機撃墜の戦果に、更に五機を加へ、その他三十機に損害を与へたニュース、こんなことで、ひるむ敵でもあるまい、心配は依然たり(S19.12.5)」p707
    「プーウと又来た。カンカンと鐘が鳴る。わいわい人声がする、玄関から出てみると、サーチライトに追はれながらB29らしき一機が南方へ向ふ。鈴木さんの三階で、もっとよく見たいと行く。鈴木一家も三階で見学中(S19.12.28)」p723
    「「東部軍情報」と始まった。敵は京浜地区に侵入、と言ってる間に、ブルーンブルーンというやうなB29の唸り、カンカンと待機の半鐘。高射砲ドンドン響く。二十五分間にして解除。敵は焼夷弾を落としたと言ふから、鈴木さんへ行ってみる。三階の見晴しから見ると、月中天に皎々、その下にボーッと火が見える。鈴木さん、社へ電話したら浅草菊屋町辺の由(S19.12.31)」p725
    「一国の文化を代表する演劇といふものが、警視庁の木っ葉役人や、大学出の若者などに、左右されている今日の日本は、大間違ひだ、何とかしてこれを救はなくてはならん(S20.1.3)」p731
    「馴れるといふことは、全く恐い。近頃の東京都民の、空襲を恐がらないこと、又、敵機が去れば、もう忘れたかの如きのんきさ。我自らも、さうなのだが、まことに馴れは恐ろしい(S20.1.9)」p735
    「去る十九日、日記(昭和九年より十八年度までの新日記・当用日記に記した分)十冊を、なほの田舎へ疎開させた(S20.1.21)」p742
    「日記していると、ドカッドカッといふ高射砲の音、警報も出ていないし、変だなと思ってたが、ドカドカといふ音激しく、何うも本ものらしい、その敵機らしきものが退去した頃、プーウとサイレンが鳴る、これぢゃ何もならんぢゃないか(S20.1.28)」p746
    「川口と二人、有楽街へ出る。山水楼は木っ葉微塵、有楽座の背中にも穴が開いている。東宝劇場は、硝子が割れただけ。文芸ビル附近も大分やられているが、文ビルは無事(S20.1.29)」p747
    「僕には約束通りウイスキー(トミ特選三本、サントリ三本)もらひ、ホクホク。その他、羊羹とキャラメル沢山もらひ、ずっしり重い奴を自分で持ち、十時に帰宅。清が、お土産待ってて、寝ない。キャラメルやると大喜び(S20.1.30)」p748
    「日本の誇り富士山も、今やB29の空襲に便する目標とされているばかりである。口惜しからう、富士山も心ありて口惜し涙であらう、神風よ、富士山のためにも、その雪辱のためにも、おお吹いて下さい(S20.2.4)」p752
    「二時半頃ラヂオは叫ぶ、新なる敵四十機は、と、あるんだなァ敵は、いくらでも。三時すぎに又、高射砲の音一しきり。四時、プーゥと、何回目かの空襲警報解除のサイレン。今日もこのへんでおしまひだらう、などなど話しつつ、ゲートルのまんま机辺へ。四時半近く、ラヂオ「新たなる小型機編隊は」うわ、まだかい。芝居どころぢゃなくなったね、三月の芝居なんて開くかしら。ラヂオは、当分の間京浜地区を通過又は出発、終点とする汽車券は売らないと言ふ。ああ世はつひにかくの如くなり果ててけり。ここまで行けば一っそ度胸も座らうではないか。五時半、茶の間で夕食、警戒警報は未解除だが、先づ一杯やる(S20.2.16)」p761
    「大急ぎで食事、最中にブザー、近くで砲の響き、それと壕へ入る。空襲警報出づ。砲音・飛行機の音盛、バンバン! 地ひびきがする。交戦状態しばらく続く。生きた心地でなし。十一時頃か、解除、警報は昨日からづーっと解除されない、となる(S20.2.17)」p762
    「娯楽どころではなく、われらも銃執りて立つ時が来ると言ふ。その時は、その時である(S20.2.21)」p766
    「「B29らしき数目標、南方海上より東進しつつあり、その先頭は遠州灘に向ひつつあり、その本土到着は、約二十分後なるべし」と来た。ああ何たる世の中。皆を急かして壕へ入った。二時すぎ。壕内で代用食、芋と蒸しパンを食ふ。B25の五機編隊、それに小型が又別に来て、丁度頭上を、通る。バッバッといふ高射砲の音、一時は全く生きた心地ではなかった。少し落ち着いてから、小波お伽を清にきかせる。「浮かれ笛」といふので、清キャッキャ言って喜ぶ。壕内のひととき厳谷小波によって明るし(S20.2.25)」p769
