- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003103814
感想・レビュー・書評
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ああ皐月仏蘭西の野は火の色す
君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
最近読んだ、田辺聖子の「孤独な夜のココア」の中にこの歌が引用されていて、無性に与謝野晶子の歌集が読みたくなった。
雛罌粟(コクリコ)というのはフランス語で「ひなげしの花」のことだそうだ。あの細い茎の上に鮮やかなオレンジ色の薄い、ふんわりとした、大きめの花弁を広げて、風に吹かれると折れてしまうのではないか、倒れてしまうのではないかと心もとない姿は可憐であり、守ってあげたくもなるが、やはり、あの鮮やかな色は女性の情熱や芯の強さそのままのようでもある。私の住んでいる市の植物園の入り口近くにも、もうすぐ何百本のひなげしが広がる一角があり、ときおりうすら寒い春の日の中で何とも言えない柔らかな気持ちになる。
けれど、コクリコの意味を知らなくても、「皐月」「仏蘭西」「雛罌粟」という画数の多い漢字が並び、漢文のように東洋的な中に「ああ」「フランス」という言葉で遥か遠いところにきたことが分かり、「君も」「われも」とあることで、その「遥か遠いところ」に愛する人といることが分かり、そこに「コクリコ」という何とも優しい響きの音が繰り返される。意味が分からなくても傑作だが、更に「コクリコ」は「ひなげし」のことだと分かると「火の色す」と共にパァーと目の前に光景が広がり感動する。
この与謝野晶子の歌集は与謝野晶子自選集であり、初めは昭和13年に刊行された。晶子の最初の歌集「みだれ髪」(明治34年)から「心の遠景」(昭和3年)までの21歌集から2076首とそれ以後の887首を「与謝野晶子全集」(昭和8年〜9年、改造社)によって補い、さらに改訂にあたって晶子の遺歌集「白桜集」の中から馬場あき子氏が100首を加えられた。
与謝野晶子の昭和13年のあとがきによると、自身の作品の中で初期のものばかりがもてはやされるが、その当時は実は島崎藤村や薄田泣菫の模倣をしていた「嘘の時代」であり、後年のほうが「嘘からでた真実」の時代であるから、本当は初期の歌については恥じているけれども「歴史的に」という出版社の希望があったから仕方なく初期の歌集からも選んだということが書かれている。
しかし、「模倣」で「嘘」だと言われても、音楽でも絵でも文学でも「作品」を作る芸術家には大体「先生」的な存在はいて、殆どの人が「模倣」から始まっているのではないか。「真実でない」ことがいけないことではなく、むしろ人を感動させる作品には「技術」や「形」や「嘘」は必要なのだと思う。最初はみんな「真似」。でも「真似」ではなく「作品」として名を残せたということは晶子の特に初期の作品には情熱と才能がほとばしっていたからであろう。
という訳で、有名な第一歌集「みだれ髪」から誰もが知っている有名な歌
やは肌のあつき血潮に触れも見で
さびしからずや道を説く君
その子二十櫛に流るる黒髪の
おごりの春の美しきかな
それに続く「小扇」「毒草」「恋ごろも」「舞姫」「夢の華」「常夏」「佐保姫」「春泥集」「青海波」も美しい歌が沢山収められているのだが、「みだれ髪」の印象が強すぎるのが、それほど印象に残る歌はなかなか無い。その中でオッと思った歌。
ゆるしたまへ二人を恋ふと君泣くや
聖母にあらぬおのれのまへに
冬の日の疾風(はやち)するにも似て赤きさみだれ晴の海の夕雲
(以上「舞姫」)
河がらす水食む赤き大牛を
うつくしむごと飛びかふ夕
思ふ人ある身はかなし雲わきて尽くる色なきおおぞらのもと
朝がほの紅(あけ)むらさき一いろに染めぬわりなき秋の雨かな
(以上「常夏」)
左手に小刀つかひ木の実など
彫りける兄とはやく別れき
(「佐保姫」)
一人(いちにん)はなほよしものを思へるが二人あるより悲しきは無し
遠方(おちかた)のものの声よりおぼつかなみどりの中のひるがほの花
(以上「春泥集」)
見て足らず取れども足らず我が恋は
失なひて後思ひしるらん
(「青海波」)
