飛ぶ教室 (岩波少年文庫 141)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001141412

感想・レビュー・書評

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  • 『終戦日記』からの流れ。ナチスが政権取った年に書かれた。以前なら単なる男の子の友情物語としか読み取れなかっただろう。「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」ユーモアと祈りが込められた話。

  • 何を今更の、児童文学の名作。
    私が小学生の頃からすでに図書館に何冊も置いてあり、夏休みのたびに、周りの大人たちに何度すすめられたことか。
    それほどまでに名作ならば、いつ読んでも良いのではと思ったのが正しかったのかどうか。
    読みながら何度も考えることになった。
    答えは・・・今読むのが正解だった。でも子供の頃にも読みたかった!
    たぶん本の世界に首っ引きで、読んだ後は周りの何もかもが違って見えるほどだったろう。

    物語は、20世紀初頭のドイツのキルヒベルクあるギムナジウム(全寮制中高等学校)が舞台で、主として5人の少年の学校生活を描いている。そこに、ふたりの大人が加わる。
    ひとりは「正義先生」と呼ばれギムナジウムの教師で、もうひとりはたまたま近所に住んでいた「禁煙先生」と呼ばれるひと。こちらはピアノ弾きを生業としている。

    タイトルの意味するところは、少年たちのひとりである「ヨーニー」が、クリスマスに上演する劇として書いた戯曲のこと。物語の中では、長期休暇前の最後の晩に披露している。

    端的に言えば少年たちの成長物語なのだが、爽やかな事柄ばかりではない。
    暴力まがいの事件もあったり、辛く悲しい現実を見せつけられる場面も多い。
    そういった状況でこそ輝く知恵や友情・勇気の大切さを力強く語っている。
    図書館の本でなかったら、傍線をどれだけ引いたことやら。。

    そしてこのお話の特色のひとつは、作者自身が「ふたつの前書き」と「後書き」とで、物語に参加していること。ナチスの支配下にあった1933年当時、作者がどれほどの願いを込めてこの作品を書いたかが、後書きまで読むとよく分かる。
    お話を読み終えてからもう一度「前書き」と「後書き」とを読んで咀嚼するというお楽しみ付き。

    未読の方には、ぜひともお読みいただきたいのだけれど、後半で泣いてしまうから気を付けてね。
    貧困のためクリスマスに帰宅さえできず、ひとり涙にかきくれるマルチン少年に、正義先生がお金を差し出す場面がある。その前後が、もう涙もので。
    子どもの頃だったら、ひとり寂しく居残りとなったマルチンに心を寄せて泣いたかもしれない。正義先生はなんて親切なんだろうと、その程度だったろう。
    ところが大人になった今は、正義先生の行いの心意気に(特にお金を渡すときのその言葉に)もう涙・涙。
    かつて目指したはずの、博学で機知に富み、寛大で思いやりにあふれた大人の姿がある。
    何よりもこのお話に登場する大人は、子どもの頃を忘れてなどいない。
    何に泣いたか。どんな時に辛かったか。何が嬉しかったか。大人にどうして欲しかったか。
    「子どもの涙はおとなの涙より小さいなんてことはない」という言葉の意味が分かるのは、このような大人だからだ。

    たとえ運が悪くても、元気を出せ。打たれ強くあれ。賢さと勇気とを身につけろ。
    作者のあたたかいメッセージが、クリスマスの鐘のようにいつまでも胸で鳴り響く。
    何度も何度も読み返したい名作。
    ああ、この一冊を読む夏休みがあって、本当に良かった。

  • 愛しい友へ | 一般財団法人 高田郁文化財団(2023/09/08)
    https://dokusho-culture.or.jp/book/25/

    『飛ぶ教室』のまえがき | 私の人生を決めた本 | 文藝春秋(2023/04/09)
    https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h5959