    「敵一機侵入、その声と同時に、頭上に唸り、B29らしき、ブウンブウンという奴。少し行ったと思ふ頃、高射砲の音、ドドンと地ひびき、何たることぞ、東京は戦地と化した(S20.2.26)」p770
    「もう稽古に入らなくちゃしようがないし、月給も取りに行きたいが、かういふことが連日続いた日には、手も足も出ない。いよいよ戦争もクライマックスであらう(S20.2.26)」p770
    「八時近く、坊主頭の穂積純太郎来り、海兵団で横須賀行の由。子供は仙台の近くに疎開、女房は一子を抱へて今又八ヶ月の身重、そこへ出征と来ては、まことに可哀さうである。五十円餞別として渡す。十一時近くまで飲み、語り、帰った。人生なり、人生なりと言ひつつ天上す(S20.2.27)」p772
    「鈴木さんから呼びに来られて、行く。三階のバルコンから眺めて、呆然とする。一望火の海だ、北風が強く吹いている中を炎々と燃えている。神田・上野から丸の内・新宿方面ベタ一面の火である。こりゃ大変だ、下町は無くなったぞ。三時警戒警報も解除されたが、家のあたりも火の反射で明るく、風は益々吹いて、火事は何処まで拡がるか分らない。下二番町や永田町辺りも何うだらうか。などと考えながら鈴木さんから帰る、四時である(S20.3.9)」p780
    「大阪は十四日暁の空襲で大火災を生じ、千日前・新世界・心斎橋は完膚なきまでにやられた由、常盤座も焼けた。(本来なら常盤座へ出ているところだった)御堂筋もやられたと云ふ(S20.3.16)」p787
    「新宿駅の夜十時半、罹災民の群が、疎開列車に乗るのを見た。小さな子供が、大きな荷物を下げているのや、乳児を背負った母親が又両手に荷物を下げているのなど、その中に跛(びっこ)ひく者、火傷してるもの多く、目を覆いたかった。疎開は急務とつくづく思った(S20.3.18)」p789
    「渋谷駅へ急ぐ途、宮坂鎌蔵君にバッタリ逢ふ、これ見てくれと、召集令状。つひこの間出たばかりで又である、「今度はもう助からんよ、死ぬ」と悲壮である(S20.3.21)」p791
    「近頃の挨拶、「お宅の方は?」「大丈夫でした」「まだ?」「ええ、まだ」「さうですか」やられるのを待ってるやう(S20.3.24)」p794
    「プーと鳴っている、午前七時。B29らしき、ブーンブーンといふ唸りがきこえ始めた。いかんなと思っていると、ドカーンといふ、よりはむしろザザーッといふやうな音響、地震の如く、ゆらゆらゆらっとした。こんな地響きは初めてである(S20.4.1)」p799
    「ラヂオをきくと、B29の少数機と分り、壕へ入る。やがて空襲警報鳴る。堀井と女中たち、庭に出てワーワー言っているので出てみると、火に包まれた一機(B29と思はれる)が、火のまま走って行く(S20.4.1)」p800
    「新聞見れば、敵は沖縄本島へ上陸開始とある。そして、噂によれば、敵は九州と四国へ上陸するだらうから、それを迎へて、はじめて引き寄せ戦術の実を挙げるのだといふ話、実に心配なことである(S20.4.2)」p800
    「壕内にいると、高射砲の音ドドンドドン。庭で、松井や大庭が、わいわい言ふので、出て見ると、立川辺の上空でB29が、ひらひら落ちて行く、銀色の翼美しく、実に壮観であった。尚庭で見ていると、ラヂオケーターをくらます為であらう、錫箔のやうなもの、ピカピカ光りながら、空に漂っていたが、やがて、家の近くへ落ちた、人々集まり、奪ひ合ひである。僕も少し貰った(S20.4.6)」p803
    「大庭があはてて飛び込んで来て、「こりゃいけません、助かったら奇跡です」と言ふ。出て見ると、外は、桃色に明るく、互に顔がハッキリ分る。よし、と二階へ、もう靴脱いでる余裕もなく、上ると洗面所の窓を開けて見る。燃えてる燃えてる、盛な火だ。目白の山は火に包まれてる。大庭の細君も乳児を背負ってやって来る。火は、何うも少し危い。「よし、皆は、なほが引連れて、東中野の浜田の家へ行け」母上・女中二人、松井細君・大庭細君と子供二人は、まだ空には時々、敵機らしい音のする中を、壕から出て、出発した。僕・大庭・松井と残った。神棚から、大神宮の御札を外して懐中する(S20.4.13)」p808
