- Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003119211
作品紹介・あらすじ
デビュー以来、半世紀を超えて人々に愛されつづけてきた谷川俊太郎(一九三一‐)の二千数百におよぶ全詩から、作者自身が一七三篇を精選。わらべうたから実験的な長編詩まで、のびやかで、リズム感あふれる言葉がここちよい谷川俊太郎のエッセンス。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
リズムよい言葉遊び
生と死の境界を漂う
なんかエロティック
色んな世界に誘われ
想像が委ねられる
言葉の魔術にかかる
ザ!俊太郎マジック⁉︎
ブックオフにて購入 -
谷川俊太郎の詩には、まだ幼いとき母親の声を介してお世話になり、ティーンネイジャーになってひとりで読むことを覚えてからひそかに救われ、同時に思春期のナイーブな叙情に浸っていても仕方がないことも教わり(彼は機械少年だった)、
しばらく世間の何やらかんやらに塗れて汚れてご無沙汰になっていたが、たまに詩集を開くとモーツァルトの音楽のように澄みわたる透明な世界があった。
温泉につかって疲れを「取り除く」といったものではない。詩集を開くたび、取り除かれるどころか、何かがプラスされる。目玉の動きが活発になって、次から次に言葉が浮かんでくる。
そうこうするうちに、信じられないことに自分が子供を持つことになって、今度は自分の声を介して、谷川俊太郎の詩を娘に読み聞かせている・・・
彼が聖詩人ではなく、職業詩人としての態度を守っていてくれたおかげだ。彼は生活のために詩を書くと言って憚らない。老若男女、あらゆる読者にむかって書く。けれども、一人の人間のうちに、老若男女、いずれもが共存しているらしいぞ、というのがわかってきた。だから、何度彼の詩と出会い直してもなお新鮮なのだと気づいた。
彼もまた老いながら生きながら詩を書いている。それを私は追いかける。彼もいずれは死ぬ身だけれど、彼の晩年の詩が私にストレートに語りかけてきたとき、そのとき私の死はもう遠くないのかもしれない。
そのとき、もうこの世にはいない詩人を思って、死者になった詩人はいったいどういう詩をいま書こうとしているのだろう、と夢想する老いた自分が、けっこうありありとイメージできる。 -
全く詩に明るいわけでもない自分がレビューもおこがましい気もしますが。。。
言葉や世界の捕まえ方でハッとさせられることがたくさんある本でした。
歳を取るに従ってだんだんとそういう世界の眺め方が一定方向だけに固定されたり狭まっていってしまう感覚があり、そんな中でとても刺激になりました。
願わくばいつも世界を新しい目で眺められたらです! -
心に残った詩は、只。
お金のかかるものと、ただで手に入るものを列挙しています。
ただで手に入れられるものこそ、本当に大事にしたいと思いました。真の愛。本当の友人。深い思想。
ただだけれど、手にするのはとても難しいと思っています。
最後のことば「のはずだけど」に作者の思いが読み取れました。 -
心の詩D、が印象に残りました。
「私は心の手で触れることができる
魂のマチエールを求める」
マチエールは仏語でmatière, 材質や質感のことなのですが、詩作には直接魂が震えるような体験が必要,
ということなのでしょうか。
それはおそらく特別な体験ということではなく、詩人の感じ方、自身の心の膜を通して見たときの世界の在り方、ということなのかもしれません。 -
時代を超越する詩。音と言葉。
-
わざわざ買って手元に置いていたくらいなので谷川俊太郎の詩に興味があったのだとおもうが、しばらく積読にするうちに、すこしだけ「読み頃」を逃したのかもしれない
あきれるほど多彩なスタイルで詩を書いているが、どのようなスタイルであっても谷川俊太郎らしさが感じられるのは流石というべきか