    飛ぶ教室 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b269616.html

    --------------------
    若松宣子(偕成社文庫2005年)、丘沢静也(光文社古典新訳文庫2006年)、那須田淳+木本栄(角川つばさ文庫2012年)を読み比べようと思って寝かしてある。

  • 中学生の頃、実家に置いてあった。あの頃にこの本を手に取ったが、魅力をあまり感じること無く、20~30ページ読んで、退屈になり諦めた記憶がある。単なるやんちゃな男の子達の学校生活を描いたものとしか受け止めていなかった。

    今回はしっかり読んで、ようやくこの本の魅力を堪能することができた。
    確かに冒頭は場面が変わり、状況がつかめず、どこから教室が飛ぶのか、予想できなかった。他学校とのトラブルにケリをつけていくあたりから、「そうか、これは教室が飛ぶ話ではなくて、ギムナジウムに通う少年たちの成長の物語なのか」と、遅ればせながら理解した。ページを重ねて海外文学特有の訳文に慣れてきたこともあり、読むスピードが上がった。

    表裏が無くて純粋な少年たち(5人組)が、体を張った無謀なチャレンジを繰り返しながら大人になっていく過程を思い出した。主人公マルティンの両親や、ギムナジウムの友人、先生達など、決して物質的に豊かではないが愛にあふれている環境だと思う。私自身も、酸っぱい、そして恥ずかしい思い出のある中高時代の学校行事を思い出した。終盤、先生からの次の言葉が印象的だった。「若い時の思い出を忘れてはいけない」とのこと。かっこ悪くても泥臭く全力で過ごした少年時代の思い出は、大人になった今を精一杯明るく生きるためのエネルギーになる。

    本書が出版された当時のドイツは、第一次大戦の敗戦後の混乱からナチスの政権掌握、そして第二次大戦へと向かう、歴史上最も過酷な時代であった。その中で「平和で明るい未来」を次世代の児童達に訴えた、90年前の筆者の「勇気」に思いを馳せてみると、ボケーっと無難に生きていて良いのかと考えさせられる。例えば、マルティンの描いた「10年後の家族の絵」に関する描写があるが、この絵の発想は称賛すべきものだと思う。大人たちが政治的判断を誤っている一方で、これだけ聡明な10代前半の少年が沢山いることを、筆者は訴えたかったのかも知れない。まさにこの本は「90年前から飛んできた教室」なんだと思う。

  • ドイツの寄宿学校にやってくるクリスマス!そのイベントを前にした少年たちの悩みや友情をユーモアたっぷりに描いた児童文学小説。学校同士の対決でハラハラし、先生との対話で癒される。

    子どもにもオススメだし、大人になった読者にも手に取ってほしい。憧れの先生・正義さん、頼りになる大人・禁煙さんから見た少年たちの瑞々しい葛藤が眩しい。心の奥に降り積もった雪が、涙となって溶けだしていく。少年時代の純粋さ。その尊さを見つめることは、心の中で生き続ける少年の自分を大事にすることなのだ。きっとその少年は、自分が人生を通して大事にしたいものを持っている。

    ボクサー志望のマティアス、貧しさを表に出さない秀才のマルティン、臆病な自分を乗り越えようとするウーリ、背負った境遇の重さにも倒れない詩人のジョニーなどなど、個性的なキャラがたくさん!敵ながらあっぱれなエーガーラントもカッコいい。正義さんや禁煙さんみたいな大人がいたら人生変わってただろうなあ。そんな先生を物語の中で実現したケストナーはすごい!