    「浜田の家へ着くと、壕の中に、皆いるときいて、入る。金持ちめ、大さうな壕を掘りやがったぞ、地下何十尺、その曲りくねった地下道の奥に、皆いた。ここは、まだ電気が点いている。壕内にラヂオもあり、これなら安心だ(S20.4.13)」p809
    「家へ引返すと、桜山の方の火が、ひどくなって、火の粉が庭へふりかかる。火たたきで消して歩く。鈴木さんの奥さんが、三階の窓から観測しているので、行って僕も見る。その頃から、火の子がこっちへ来なくなり、北風になって、あっちへあっちへ燃え出した。鈴木さん夫人曰く「この辺は、ほんとに何て不思議なんでせう」と驚いている。神の加護、これで家は助かった。清や洋子は、何も知らずに寝ているだろう、よしよし(S20.4.13)」p809
    「先づ高田馬場へ出てもらって吃驚、駅附近は全部やられている。新宿の方へ回る。大久保附近又ひどし、戸山ヶ原の陸軍技術本部やられている。塩町交差点の一角やられ、四谷見附のあたりは、一望の焼野となり果てた。火は見附を超えて双葉女学校を焼いている。麹町へ出ると安泰である。車は、竹橋へ出て、丸の内から、日本橋。白木屋附近もひどい。変り果てたる東京の姿である。深川を通る、この辺りは、もはや無である(S20.4.14)」p810
    「神楽坂まるでなし、飯田橋までそれが続き、水道橋も無残、順天堂病院の辺りは助かり、御茶ノ水駅付近又ひどし。車内へも火傷の人や鍋窯下げた罹災者多し(S20.4.16)」p811
    「(昨晩は海軍で大宴会)昨夜あらはれた怪女性は、海軍の特設慰問女性の由、特攻隊出撃の前など、心おきなく出発出来るやうに、当てがふもの、海軍も中々大変なり(S20.4.19)」p813
    「新聞は独逸の滅亡近しと伝へている。ムッソリニも殺されたさうだし、思へば実に憂鬱である(S20.5.2)」p822
    「そのうちに一編隊が京浜地区へ入った、と言ふ間に、ドドーン撃ち出した。十二時すぎから、一時まで続き、漸く解除。然し、馴れってものは全く恐ろしい、皆、何事もなかったやう(S20.5.8)」p826
    「上野発青森行だから罹災者らしいのが大勢下りて来る。その一人を捕まへて、星が「赤坂乃木坂あたりは」ときくと「ありませんよ、皆」と淡り言はれて、うわーと参る。「渋谷が一ばんひどくて、死人も沢山出た」ときいて、その近くの浪江輝子泣き出し、鼻血を出す。軍人さんが「麹町は大分ひどいです、東郷坂も、番町幼稚園も」と言ふ、下二あたりも危いやうである(S20.5.27)」p840
    「新橋から歩いて本社へ。久しぶりの東京、焼野となれりとて東京は東京だ(S20.7.3)」p873
    「同じプーでも東京のは、イキがよくって、浸みる哩。空襲警報となったが、皆ちっともあはてない。鈴木氏の話では、東京復興、家を建てる時の来るのは、早くて十年、かかるだらう、震災の時と違って資材が来ないから、といふことだ。僕は又、楽天主義なのだな、なアに、二三年で建つといふ気がする(S20.7.4)」p874
    「目黒へ出て、それから千駄ヶ谷まで。あの辺は、ひどくやられている。焼けたとたんで作ったバラックの中に人々は蠢(うごめ)いている(S20.7.9)」p878
    「今日の仕事にだけ考へを向けなくてはならない状態である。慰問と、ラヂオで暮らすより今のところ手はないのだ。それなら、慰問をもっと整理して、いいものに仕上げようと思ふ(S20.7.18)」p885
    「新聞を見ると「日立・水戸方面に艦砲射撃」と出ている。もはや、敵の上陸も近いといふ気がする。何たる日本(S20.7.19)」p886

    「(解説中)うっかり病気もできなくなった、清が扁桃腺で、冷さねばならぬといふので、医者の証明をもらって、氷買ひに行くと、区役所と又何とかの証明も経なければ、氷も牛乳も買へないのである。氷なき牢獄、なんてシャレどころじゃない。(昭和十七年八月四日記)」p903

  • 日記魔!大変な時代を生きる喜劇家ならではの言い回し等あって面白い。昭和20年7月末以降の日記は紛失とあるのが残念、また大食漢かつ美食家のロッパならではの戦中グルメも興味深い(東京大空襲の10日後にフォアグラ食べていらっしゃる)。

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