裸で泳ぐ

著者 :
  • 岩波書店
3.50
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本棚登録 : 162
感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000615624

作品紹介・あらすじ

あの日二五歳だった私はいま、三三歳になった――。事件、そして声をあげて、「それから」の日々を綴った待望のエッセイ集。突然、心の奥底で解除された感情。繊細な友情。家族との時間。生まれていったつながり……日本の#MeTooを切りひらいた著者が、「ただの自分」の声を見つけるまで。同時代を生きる、私たちの記録。

感想・レビュー・書評

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  • 「25歳だった私はが33歳になった」
    事件当時、25歳だったのかということを改めて知った。大学を出てまだ2~3年くらいの、本当に若い女性だったのだ。どれだけ怖くて辛くて傷付いたのかと思うと言葉がでない。
    そしてその若さで声をあげて戦う決意をしたことを、誹謗中傷に負けずに、今も顔をあげて前に進む姿勢を貫いていることを心から讃えたい。
    「強い」とか「すごい」とか「尊敬します」とか、そんな言葉を彼女が欲しているとは思わないけれど。
    事件の傷は完全に癒えることは決してないのかもしれないけれど、それでも彼女が笑顔でいられる時間が1秒でも長くあってくれと願う。

  • レイプされたと、高名なジャーナリストを訴えた女性ジャーナリスト
    7年も戦って、そしてSNSの誹謗中傷とも
    凄い
    自分の意思で強く生きてきた人
    だけど
    やはり強いだけではいられない
    周囲の人に助けられて再び生きる
    自殺未遂までやったなんて
    心的外傷は深い 深くて 癒えない

  • 裸で泳ぐ 伊藤詩織 岩波書店

    題名にも馴染めないまま
    ドキュメントとエッセイの違いを考えながら
    やっぱりエッセイはこそばゆくて苦手だと思いつつ
    それでも読んでみた
    伊藤さんは自分がADHDだと自己判定しそこをチャームポイントとしているようだけれどそれこそが正常だと思う
    私には普通とか正常な人間がどんなモノなのか考えも及ばないし
    ドコカシコ歪んでいるのが普通の人ではないかと思う
    しかし世の中では当たり前のように自分は正常だと思い込んでいるらしい人でいっぱいである
    個性やそこから起こる偏見や差別や比較自体が歪みの証拠だ
    反面教師との出合いから逃げるか学ぶかで
    人生が真逆になる
    競争原理からなる不安恐怖を選ぶか
    切磋琢磨からなる相乗効果を選ぶか
    この世はこの二つが織りなすことで
    成り立っている紙一重の選択だ
    伊藤さんは自らの体験の中で
    逃げずに学ぶ方を選んだようだ

    気付いてみると
    これはエッセイでなく
    日記の拾い読みだったのだから
    妙にリアルなのも当然だ
    読む程にニホン語が綺麗だと気付いた
    多分英語もドイツ語もスペイン語も
    きれいに紡ぐのだろう

  • 伊藤詩織さんは、山口敬之元TBSワシントン支局長から受けた性被害を2017年に告発した。
    山口敬之が、安倍晋三総理大臣の番記者で密接な関係があることから、詩織さんに対する安倍晋三総理支持派による誹謗中傷が殺害予告のレベルまで達して、イギリスに移住した。
    山口敬之に対する訴訟、はすみとしこに対する訴訟、杉田水脈に対する訴訟に勝訴した。
    このエッセイ集は、一人の女性として怒涛の日々の中で思ったことを書き綴ったエッセイ集。
    突然、心の奥底で解除された感情。
    繊細でしなやかな友情。
    家族との時間。
    生まれていったつながり……日本の#MeTooを切りひらいた伊藤詩織が、「ただの自分」の声を見つけるまで。
    あの日二五歳だった私はいま、三三歳になった――。
    事件、そして声をあげて、「それから」の日々を綴った伊藤詩織の待望のエッセイ集。

    高校で交換留学プログラムを受けていた頃からイメージは変化しているが安心して落ち着けるホームを探していたが、誹謗中傷に晒されている頃には海が近い場所と東京の2拠点生活に憧れたりしたが他の方法を模索中であること。
    多動で集中力が欠けるADHD傾向があったり、性被害のトラウマから事件があったホテルの部屋の間取りに似たような部屋などをきっかけにフラッシュバックして体が冷たくなって動かないなどの症状が出たり、自殺願望が出るなどの影響が出ながらも、シェラレオネなどの最前線を取材する苦労と苦悩。
    2017年に性被害の告発してから、日本で誹謗中傷にさらされた詩織さんがイギリスで安心出来る避難場所を提供してくれた田中明美さんや性被害の告発する励ましを与えてくれた旧日本軍の慰安婦だった韓国のハルモニやBBCで「日本の秘められた恥」を一緒に製作したハナや長年の親友で詩織さんの支援団体のメインスタッフのあさみなどの女性たちと詩織さんとのシスターフッド。
    台湾でフェミニストと取材交流する中で、自分と素直に向き合うことが出来た貴重な経験。
    性被害の後で何度も死にたいと思った時に、心の支えになったある絵本の詩。
    シェラレオネなどの最前線で取材した時の苦労話。
    ネットの詩織さんに対する誹謗中傷を鵜呑みにして、詩織さんが性被害を偽り告発したと決めつけ詩織さんを問い詰めた日本人男性の彼氏との別れは、ネットでの誹謗中傷が一番身近にいる人との関係すら壊す誹謗中傷の恐ろしさがよく分かる読んでいて辛かったエピソード。
    怒涛の日々の中で、伊藤詩織さんが一人の女性として思ったことを素直に綴ったエッセイ集。