    以下、好きな文章を引用しておきます。

    p.19,20
    人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。おとなの涙よりも重いことだって、いくらでもある。誤解しないでくれ、みんな。なにも、むやみに泣けばいいと言っているのではないんだ。ただ、正直であることがどんなにつらくても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。

    p.125
    「教師ってものにはな、変化する能力を維持するすごく重い義務と責任があるんだ。さもなきゃ、生徒は朝はベッドに寝ころがってて、授業はレコードにやらせればいいってことになるじゃないか。ちがうよ、ぼくらに必要なのは、教師っていう人間だ。歩くカンヅメじゃないんだ。ぼくらを成長させたいんなら、自分も成長しないではいられない教師が必要なんだよ」

    p.167,168
    「いまからぼくが言うことは、もともとみんなにはまるで関係ないんだけどさ。ねえ、ぼくに勇気があるかなんて、考えたことがある? ぼくが不安がってるなんて、気がついたことがある? 思いもよらなかっただろ? ここだけの話、ぼくはすごく気がちいさいんだ。でも、ぼくは要領がいいんでね、気づかれないようにしてるんだ。自分がいくじなしだってことは、そんなに気にしてない。いくじなしだってことを、恥ずかしいとも思ってない。それもやっぱり、ぼくが要領がいいからだ。欠点や弱みは、だれにだってあると思うよ。問題は、それをごまかすかどうかってことだ」

    p.180
    「とにかく、世間にはぼくみたいな生き方の人間がすくなすぎるんだよ。もちろん、みんながいかがわしい酒場のピアノ弾きになれと言ってるんじゃない。ぼくが願っているのは、なにがたいせつかということに思いをめぐらす時間をもつ人間が、もっとふえるといいということだ。金も地位も名声も、しょせん子どもじみたことだ。おもちゃだ。それ以上じゃない。ほんもののおとななら、そんなことは意に介さないはずだ」

  • 先生が人間であるという事、生徒も人間であるという事。この時代にこういう先生や生徒が沢山いたとは思えませんが、だからこそ物語にして理想郷ともいえる世界観を作り出したことに意義があるのかなと。今は先生も生徒も人間である以前にルールを順守する事を厳重に求められる組織人としての素養を求められます。なので分かりやすいドロップアウト風味は今は流行らない。でもいじめやパワハラは形を変えて水面下へ。そのような世界に生きているとこの生き生きした物語が、胸にしみますね。

  • 宮部みゆき先生の「ソロモンの偽証」のエピグラフに「飛ぶ教室」の文章が出てきます。
    解説にも「飛ぶ教室」へのオマージュ的なことが書かれていたので、読んでみようと思いました。
    児童書の「飛ぶ教室」は読みやすいかと思いきや…すんなりと私の頭に入ってこず手強かったです。

    思春期の男の子たちの寄宿学校生活。
    親元を離れてドタバタな団体生活を送るなか、子供達は成長していきます。
    友情、愛情、成長、幸福、希望、親子愛。
    最後の方でうるっと来ました。

    訳者のあとがきで、ケストナーの執筆当時の時代背景が絡んでいることを知りました。
    そして、確かに「ソロモンの偽証」を思い起こさせる場面や雰囲気がありましたが、強くはないかな。

  • 不朽の名作
    小学生の冬休みの読書感想文で読んで以来、ずっと心に残ってる作品。

    ナチス政権下で出版を禁じられても子供達のために小説を書き続けたケストナー。

    子供達にどんなメッセージを伝えたくてこの物語を書いたのか、

    大人になってあらためて買って読んでみると、胸に込み上げてくるものがある。

    誰か映画化してください。
    (ケストナーの)

    クリスマスが近づくとまた今年も読みたくなる。

  • ドイツのギムナジウム(寄宿学校)で学ぶ5人の生徒の生活を中心に、クリスマスまでの出来事を描いた物語。
    敵対する学校との闘争あり、信頼する大人との交流あり、自分自身への葛藤あり。日常の中で、二度とは訪れない掛け替えのない日々の経験が描かれていく。
    『飛ぶ教室』は、彼らがクリスマス集会で演じようとしている劇のタイトル。


