ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫 赤 247-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003224717

感想・レビュー・書評

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  • これはギッシング作の架空である人物、ヘンリ・ライクロフト私記である。ライクロフトの私記では、春、夏、秋、冬、と季節毎の情景やライクロフトの郷愁の念が文章の中で躍動している。花のひとつひとつの名前を書き、自然や景色、そうしてイギリスの文化について叙情的に四季とともに語られている。ギッシングはきっと架空のライクロフトという人物を投影することによって自身の葛藤や、貧乏であったこと、それらに付属する感傷を昇華する事が出来たのだと思う。
    ライクロフトはこのような事を語っている。老年になり歴史について史書を読む必要はない。私は「ドンキホーテ」を読みたい、と。楽しむ為に、と。ギッシングに於けるライクロフトという架空の人物が作り出され、それが本になり彼は成功を遂げた。イギリス中で愛読された。しかしその数ヶ月後にギッシングは死んだのだ。友は悲惨な死であったと言った。ライクロフトの言う望んだ死は遂げられなかったのだ。

    私はこれを読み、自然というものを、四季というものを大事にしたいと思った。ひとつひとつの変化を毎日捉えられるように、ライクロフトのようにはいかなくとも、微量の僅かばかりの活力を生を、大地の匂いを楽しみたい。そう思った。

  • ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』岩波文庫 読了。移りゆく四季の中で、読書を愛する主人公が人生を回顧し思索にふけりながら、片田舎で穏やかな余生を送る。読書人の境地ともいえる。読中たまに飽るが、散見する彼の思想には共感する部分が多い。再読を重ねるほどに妙味を堪能できるだろう。
    2010/04/14

  • ヘンリ・ライクロフトという架空の人物の隠遁生活におけるエッセイ集のようなもの。ライクロフト=ギッシングとみればエッセイであり、そう見なければ、文学作品となる?

    解説には、自然の描写に共感できる、とあったが、そうでもない。正直に言うと、最後まで読み通すのには、骨が折れた。こういう本を楽しんで読めるようになりたい。

  • 19世紀イギリスの小説家ジョージ・ギッシング(1857⁻1903)の最晩年の作品、1903年。ヘンリ・ライクロフトなる人物の手記という形で、そこに作者自身の人生を重ねた自伝的作品。

    幸福な偶然によって金銭的余裕を得たライクロフトは、日増しに騒々しくなっていくロンドンでの都会生活を避けて、田園にて孤独に耽る。手記の内容は、思索的であるが、しばしば過ぎ去った生への悔恨の念が前面に出ている個所も多い。また、ライクロフトは一定程度の教養層の出身と想像されるが、自らを労働者階級から截然と区別しており、階級的差別意識がはっきりと表れている。そこに綴られた文句の端々にライクロフトの、則ちギッシングのプチブル・ディレッタンティズムが嗅ぎつけられてしまい、読んでいて苦々しい。



    繰り返し述べられているのは、若き日に嘗めた窮乏の辛酸に対する根深い忌避感、世間と俗物群衆が喚き合っている低俗な都会生活への嫌悪感だ。

    教養ある彼には、労働者階級の日常に溶け込むことができず、学芸の古典へと沈潜することで自らの精神の平衡を保つ居場所を得る。自己を社会の構成要素と考えることができず、社会と常に敵対関係にあったライクロフトにとっては、孤独の裡に在ってのみ自分が自分でいられるのだ。

    そして、当時立ち現れつつあった匿名多数の衆愚の塊としての社会への嫌悪と恐怖が、自分も嘗て困窮の都会生活時代に目の当たりにした労働者階級の悲惨な現実に対する苦い思いが、彼を"反民主的"にした。精神の"貴族性"無き無教養の群集が政治権力を掌握する民主主義の思想を、彼は拒否した。肉体労働を通して社会機構の基盤を支えている労働者たちに感謝を示しつつも、嘗て身を以て接した労働者階級の愚鈍さと醜悪さの現実を受け容れられず、階級無き世界を目指す社会主義者の見ている労働者は彼には幻想だとしか思えなかった。貴族には"倫理的優越性"が在るとして、卑俗な下層階級は彼らに服従することで"高貴な倫理性"に与れると考えていた。イギリス人の精神生活は"栄光ある"貴族階級によって支えられているのだと。

