- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000241793
作品紹介・あらすじ
ポスト真実の政治と歴史修正主義が横行する時代に,歴史学に何ができるのか──.トランプ政権のウソ,ホロコースト否認論,白人至上主義のテロや原爆展論争などを題材に,こうした問いに答えるアクチュアルな歴史学入門.アメリカ歴史学界を牽引してきた著者による,『歴史とは何か』(E. H. カー)の現代版.
感想・レビュー・書評
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訳文は読みにくいが新しい定番だと思う。コンパクトですぐ読み終えられるのも良い。
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歴史学の歴史を学べた。
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我々は過去から何を学ぶのだろうか。この曖昧さは常に改定し続ける歴史の教科書に、国民的記憶の形成に通じる。筆者は歴史は抑圧されたモノを外に放出する傾向があるという。穏健な解釈は必ずしも真理では無いと。
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リン・ハントは、フランス革命を専門とするアメリカの歴史学者。
彼女の「フランス革命の政治文化」には、大きな衝撃をうけた。内容も面白かったが、それ以上に方法論として、言葉だけでなく、象徴・イメージ・シンボルも含めて解釈していく記号論というか、ポストモダンな定性分析とハードな定量分析が組み合わさっているところが、すごいなと思った。
伝統的な歴史学から考えると、定性分析、定量分析の手法がそれぞれ新しいもので、さらにそれをひとりの著者が組みあわせて、アプローチするというのが、すごいと思ったし、歴史学に限らず社会科学の一つの理想的なありかたと思った。
わたしは研究者ではないけど、なんか仕事をしたり、考えたりするときに、定性、定量を組み合わせることは意識するようになったな〜。レベルはまったく比較不能だけど、なんか影響をうけた人。
さて、「フランス革命の政治文化」がでたのは、1982年で、当時は、ポストモダーン的であったり、フェミニズム的な視点があったりする、新進の学者という感じだったが、今やアメリカ歴史学会の会長をつとめるなど、功成り名遂げた状態。
そんな彼女が、「なぜ歴史を学ぶのか」という一般の読者を対象とした「そもそも」な本を書いているのを遅ればせながら発見して、読んでみた。
これは、2018年の本で、トランプ政権のポスト・トゥルースな状況を念頭に書かれている。そして、アイデンティティ・ポリティクス、ポスト・コロニアル、ジェンダー論などなどが渦巻くなかで、なにが真実かわからない、歴史の解釈が多様なものになるだけでなく、事実も一つのものではないかもな状況のなかで、なぜ歴史を学ぶのかという本。
それに対する著者の答えは、わたしにとっては、とても明快で、説得力があった。
そんなに難しい本ではないので、著者の主張をサマリーする必要はない気がするし、最後のほうに訳者の簡潔な要約もついているので、興味をもった人は読んでほしい。
一つだけコメントすると、リン・ハントは、いわゆるポストモダーン的な視点をもった学者ではあるが、ポストモダーン的な相対主義にはとどまっていないということ。歴史の複数の解釈、事実の相対性を認めつつも、歴史的な事実について、研究を重ねることによって、すこしづつ真実に近づいていく、という立場をとっている。
このあたりは、ポストモダーン思想というより、ポパーの反証可能性をベースにもつ「科学」的な思想に近いものだと思う。
リン・ハントは、こうした姿勢があったからこそ、アメリカ歴史学の主流派とも生産的な関係を作ることができたのだと思う。
また、最近、彼女が提案している(と思われる)グローバル・ヒストリーも、マイノリティなど多様な視点をとり、文字以外のイメージの分析も踏まえつつ、長い時間軸、自然環境と人間との関係を自然科学の研究、DNA鑑定なども取り入れながらの学際的な研究を含むものになっている。
こうした複数の手法を組み合わせていくのは、「フランス革命の政治文化」から一貫した彼女の姿勢だと思った。 -
読みやすかった歴史書
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本ノ猪20221023twより
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途中眠くなっちゃったけどとりあえず最後まで読んだ
歴史学が最初エリートのための教科だったのおもしろい -
第1章 空前の規模で
嘘つき
記念碑
教科書論争
記憶戦争
パブリックヒストリーと集合的記憶
第2章 歴史における真実
事実
解釈
歴史的真実とヨーロッパ中心主義
暫定的真実
第3章 歴史をめぐる政治学
エリートの歴史
最初の突破
門戸を開放する
歴史とシティズンシップ
第4章 歴史学の未来
地球の歴史
リスペクトの倫理学
アナール学派 歴史の過剰な政治化 歴史学の基本的ルーティン 歴史学の進歩=シティズンシップの拡大 他者へのリスペク リスペクト歴史学 専制政治に対する防衛策 学問を市民社会に向けて開く 歴史学のもつ可能性 -
具体例を挙げながら「歴史学」にまつわる問題を取り上げる。取り上げられる事柄は幅広く面白い。しかしE.H.カーはもっと語り口がフラットだったような……いや、歴史修正主義をはじめとした動きの前にフラットさを捨てざるを得ないほど「歴史学」に余裕がなくなっているのかもしれない。とはいえそれはリン・ハントの視点での「歴史学」で、わざわざE.H.カーを引き合いにして売り出す必要はあったのだろうか? 歴史学の手法、歴史の重要性を語る点に共通項はあれど、視線の高さや着目点が違う。なぞらえることで失われるものがある。