    やっと読めたし、正味感動できた自分にホッとした。

    「クリスマス特集」で先陣を切って紹介するような定番の本だが、実は読んだことがなかった。何度も手に取り、その度一遍も読まずに返却してきたのだ。今回も、かわいい牛が出てくるまでのところを一体何度往復したか。(読み返すと、まだ「まえがき1」な上に、たった5pほどしかない。)
    そんな外国文学アレルギーの私も、ジョニーの生い立ちが出てきたところで、ぐっと物語に引き込まれて行った。
    とはいえ、読解力が低いことに変わりはなく、主人公たち5人の「ギムナジウム5年生」というのが、日本の小学5年生に当たるのか、あるいは中学3年生にあたるのか、きちんと分かるまでにかなりのページ数と要したし(中学3年生でした)、『ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン(裏表紙より)』を識別するために、何度もページを行き来しなければならなかった。
    ギムナジウム5年生については言い訳させてほしいのだが、今の日本の中学3年生や小学5年生を見ている私には、登場する彼らの言動は幼く感じ、小学5年生くらいかもしれないと思う部分が何度もあったのだ。そして、最高学年である9年生の振る舞いも、大学1年生の年齢と言うよりは、中学3年生位の振る舞いに感じたのだ。これは訳文の影響なのかもしれないし、描かれた時代と現代の子どもの言動の違いなのかもしれない。そしてギムナジウム5年生というのがまた、小学5年生をギムナジウム1年生として計算するのか、あるいは小学5年生をそのままギムナジウム5年生とするのか少しややこしく感じた。(言い訳終わり)
    登場人物の識別で言えば、自分の読解力と想像力の低さを認識した上で、だから「角川つばさ文庫」が必要なんだろうなぁなどということを考えていた。実際私は「角川つばさ文庫」の本を読んだことはないのだが、漫画キャラで描かれた『飛ぶ教室』の表紙や宮沢賢治作品などがあったのを記憶しているので、想像力の欠如を補足するのにはいいのではないかなと思った。そしてなぜか私の中のウーリは、漫画キャラで再現されていた。
    「子どもに読んでほしいけれど入りにくい」という問題を解消するには、そういった工夫も必要なのかなと思う。


    好きな場面や気になったところをいくつか。

    一番好きなところは、禁煙さんと正義さんが出会うところだ。ここの場面に至るまでの高揚感と、邂逅の場面の満たされ具合ったらない。それを成し遂げたのが、生徒であるマルティンとジョニーというのもよい。ジョニーは事の次第によく気づいたなぁ。創作というのは、イマジネーションが豊かで観察眼が鋭い人間に適しているということだろう。
    ベク先生が語る、病気の母親を見舞うために規則を破る男の子とその身代わりになる友人の話でもうすでに泣きそうになってしまった。
    「あの人のためなら、おれ、首をくくられてもいい」というマティアスの言葉も素敵だ。
    ベク先生を見ていると、果たして自分は子どもにとって、正しく信頼に足る大人でありえるかということを考えてしまう。そして、決してそうではないだろうと思うがゆえに、歯痒く心許ない気持ちになってしまうのだ。
    正しく人を導くこととは、どうしてこうも難しいのだろうか。

    クロイツカム先生の授業で、ウーリが紙くずかごに入れられて教室に吊り下げられる場面は印象深い。この場面はイラストがあるので、余計に滑稽で笑えてしまう。
    堅物のクロイツカム先生が、息子であるルーディ・クロイツカムに、攫われたのに気づかないルーディの両親をこき下ろすところも傑作だ。けれどここで気に留めるべきは、「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」というクロイツカム先生の言葉だ。
    読んでいる時は、この場面ではマティアスもマルティンも止めようがなかったのに共同の罰を課せられるのはどうかと思ったのだが、池田香代子さんのあとがきを読んでものすごく納得してしまった。ケストナーがこの作品を書いたのは1933年で、この年のはじめ、ドイツはナチス政権の手に落ちた。
    『ナチスに協力した人だけでなく、なにもしないで黙っていた多くの人びとも責任があるのではないか』
    日本人にとっても耳に痛い忠告であるし、あるいは小中学校の教室においても、未だにこの手の問題は日常レベルで起きている。簡単なことではないけれど、心に留めておきたい言葉だ。

