- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003302125
感想・レビュー・書評
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再読。龍馬書簡集を再読した勢いで次は松陰先生を。龍馬の手紙が約140通残っているのも驚きだったし、現代人だったらめっちゃLINEの返信とか早いタイプだろうなと思ったものだけど、松陰先生の書簡はなんと600通!も残っているというのだから驚愕。本書に収められているのはそのうち100通分だけだが、残っているだけで600通とは、とんだ手紙魔。
もし松陰先生が現代人だったらSNSでめっちゃ発信するタイプだろうなあ。幕末の志士たちがFacebookでフォローしあっている様子とか想像してちょっと笑ってしまった。そういうパロディが成立しそうだ。
まあ筆まめなのは間違いなかったろうけど、そもそも松下村塾は松陰先生が黒船密航に失敗して入獄したことがきっかけで始まっているので、一般的な志士たちのように日本各地を飛び回って活動していた期間より、萩で軟禁状態にあった期間が長い、つまり書き物をする時間が他の志士たちよりたっぷりあったというのは理由のひとつとしてありそうな気がする。
とはいえ本書には自由にのびのび日本各地を飛び回っていた頃、郷里のお兄さんへ書いた手紙も多数収録されており、若き日の松陰先生が黒船を目撃して大興奮!な様子、つまりこれは日本の危機!なんとかしなくては!という危機感、使命感などが伝わってくる。
基本的に松陰先生は真面目なので、妹たちに書いた手紙も真面目。これが龍馬だと、年頃の姪っ子あての手紙では彼女が気にしている肌荒れ(ニキビ跡?)を「金平糖の鋳型」とからかい「外国のおしろい」を送ってやるからせっせと塗りたくれよ~みたいな軽口をたたいたりしているけれど、松陰先生は婦女子のあるべき姿について説教をする。そういう自分は黒船に密航失敗、逮捕されて獄中にいるという親不孝の真っ最中というのに!うん、でも松陰先生のそういうところがなんとも言えず私は好きですよ(笑)でもお正月に妹に出した手紙では「新年御目出度」云々と書いたあとで「目と云は目玉の事ではない、目玉共が元日から出たら、ろくな事ではあるまい。目と云は木のめの事じゃわい」と、ちょっとお茶目なことも書いている。妹は三人いるので基本的に長女の千代宛て。末妹が大河ドラマの主人公にもなった文。
弟子たちあての手紙も多数収録されているけれど、最後のほうはほとんど入江杉蔵(九一)と野村和作の兄弟あて。なぜなら獄中にいても過激な松陰先生は、弟子たちの慎重さを生ぬるいと弾劾、腹を立ててほとんどの同志と絶交してしまい、妹聟である小田村伊之助や久坂玄瑞のことですら薄情者扱い。ただそうなる以前は、桂、高杉、吉田稔麿や、品川弥二郎などにも手紙を書いているし、人物評なども興味深い。
完全な余談ながら松下村塾を松陰先生プロデュースのアイドルグループに例えるとしたら、絶対センター高杉晋作、そのライバルとしてツートップ(双璧)とも呼ばれる久坂玄瑞、次世代センター候補の吉田稔麿を入れて三秀、入江九一は最年長でリーダーとか総監督とかやらされてるけど縁の下の力持ち系、暴走型のメンバーと先生を押さえて気苦労が絶えず、一応彼を入れて四天王と呼ばれたりするけど圧倒的に地味な苦労人。ちなみに松下村塾における私の推しはそんなわけで入江さん(笑)
閑話休題。あと個人的に松陰先生は一人称が「僕」なことも注目したい。古い言葉としては存在したのだろうけど、現在に繋がる形で一人称「僕」を使い始めたのはたぶん松陰先生が嚆矢じゃなかろうか。そこから松下村塾、長州藩士たちも先生に倣って「僕」を使い出し、明治時代に普及したのではないかと勝手に分析。
現代につながる一人称の「僕」は、吉田松陰発みたいですね。
なんか「天下、君子」に対して「下僕」みたいな意味合いだとか?...
現代につながる一人称の「僕」は、吉田松陰発みたいですね。
なんか「天下、君子」に対して「下僕」みたいな意味合いだとか?
たしかに明治維新時代劇でも「僕」とか「君」とか言ってるのは松下村塾生で、
他の藩や幕府の人がポカーンになるのを見たことが。
現代だと意味不明な一人称使う漫画キャラみたいな?
「僕」はやっぱり松陰先生発信なんですね!
もともと「しもべ」としてへりくだった言い方なので勤王思想...
「僕」はやっぱり松陰先生発信なんですね!
もともと「しもべ」としてへりくだった言い方なので勤王思想からの流れなんでしょうね。
ほんと他藩の人ポカーンかも(笑)
松下村塾、現代ならYoutuberになって流行発信の最先端にいるパフォーマー集団になってそう。