- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000245524
作品紹介・あらすじ
およそ三万の死者を出したインパール作戦。しかしその後の「撤退戦」で実に一〇万の命が奪われたことはあまり知られていない。勝算のない戦いに駆り出される兵士、逃亡する上層部――絶望の戦場の実態を兵士たちの証言や英軍による将校への尋問調書などから明らかにする。大反響を呼んだNHKスペシャル、待望の書籍化。
感想・レビュー・書評
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「白骨街道」と言われおよそ3万の死者を出したインパール作戦。しかしその後の「撤退戦」で実に10万人を超える命が奪われたことはあまり知られていない。
前作の2017年に「戦慄の記録インパール」を取材し、NHKで放送、書籍化された続編と言える「ビルマ絶望の戦場」もまた、敗戦の77回目となる2022年8月15日にNHKで放送され、書籍として出版された。
日本国内の当時を知る生存者を探し出し、家族を探して資料を掘り起こし、現地のビルマ(現ミャンマー)での取材、対峙したイギリス軍の生存者や映像・資料を徹底的に調査し、民放ではとてもできない緻密な取材とエゴドキュメントの積み重ね。インパール作戦後の更なる無謀な作戦による兵隊の消耗と日本人民兵や民間人の被害。そして、上官達は兵隊、民兵、招集状で集められた戦時救護班である看護婦達を置き去りに、安全地域へ早々に撤退する暴挙。補給線は絶たれ、武器もなく餓えと戦病死。無謀な渡河作戦で無残に流された兵隊達。対峙したイギリス軍将軍のウィリアム・スリムは「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、『肉体的勇気』とは異なる『道徳的勇気の欠如』である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」と日本軍の特徴を書き記している。
無謀とも言われるインパール作戦で辛うじて生き残った将兵が、蘭貢(ラングーン)にたどり着いたとき、高級将校達は福岡県久留米市から出店した翠香園で芸者遊びをしていた。芸者は約100名が久留米、大牟田と福岡を合わせて約30名の芸者がビルマへ行ったが、そのほとんどが「借金を抱えていた人たち」で、髪結い、床屋、豆腐屋なども加わって、総勢170名に達したと言われている。前線の菊部隊から帰還したボロボロの軍服を着た兵隊は「軍はえいかげんなところよ・・・。作戦を練りながら女を抱いている。」と涙して怒っていたと証言する。
2つの番組・書籍を通じて、過去の問題を現代の問題として連続的にとらえようとするNHK取材班の取り組みに敬意を表したい。また、毎週月曜日の22時からNHKで放送が続いている「映像の世紀バタフライエフェクト」もまた、映像の世紀である近現代史を通じて、現在の問題の連続性として、問題提起を続けている事を我々日本人がどれだけ気づけているだろうか?
以下、本文引用
様々な分野の専門家が存在するNHKでは、ディレクターの中にも歴史番組を制作する専門家集団がいる。しかし、「戦慄の記録インパール」と「ビルマ絶望の戦場」を担当したのは、ニュースやクローズアップ現代などの報道番組を制作しているメンバーである。今回の番組制作に当たっては、2017年のNHKスペシャル「戦慄のインパール」でプロデユーサーを務め、現在はNHKスペシャルの統括の職にある三村忠史から、あることを伝えられた。三村もまた先輩から伝えられたという次の言葉だった。「報道番組が作る戦争Nスペには役割がある。それは、戦争の時代がいまと連続性があるかどうかを確認することだ」。太平洋戦争で起きたことを「過去の歴史」として提示するのではなく、歴史的事実の中から現代にも通じる普遍的なテーマを見つけ出す。それこそが、報道番組のディレクターがやるべき仕事だというメッセージであった。
NHK「戦慄の記録インパール」番組 2017年
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009050808_00000
NHK「戦慄の記録インパール」DVD
https://www.nhk-ep.com/products/detail/h23065AA
NHK「ビルマ絶望の戦場」番組 2022年
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/4Y4NQ976NV/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2024年3月読了。
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インパール作戦では、3万人の死者だが、その後の撤退戦で10万人を超える命が奪われた。
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インパール作戦以後のビルマ戦線はあまり知識がなかったが、日本軍には同作戦の数倍の死者が出たことを知る。しかも1944〜45年という、戦争全体でも敗色濃厚だった頃にだ。
本書で強く感じるのは、日本軍もアウンサン一派も英軍も、正義や善悪以前に自らの利益第一だったこと。また日本軍は、ビルマ方面軍司令部の突然のラングーン放棄を中心に、「貧すれば鈍する」と言おうか、組織の体をなしていなかったように見える。本来戦闘職種ではなかった木村司令官は、東京裁判の有責事由は陸軍次官としてだったが、弁明せずに死罪に臨んだ。内心何を思っていたのだろうか。
無名の個々人に目を向ければ、日本軍と英軍の軍人、日本企業社員、そして何よりビルマ現地住民に、本書で語られる何倍もの過酷なエピソードがあったのだろう。 -
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半ば仕事、半ば個人的な勉強のために読んだ本書。
旧日本軍の無計画性、重要な決断ができない組織的欠陥、情報・兵站の軽視など、色々なところで指摘されていたことが、今もかろうじてご存命の戦争経験者の口から語られる鮮明な記憶から、改めて浮き彫りになった。