    ウーリの大ジャンプ事件について。
    心の成長の中には、超えなければならない壁がある。それが他人にとってどれほど馬鹿らしいことに見えても、とても大事なことだ。この時ウーリが振り絞った勇気は、彼にとっては一生モノの経験になったことだろう。

    ゼバスティアーンの孤独について。
    いつもお腹を空かせていて、友人に借金をしてまで食べ物を食べているボクサー志望のマティアスは、体が小さく、臆病なことを気にしているウーリと仲がいい。
    家は貧乏だけれど誰にも負けないくらい賢く、絵もうまいマルティンは、不幸な生い立ちを持つ、詩人のジョニーと仲がいい。
    5人を中心とした物語であるが、ふと語られるゼバスティアーンの孤独が胸に染みる。
    マティアスとウーリのように、マルティンとジョニーのように、親友と呼べる友人が見つかることは、どんなに幸運なことだろう。
    けれど、ゼバスティアーンのように、それがうまくいかないケースだってあるのだ。そしてそれが本人の性格や物言いのせいであったりすると、それはより悲しい。
    悲しいとは思うけれど、ゼバスティアーンはゼバスティアーンであることに絶望しているわけではない。
    しんみりしていたところに、『ゼバスティアーンはそういうやつだった! せっかくみんなが同情しかけたのに、すぐに冷や水をあびせるようなことを言う。』で笑ってしまった。

    マルティンについて。
    マルティンが母親から手紙をもらってからの顛末は、涙なしでは読めない。悲しみに健気に耐えようとする彼の姿は胸を打つ。そして、自分の苦しみを親友のジョニーに打ち明けられない理由もまた悲しい。
    『マルティンはこらえきれずに泣いた。ほんとうは泣いてはいけなかったのに。』
    とても好きな一文。

    最後の顛末については、ぜひ読んでほしいと思う。
    そして、幸福なため息を吐いてほしい。
    私は、物語はどうしても幸福に包まれて終わってほしいと思う。そればかりが正解ではないことも、それが真実ではないこともわかってはいるが、それでもやはり、そうであってほしいと思う。

    『誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。』

    だからこそ、大人は子どもの涙を減らすように努力するべきだし、せめて物語の終焉くらいは、幸福で仕方がないと思って終わってほしいと思う。

    …すごくとりとめのない感想になってしまった。
    どうやら本質には程遠いようだ。
    遠からず、もう一度読み返してみたい。

    • nejidonさん
      はなはなさん、こんにちは(^^♪
      しっかり感動が伝わってきますよ!とても素敵なレビューです。
      私も少し「思い出し泣き」をしました。
      「...
      はなはなさん、こんにちは(^^♪
      しっかり感動が伝わってきますよ!とても素敵なレビューです。
      私も少し「思い出し泣き」をしました。
      「点子ちゃんとアントン」も良かったです。
      ケストナーはいいですね。大好きです。
      こうして他の方のレビューを見ることによって、何度でも読み返した気持ちになれます。
      ありがとうございました!
      2020/05/03
    • はなはなさん
      nejidonさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      コロナで仕事がなくなったので、最近読書を頑張っていたのですが、感動すれ...
      nejidonさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      コロナで仕事がなくなったので、最近読書を頑張っていたのですが、感動すればするほど、感想が書けなくて困っていました。感じたことを言葉にするって難しい。
      そんな時だったので、nejidonさんに伝わったと言っていただけて、とても嬉しかったです。
      ケストナー、私も好きになりました。
      次は『エーミール』を読んでみたいです!
      こちらこそ、いつもありがとうございます^^
      これからもどうぞよろしくお願いいたします。
      2020/05/03
  • 『飛ぶ教室』読み比べ、最後は
    岩波少年文庫の池田香代子さんの翻訳。