    時代の趨勢の中で次第に過去のものとなりつつある観念的な貴族的"栄光"を称揚し、無教養な労働者階級を蔑み、更には社会的成功を得た俗物に嫉妬する。そこには、自己の生に対する不全感からくるルサンチマンが影を差していないか。



    そして偶然の幸運から転がり込んできた物質的生活上の保障を得て、自然と読書に耽るだけの日々に退却する。都会生活於いて自分の生を生き切ることができず、生を諦めてもなお続いていく日常を、田園の中で精神的物質的平静と静寂に包まれた孤独な隠遁生活として遣り過ごしていく。どうしようもなく中途半端な自己の生に対する悔恨と諦念とともに、古典の世界へと耽溺していく。

    「だが、考えてみれば、私はまだなに一つ仕事らしい仕事をしていないのだ。これというはなばなしい経験もなかった。私はただ準備だけをしてきたのだ――人生の一介の徒弟にすぎなかったのだ」

    「・・・、私が機会に恵まれなかったがゆえに、いやそれ以上に、おそらくは適切な方法と不退転の熱意に恵まれなかったために、自分のもっていた可能性が空費され、失われたことを意味する。思えば私の生涯は今までずっと一つの試みにすぎなかった。出発を間違えたり、途方もないことをやりだしたり、といったことの断続的な繰り返しにすぎなかったのだ」

    同時代ドイツの生理学者デュ・ボア・レーモンに端を発する著名な「ignorabimus論争」にもディレッタントらしい関心を示している。

    「今でも昔と同じく、われわれはただ一つのことしか知らない。つまり人間はなにものも知らないということだ。たとえばだ、路傍の花を摘んで、それをじっと見ながら、もし仮にそのときその花に関する組織学、形態学等々の知識をみな私が知っていたとしたら、その花の意味をことごとく尽くしえたと、はたして私は感じることができるだろうか。これらは言葉、言葉、言葉にすぎないのではないか」

    「・・・。人間は進化の法則の産物にすぎず、その感覚と知性も、人間をその一構成分子とする自然の機構を観察する以外になんの役にもたたないというのか。・・・。解けない問題への絶望、おそらくは、あえて解けると誇称する連中への忿懣、こういったものが、形而下的な事実のかなたにある一切のものを断固として否定せしめるにいたり、ついには自己欺瞞に陥らしめるにいたった、・・・」



    読んでいてどうにも居心地悪いのは、そこに描かれているライクロフトの生がまさに自分自身の姿だからだ。この苛立ちは、ライクロフトに投影された自己嫌悪だ。

    「私が考えているのは、心の問題を情熱をもって追究し、自分の神聖な時間を侵害するすべての世俗的な利害関係や煩わしさから苛立たしく面をそむけ、ひたすら思想と学問の無間性の観念に憑かれている人であり、精神的な活動力をささえる基盤である条件は痛切に知ってはいるが、それを無視せんとする不断の誘惑に抗することのできない人間のことなのである。・・・、かかる人間は自分の才能を商品として売りだし、貧困の絶えざる脅威の下に営々と働かなければならないというしばしばみうけられる実状・・・」

  • 人生における成功ってなんなんでしょうねぇ?

    この作品はギッシングという英国作家が20世紀初頭に書いた
    随筆のようなものです。(主人公ライクロフトに自身の人生を重ね合わせている)

    作家ライクロフトの人生は一言でいえば報われない人生でした。
    本を愛し、芸術を愛するがゆえ、時代に迎合するような作品を描けなかった、
    そして50歳まで貧しい生活を送っていたのです。

    やがて、突然の幸運が彼のもとに訪れ、思いもよらないところから巨額のお金を
    手にし、憧れていた自然溢れる田舎での生活を送ることにしました。

    生活のために働くことを必要としなくなった彼は小説を書くのをやめました。
    そして、豊かな春夏秋冬の自然の中で彼は癒されてゆきますが、それと同時に
    一種の虚無感にもかられます。
    目的を失った喪失感のようなものです。

    彼の思考はゆっくりと過去の回想や、自然、イギリスへの愛着へと移行してゆき、
    一年を経つ頃には、自身の人生が完成された、と達観し、
    静かに優しく老いていきます。


    今、20代半ばに読んだ自分としては、この作品に横たわる静けさに何となく物足りなさ
    を感じます。
    自分がライクロフトと同じ歳になったとき、もう一度読んでみたいと思います。

    夢とかお金とか友人とか、いろんな大切ものへの価値観はきっと今と全く違うんでしょうね。


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