都市計画で結構有名な本。
First Place = Home
Second Place - Office
と別に、コミュニケーションを楽しむ場としてのThird Placeが必要だというお話。
ヨーロッパのヒューマンスケールのまちづくりと比べてアメリカは人間疎外が起きているというありがちな話なんだけど、文化が違うからそこに語り合う場としてのカフェやバルみたいなものが根付くのか?という疑問は残る。
特に日本ではThird Placeでさえcompulsoryなコミュニーケションの場となり、ストレスを生む場所なってしまいがちな気がする。
家や会社、学校での息苦しさはコミュニケーションの密度や閉鎖性と絡んでいる気がする。
もしThird PlaceをつくるとすればそれがいかにLooseなつながりか。spontaneousを引き出すのか、という所にキーがあるように思う。現代ではそのPlaceはリアルでなくても(ネット上のコミュニティでも)よいし、ThirdもForthも数を限定する必要はない。
ただ、SNSでさえSNS疲れが指摘されている中で、その生活のストレスやuncontentedの原因は別のコミュニケーションで解決できるのかと行ったら微妙。目的ベースのつながりにすれば違うのかもしれないが、それがofficeやhomeで作れないかといえば、難易度にそんなに差はないように感じる。
ちなみにギデンズのいうようなコンフリクト解消のための第三の道というのともちょっと違うニュアンスのようだ。