    その他、各社の『飛ぶ教室』も本屋さんであっちこっち
    パラパラ立ち読みしたけれど、

    まずベク先生が「道理さん」はまぁ、却下。
    (「道理」はまず、決まりを守ること、
    「正義」はそれを超えて、正しいと思う事をすること、じゃなくて?
    でも今までにない翻訳にしたい、その気持ちは買うわよ。
    と上から目線)

    その他大好きな切符云々のシーンで取捨選択。

    こちらが残りました。

    大好きな『ふたりのロッテ』がこの方の新訳で出た時は
    すぐさま本屋さんに確認に行ったけれど、
    「あ、ここが違う、あ、こんな表現は嫌だ!
    これは『ふたりのロッテ』じゃ、無い!!」となって、
    帰ってきてしまった。

    高橋健二先生訳の『ふたりのロッテ』に
    思い入れが強すぎた為の弊害。

    それもあってちょっと距離を置いておりましたが。

    今回この読み比べで色々調べていたら、
    「あ、この方は フランクルの『夜と霧』を
    わかりやすい訳でわたしに読ませたくれた方?」と言うことに気付き、
    読んでみる気になった。

    大好きな野外ボーリング場(この翻訳ではこうなっている)のシーン、
    ここがぴったり、けなげな少年のふるまいが
    心に迫ってくる感じ、これですよ!

    全体的にセリフも優しくてその他の翻訳よりも
    少年が幼く感じられるけれど、
    それも良いんじゃあない?

    もし、「『飛ぶ教室』と言う素敵なお話があるときいたけれど…」
    と言う人があらわれたら、わたしはこの訳をお勧めしますな。

    非常に原作に忠実に、表現に気を使ってくれた翻訳、
    と言う印象!

    ついでに、岩波の偉いところは、
    『飛ぶ教室』も、『ふたりのロッテ』も、文庫は新訳だけれど、
    単行本の方はまだ高橋先生訳を引き続き販売してくれているところ!

    クロイツカム先生は言った、
    「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、
    止めなかった者にも責任はある」

    あ~あ、私も、ゼバスティアーンと同じように
    五十回この言葉を書き取りした方が良いみたい!

  • 昔は岩波の高橋健二訳のしかなかったが、(あれはあれで大好き。「○○してくれたまえ」とか言葉遣いが素敵。)今は様々な出版社からいろんな訳で出ている。名作だから、訳はどれでもいいのかもしれないが、絵はトリアーじゃなきゃ、駄目!絶対!!というわけで、池田香代子の新訳の岩波少年文庫で読みなおす。
    まずヨーニーがジョニーになったことに軽く驚く。いや、アメリカ人とのハーフだもん、ジョニーと呼ぶのが正解よね、と納得。美少年テオドルもかっこつけテーオドールになっている。こっちの方が彼の性格がわかってよい。他もウリーがウーリとか若干違う。正義先生は「正義さん」、禁煙先生も「禁煙さん」になっている。これは、昔の方がよかったな。確かに禁煙先生は学校の先生じゃないから(はじめは)、先生というのは変なんだけど、子どもたちの敬意が感じられるもの。
    でも、名作が今の子どもたちにも読みやすくなったのは喜ばしい。
    マッチョなところは今の眼で読むと気にならなくもないが、戦前だからな。
    子どのもころには正義先生がすごく立派な大人に思えたが、今読むと、先生、30代か、もしかしたら20代でもおかしくないかも。
    昔の大人は、本当に大人だったね。

  • ドイツの児童文学者、エーリッヒ・ケストナーの代表作。

    寄宿学校の少年たちの友情と成長を描く。

    この本の面白いところは、子どもを決して子ども扱いしない、心ある大人たちが出てくるところ。

    なんといっても素敵なのはこの物語がナチス政権下で書かれたということ。

    人間の想像力って、こういうことに使われてほしいですね。

  • 子供が図書館から借りてきていたのを、そう言えば『飛ぶ教室』は未読だったなと思って手に取る。児童書のオールタイムベストに数えられる作品で、こういう良質な青春群像小説が「児童書」扱いされて(ベク先生や禁煙さんのような)大人の手に届かないことがあるとすれば、まったく残念なことだ。ふと、「ここはグリーンウッド」を読み返したくなるなど。

  • NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」をよく聴いています。
    そんなご縁から来年還暦になるオヤジが岩波少年文庫(小学校4.5年以上)を手にしました。

    この小説に子供時代に出会うことのできた少年少女たちは、それだけで宝箱にしまっておくプレゼントをひとつ手にできたのではないか、子供の頃外遊び専門で読書体験の少なかった私にとっては、そんなふうに羨ましくも思える素敵な物語りでした。

    ギムナジウムで寄宿生活を送る少年たちの物語り。
    それぞれの家庭の事情や充たされぬ悩みや将来への希望など色々な重荷を未熟な肩に背負いながらも、友情を育みつつ知恵と勇気で葛藤を乗り越えて成長していく少年たちの姿と、彼らを厳しくも温かく見守る大人たちの眼差し。こんな眼差しの大人に見守られる子供たちは本当に幸せだと思うし、個性豊かで見どころのある子供たちに信頼され、その成長を見守ることのできる大人は子供より何倍も幸せかも知れない。
    私はこんな眼差しの大人になれただろうか。

    ちょっと切なくて、とっても幸せな気持ちになれる物語りです。

  • 本が売り切れだったので、久々にKindleで読んでみた。(この緊急事態宣言で本を勧めるコーナーがラジオで多くなったが、偶然にも違う方がそれぞれに一押ししていたので読んでみた。高橋源一郎さんなんか自分のラジオ番組のタイトルにしてしまっている)
    サクッと読めていったのだけど、後半近くなって、クリスマスに親元に帰れないマルチンの姿が、自分の小さい時の記憶と同じだったのでひどく感動していたら、それは私の経験の記憶ではなく、過去にこの本を読んだ記憶がすり替わって自分が経験したものと思い込んでいたのだ。自分はキリスト教徒ではないし、学校の寮にも入っていなかった。

     ということは遠い昔に読んでいて、自分がひどく、感じ入ったことが自分の記憶に置き換わっていたのだろう。(本当に失礼なヤツだ。

  • 岩波少年文庫は、本当に素晴らしい作品ばかりだ。
    そして、とても注釈が分かりやすいので大好きだ。

    この作品も、訳者のあとがきを読むのと
    読まないのでは、全然作品の重みが違う。
    訳者のあとがきによるとこの作品は
    ヒトラーが政権を持った1933年に書かれたそうだ。
    そういう背景を知ると、この作品のセリフに
    ケストナーの強い思いを感じ取ることができる。

    • reader93さん
      そうそう、ナチス政権にとってケストナーは目の上のたんこぶ的存在だったらしいですね。そういう状況下でこういった本を書いたと思うとますます感動し...
      そうそう、ナチス政権にとってケストナーは目の上のたんこぶ的存在だったらしいですね。そういう状況下でこういった本を書いたと思うとますます感動してしまいました。
      2011/08/29
    • christyさん
      >reader93さん、とてもいい本でした。紹介してくれてありがとう。
      本当に重みのある言葉がたくさん載っている本でしたね。私も、たくさん...
      >reader93さん、とてもいい本でした。紹介してくれてありがとう。
      本当に重みのある言葉がたくさん載っている本でしたね。私も、たくさん引用したくなりました!
      2011/08/29
  •  ギムナジウム五年生(14歳くらいかな?)の男の子たちの、クリスマス休暇までの三日間のお話です。「飛ぶ教室」は主人公の5人がクリスマスに上演する劇のタイトルですが、お芝居そのものよりも彼らのやんちゃな日常がメインな感じ。
     柵を乗り越えて無断外出するのはもちろん、仲の悪い近隣の実業学校に人質をとられて喧嘩したり、紙くずかごに級友を入れて教室の天井近くに吊るしたり、高いはしごから飛び降りて足を折ったり。