  • あの頃…詩織さんはどれほどギリギリの精神状態に追い込まれていたのか。同世代の娘を持つ母としては想像するだけで胸が締めつけられる。それでも生きのびるために人に会い、辛いものを食べ、笑ったり泣いたり怒ったりしていた「それからの日々」を記録し続けてくれて良かった。あれから7年。今、再び勇気を持って共有してくれた事…月並みな言葉になるけれど本にしてくれたこと感謝します。
    それにしてもウーパールーパーの生態、知らなかった!

  • エッセイなんだけど、なんか非日常感を
    感じてしまって作られたお話みたいな…
    親近感が湧くとかではなかった。

  • 今まで読んだ本の中で一番心揺さぶられた。
    同年代の女性で、こんなに私の知らない世界を生きてる人はいない。
    弱くて、強くて、真っ直ぐな人だと感じた。

    ジャーナリストの仕事は心理的に負担の大きい事柄に向き合わなければいけない内容で、とてもじゃないが私もやりたい、とは思えない。
    レイプ被害にあったことでいかに精神的に被害を受けたかも計り知れないが、それを世間に公表した後の出来事をサバイブし、リビングと言えるまでストラグルした様子が凄まじい。静かで、激しい文章。

    なんだか、私は自分の人生に本気で向き合ってない気がした。

  • 「裸で泳ぐ」というこの本は「伊藤詩織ウォッチャー」か「伊藤詩織のファン」にしか価値はありません。それ以外の人達(彼女についてよく知らない「伊藤詩織初心者」)がこの本を定価で買って読むのであれば、必ずや後悔することになる、と予め書き記しておきます。

    「伊藤詩織ってジャーナリストの人だよね。確か有名な記者にレイプされたとかいう…。でも、最近は「いいね裁判」とかやってるだけで、肝心の仕事って何やってる人なんだろう?」程度の知識しかない人がしなければならないのは、まず、ネットなどで「彼女の事件」を調べてみることであって、この本で調べ始めることではありません。

    繰り返し書きます。普通の読書家はこの本を買うべきではありません(読むべきかどうかも微妙)。

    何故か。

    極めて平たく言えば、本として面白くないからです。
    では、どうして本として面白くないのか、というと、

    『伊藤詩織は、物書きとして致命的なまでに日本語能力が欠落している』

    からだと言えます。

    「彼女は海外生活が長く、英語の方の能力が高いし、映像ジャーナリストとして海外で評価されているから、ちょっとくらい日本語の文章表現がおかしくても問題はないのだ」というファンからの反論があるかもしれませんので、加えてこうも書いておきたいと思います。

    『伊藤詩織は、物書きとして致命的なまでに論理的思考が出来ない』

    例えば、お金がなくなって子ども料金で不正乗車をしたときの彼女の言い分を「子ども料金」より引用します。

    「悪いことをしたのは確かに私だ。でも、子ども料金は、法律で「成人」と認められる年までそのままにしてほしい。身体は成長したとしても、経済力はないし。心だってふにゃふにゃだ。今だったら、怒る駅員さんに対して、納得してなくてももう少しマシな謝り方で対応できるし、そこまで責めなくてもと思ったら、WHATTA FUCK! って跳ね返せる。でも一三歳の私は、叱られるという体験を全部吸収してしまった」

    これを読んで、現役の中学生はともかく、まともな大人は「こいつ、何言ってんだ?」という感想を持つと思います。上記引用はこの本の中でも数少ない彼女の意見表明なのですが、「これこれこういうことがあるから、私はこう思うし、世の中はこうあるべきだと思う」のような論理的な書かれ方をすることはほとんどなく、「私はこう思った」程度で終わるのです。

    一事が万事、この調子です。

    さらに、自己陶酔した散文詩のようなものを書いたと思えば、酔った勢いでメモったお酒のレビューを「酔筆」と称して書き散らし、友達とのくだらない会話を意図もなく書き起こして自らの幼稚さを晒したりもします(「スパイシー」。余談ですが、昨今話題の「店においてある調味料で悪ふざけ」するような描写もあり)。

