フォトエッセイ 希望の大地――「祈り」と「知恵」をめぐる旅 (岩波ブックレット)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (80ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002708416

作品紹介・あらすじ

24時間、明りに照らされた生活を手に入れた現代。しかし、私たちは本当に大切な「光」を見失っていたのではないか-。自然への畏怖を忘れ、人間を最も優れた生物とする価値観が、大震災と原発事故を経たいま、根本から問われている。世界各地の自然や人の暮らしを取材・撮影してきた著者が、カラー写真を交えながら、3.11後の生き方を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 暗闇で明かりをつけてみる。光は希望、理想のメタファ。自分だけに光を当ててみると自分自身が希望になり理想になるが、行く先は闇の中。自分だけに光を当てたがる偽政者は行く先を見失った独裁者。光は遠くを照らすもの。現代日本人の過小評価した自然観と、過大評価した科学技術への信仰が3.11のフクシマを生んだ。夜の闇や突然の雨は自然であり変える事が出来ない。ひたすら受け入れるしかないもの。人間は自分たちの力を驕ってはいけない。慎みが必要。もともと夜は暗いもの。変えられないものは受け入れるしかない。

  • 初めて桃井和馬さんの本(写真)を読みました。
    80ページほどの小冊子ですが、書かれていることが素晴らしい。
    大切なメッセージが凝縮されています。

    Amazon内容説明には、こう書かれています。
    24時間、明りに照らされた生活を手に入れた現代。しかし、私たちは本当に大切な「光」を見失っていたのではないか。自然への畏怖を忘れ、人間を最も優れた生物とする価値観が、大震災と原発事故を経て、いま根本から問われている。世界各地の自然や人の暮らしを見つめてきた著者が、自らの体験をもとに震災後の生き方を探る。

    これは、3・11以降、様々な本で取り上げられているテーマだと思いますが、桃井氏の文章には、また違う視点というのでしょうか、独特な視点があって、それが心の深みにまで響いてきます。

    もっと桃井氏の著書を読みたくなりました。

  • もっと無駄をしたいと思ったし(消費的なという意味でなく、その時点は効果がわからない文化・芸術的な側面において)、

    「ため」や「先を見据えて」になっている自分の自覚が出来た。

    この本を読み終えた後の久々の散歩、

    その道中にみた野菜畑。

    肥しをやり、雨が降り、人の手が入り。

    それでもなお十分ではなく、必要なものがある、

    「ただ悠然と流れる時間」。

    体や心が動き出す時は、動きださねばいけないという強迫観念だとか、

    先を見据えての戦略、及びその地点からの現在点の把握みたいなところからではなくて、(そうすると僕の場合は驚くほどに動きや流れが止まる)

    悠然と構え、ちょっとしたきっかけ、たとえば朝の体操とか、普段車を使っているところを散歩に切り替えるとか。

    そんなことが繋がっていく気がするなぁ。

    今も、ひどく残り時間ばかりを気にしていて、瞬間にのっていない。

    何も仕事をしているばかりが人生じゃないんだから、

    このありあまる時間を生きるということも、充実した時間として見方を転換させて行きたいなぁ。

    ▼以下引用

    ・フランスの哲学者パスカルは『パンセ』の中で、「パスカルの賭け」という概念を提示している。神の存在を証明できない以上、神など『いない』可能性は高い。しかし、神が『いない』と考えるより、「いる」と考える方がより豊かな人生を送ることが出来る。

    ・途上国への開発援助のよる道路整備は、日本車の輸出に、ダム建設は家電の輸出と欲望の肥大化に

    ・ソ連の社会を覆う、「千の耳と千の目」。

    ・精神面も同じく、「明るく」『エネルギッシュ』であることが、必要以上に評価されるのもこの社会の特徴。だが本当に人間は明るく、エネルギッシュであり続けられるのか。道教では陰陽が主軸になるように、陽があれば、陰も必要なのではないだろうか

    ・たとえば突然雨が降った場合、自然と共に暮らす人々は、雨に対して愚痴をこぼすことはない、せいぜい天を見上げて『雨か』と短い感想を漏らすくらいだ

    ・また長い距離を歩いて疲れても彼らが不満を漏らすことない。一日中歩けば疲れるのは当然のことでどうしようもないからだ

    ・電気が止まっても、人々があわてない社会とは、人々の心の糊しろが大きい社会、本物の余裕を持った社会で、それこそが本当の意味で強い社会ではないだろうか

    ・完全に解き放たれた欲望が無限大に増殖する社会の誕生

    ・人々は欲望に振り回されるばかりで、もともと何を追い求めていたのか、またなぜそれを欲していたのかさえ分からなくなっている

    ・人間など到底かなわない存在がその領域には『いる』、または『ある』のだから、聖域では肩肘を張る必要はない。頑張る必要もない。初めから『負けているのである』。それ故ひたすら祈るのである。祈りとは人間を超えた療育との対話だ。そして祈ることで人は心から不安を取り除き、心を静めた。それが聖域の意味であったのだ

    ・暗闇があることで、本当の『明りの意味』が理解できるように、正面から死を見つめることで、必ず『生』は輝きを放つようになる。死を覆い隠すような社会では、多くの人が生きる意味を探しあぐねることになる。

    ・終わりまでの残りの時間にとらわれていた。すると時間は止まったようになり、一瞬は永遠に感じられ耐えられない。私は一秒を乗り切ることだけに精神を集中させていた。

  • 幾冊もの「震災関連写真集」を見た。この中でもこの作品は、事実を伝えるだけでなく、作者の視点を明確にしたものとしてこころを打つ。モノ化社会、原発反対の理由。
    聖域は、暗く、無駄が多く、何かがいる空間だが、効率を優先するこの消費社会では、それらのものを排除してきた。
    地球はひとつしかない。そのことを三陸沿岸部でも、世界の聖域でも感じることを提起している。

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。写真家

「2011年 『TSUNAMI3・11』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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