冒頭に引用したコクリコの歌は歌集「夏から秋へ」(大正3年)に収められている。夫与謝野寛が先にフランスに渡り、後を追ってフランスに着いた時のしみじみ感動したときの歌らしい。晶子はこの時すでに7人の子供の母親で、「その間子供どうしてたん?」と素朴な疑問があるが^^
とにかく、この「夏から秋へ」にはフランスという異国の土を踏み刺激を受けて、印象に残る歌が結構ある。
くれなゐの杯に入りあな恋し
嬉しなど云う細き麦わら
しら波のやうなる真珠の輪頸に
掛くれば涼風ぞ吹く
白塔の窓のあかりは烏羽玉の
くらがりよりもかなしかりけれ
ふつつかに鳥のようなる裳をひろげ花屋のおばが店開くる頃
手のひらに小雨かかると云うことに
しら玉の歯を見せてわらひぬ
曲がりたり石のきざはし秋風の
よろめきて吹く石のきざはし
四十代くらいになると、流石に恋だの情熱だのという歌よりもしみじみ人生を振り返るような落ち着いた歌が多くなる。
冬の空のをかしく更けにけり
うすき塩湯の味ひをして
うら寂しところどころの剥がれたる
築土のごとき五月雨の空
観音の千手のようにことごとく
ひとしき丈の赤倉の杉
御空よりわれを認めし星落ちぬ
人の恋ほどためらはずして
唯だ二つ寄そひて咲くその外の
ことは思はぬくれなひの薔薇
(以上「草の夢」)
一枝の紅葉にはかにくつがへり
散るもなり人もかなしき時に
狐より長き尻尾を引くかぜの落ち葉の上を過ぐる夕ぐれ
くれなひにひとしけれど落日に比べて重き柿の葉の落つ
(以上「流星の道」)
ひなげしは夢の中にて身を散らすわれは夢をば失ひて散る
地震(なゐ)の火のやや静まりて雨降りぬあらぬ姿の都の上に
(関東大震災の時の歌)
雪国の温泉町のあけがたのうす墨色のなつかしきかな
(以上「瑠璃光」)
一いろの枯野の草となりにけり
思ひ出ぐさもわすれな草も
日昇れど何の響きもなき如し
夏の終わりの向日葵の花
(以上「心の遠景」)
遺歌集「白桜集」から夫寛亡き後の歌
霧来り霧の去る間にくらべては久しかりきな君と見し世も
初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消え行く
晶子は初期の「フェミネスト」と見られるイメージだが、私の苦手とするギスギスした大声で権利を主張するフェミニストのイメージとは全然違うと思った。12人もの子供を育てながら、何千首もの歌を作り、海外だけでなく国内でもあちこち旅行していたのだから、夫よりも家計を支え、苦労したとは言っても才能にも環境にも恵まれていた人に違いないと思う。
「女性の権利を主張した」というよりも、恋愛も不倫も出産も子育ても自分が思うままにしながら、生涯、「女性が思う女性らしさ」を堂々と全面に出して表現してきた「女性が憧れる女性」だったと思う。
各歌集の装丁の写真も載っており、その時代の錚々たる画家たちが装丁を手掛けたおしゃれな本であったことが分かる。近代日本の文化を牽引してきた芸術家の一人とも言えるだろう。
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与謝野晶子ってかなりヤバ女だったんだ…ということを思い知らされた、歌を詠もうってなったとき、出だしを 狂いの子 にできるのすごすぎる…狂いの子て…
有名な歌は何個かきいたことあったけど、ガツンとよむとかなりくる、いまは与謝野晶子訳の源氏物語を読んでいます -
与謝野晶子歌集
(和書)2009年08月12日 15:59
1985 岩波書店 与謝野 晶子
歌集を読んで感じたことは、歌ひとつひとつがそれぞれ完結した空間を構築しているため読むのに案外エネルギーを必要とすると言うことを実感した。
初期の作品はそれほど多くないらしい、でも読めて良かったと思う。 -
著者:与謝野晶子(1878-1942、大阪、歌人)
解説:馬場あき子(1928-、東京都、歌人) -
新書文庫
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正直さっぱり意味がわからなかった。一句ずつ解説付きなら良かったが古い言葉遣いがわからない人間(自分含め)には少々つらいのでは?
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田辺聖子著『一葉の恋』を読んで読む。
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とにかくエネルギッシュです。
『強くなろう』って思える一冊。