    「別れ」という話はアンチやファンの間で最も話題になるエピソードです。ファンからは、

    「世に広まる誹謗中傷の言葉は病原菌のように罪もない人を蝕み、伊藤詩織さんから最愛の人を奪った」

    という観点で語られることが多いのですが、当時付き合っていたパートナーというのは、きちんとした大人です。為す術もなくデマや虚言に騙されてしまった、とするのはあまりに彼をバカにしすぎなのではないでしょうか(このパートナーは、一説では彼女を公私にわたって支えていたクリエイターであるとも言われていますが、そうだとすれば尚更です)。また、仮に「騙されていた」のだとしても、彼女には全身全霊で彼の持った疑惑に立ち向かうことが必要だったはずですが、実際に起こした行動というのは、

    「私にあなたを教育する時間はない(略)自分でアクションを起こして、調べてみて」

    という対話の放棄(しかも何故か英語で捨て台詞を吐く)でした。
    ネット上のレスバで言えば、「ググれカス」とほぼ同義のその振る舞いは、「私を批判している人の意見を聞きたくて、メールを送ったが返事はないんです」と語っていた「ジャーナリスト」のやることとは到底思えません。

    「コカイン谷の子ども」。これには「危険な海外に取材に行く勇敢な女性だ」という印象をファンは持つようです。しかし、私はこの話にも「ジャーナリスト・伊藤詩織」としての能力の限界を感じました。
    この話の中心的存在は「ビリーさん」という、現地で食料や住居を提供してくれた男性です。妻子持ちで、一見ただの「優しいお父さん」である彼には、若いときに仕事上のトラブルで人を殺した過去があります。その事実を聞いた彼女は「怖い。誰が信用できる人間か分からない」と恐怖と不信感を抱きますが、これが「ジャーナリスト」の視点なのであれば、あまりに薄っぺらいと言わざるをえません。
    「優しいお父さん」である彼が殺人を犯さねばならなかった事情とは何か、また、殺人を容易に許容する社会の不安定さ等々、ジャーナリストとしての切り口はいくらでもありそうなものですが、「怖い、信用できない」という感想しか彼女には持ち得ません。そして、他人の立場に立って物事を考えられない彼女は、現地の人達に隠れて取材チームに協力してくれた「ビリーさん」の今後について思いやることをしません。取材先から脱出するときも「怖かった」としか思いません。これのどこが「プロの報道者の視点」だというのでしょうか?

    この本は、私、私、私で綴られる、「私」のオンパレードです。
    私はこう思った。私は怖かった。私は辛かった。
    「私」。
    それしか語られることはないので、良く言って「飽きる」、悪く言って「辟易」します。
    趣味で「伊藤詩織ウォッチャー」をやっている、私のような人間でさえ、読み切るのにはかなりの時間と労力を要しました。

    結論。

    「裸で泳ぐ」は「伊藤詩織初心者」には全く不向きの書籍である。

    以上、繰り返し申し上げて、このレビューを締めたいと思います。

    ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

  • 伊藤詩織さんが「ブラックボックス」以来初めて出版したエッセイ集「裸で泳ぐ」。
    私の詩織さんへのイメージは、「強くて賢い人」。でも、性被害に遭ったことを実名で公表し、激しいバッシングにも遭い、それにともない名誉毀損の裁判を闘ってくる中で、傷つけられ、不安定になり、悩み、迷い、大小様々な揺らぎがあったことがこのエッセイを通して知ることができる。

    それと同時に、ペルーの「コカイン谷」と呼ばれる街や、アフリカのシエラレオネに女性器切除の取材に行ったり、危険を伴う取材にも果敢に取り組んでいるを育てているのには、ものすごい度胸があるのだなと驚かされた。
    韓国でのハルモニとの対話、裁判で支援してくれた仲間、昔からの親友、イギリスへ呼んでくれた日本人など、様々な人との出会いを大切にしていきたこと、出会った人たちの存在に救われてきたこともそれぞれのエピソードから伝わってくる。辛いものやお酒が大好きなことも。
    その他、英語が堪能で様々な言語に触れてきた詩織さんならではの日本語に対する違和感や疑問や、子どもの頃に遭った理不尽な出来事、家族や恋人との葛藤や衝突についても赤裸々に綴られている。
    「被害者」としての経験を抱えながらも、強い信念を持ち、自分らしく生きるために懸命に生きる人の姿がここにはある。私はその姿にとても励まされた。

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著者プロフィール

1989年生まれ。ジャーナリスト。「アルジャジーラ」「エコノミスト」「ロイター」などの映像ニュースやドキュメンタリーなどの制作を行う。著書『ブラックボックス』(文藝春秋)

「2018年 『しゃべり尽くそう! 私たちの新フェミニズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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