     腕っ節が強くていつも腹ぺこのマティアス、怖がりでちびのウーリ、正義感の強い奨学生のマルティン、皮肉屋で大人っぽいゼバスティアーン、身寄りがなく作家志望のジョニー、という5人の少年が魅力的です。
     が、同じくらいかそれ以上にいいのが「禁煙さん」と「正義さん」というふたりの大人です。昨今は物語のなかにあってさえまともな大人が減ってきましたが、このお話で出てくる先生たちはみんなすごくまっとうで、責任をもって生徒たちを愛しているところにすごく感動しました。
    「正義さん」は寄宿舎の舎監で、言いつけをまもらなかったら「二週間、自分にあいさつをしてはいけない」と少年たちをおどしたりします。この「変わったおどし」に「ききめはあった?」と尋ねる禁煙さんにジョニーが「おおありです」と答えるのですが、信頼関係があれば力なんかなくても男の子に言うことを聞かせることができるんですね(笑)

     個人的な恨みもないのに「学校の歴史をひきつぐだけ」で大げさな喧嘩をしたり、「いくじなし」とみんなに馬鹿にされて自分でもそれを気に病んでいるウーリが勇気を見せるために傘を持って高いところから飛び降りたり、「女の子」だった私には入っていけない、「男の子」の世界の出来事なんだろうな、と思いました。だからすごくまぶしくも見えるし、何でそんなことするんだろう……とついあきれちゃう気持ちもちょっとだけある(笑)
    (私が読んだ岩波少年文庫版の訳者あとがきで、映画では喧嘩相手のエーガーラントという少年が少女に変更されていた、と好意的に書いてありましたが、私はこういう「男女平等」はどうも小手先っぽく見えてしまうなあ……その世界に「女」がいないならいないでいいじゃないですか)
     死ぬ気で高いところから飛び降りる、みたいな通過儀礼が男の子の成長には必要なのかな、やっぱり。ウーリは劇で女装して女の子役をやるはずだったのに結局足のケガで舞台には立てなくなり、その役を下級生に譲ることになった、というのも何だか象徴的だ。

     マティアスとウーリのあいだの友情が美しい。そのぶん、ゼバスティアーンがちらっとほのめかす孤独がせつない。
     あと、書かれたのは1933年で、ケストナーはナチスに目をつけられていたそうです。作中でドイツ語のクロイツカム先生が生徒に書かせる「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」という一文が重い。

     少年たちの合言葉「あったりまえ!」は原語だとどうなってるのか、気になる。
     
     

  • 最初の読み始めはよく分からなかったけど、素敵な大人がいっぱい出てきて、世の中捨てたもんじゃないなと、読後感がとにかく幸福だった✨ あとがきを読むと、一種の作者の理想、憧れではあるみたいだけど。。また時を置いて読み直すと感想が変わるかも。やっぱり岩波少年文庫は良い。

  • 子どもの涙は大人の涙より小さいなんてことはない。この話の舞台、ドイツの寄宿学校で流れた涙もちっぽけじゃない。だからこそ、友だちとともに笑う喜びも大きい。

    (『キラキラ子どもブックトーク』玉川大学出版部より紹介)

    「ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。」

    「『飛ぶ教室』の舞台はドイツのギムナジウム(中高等学校)。寄宿舎で暮らすわんぱく5人組が多くの困難を「勇気」と「賢さ」で乗り越える物語。そう、どちらも必要なのだ。「まえがき」にも書いてある。「賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない。
    ーケストナーはまた、まえがきでこう書いている。
    「子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない」。子どもを一個の人格として認め、尊重している。」
    (『いつか君に出会ってほしい本』田村文著  の紹介)

  • 宮崎駿と河合隼雄の両者がオススメしていたので、迷わず手に取りましたが、いや〜面白かったです。続きが気になってあっという間に読み終えてしまいました。また一つ、大切な本に出会えて嬉しい限り。おすすめです。

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