代表的日本人 (岩波文庫 青 119-3)

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  • / ISBN・EAN: 9784003311936

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  • 日本の偉人をキリスト教的な価値観で解釈し、国内外問わない普遍的な価値を主張した点は今読んでも新鮮。翻訳も読みやすい。

  • 課題図書 1日で読了。

    5名の代表的日本人の話。

    より身近に感じる二宮尊徳や西郷隆盛より、近江聖人 中江藤樹 が響きました。 

    5人に共通し、武士道を持っており、謙虚に慈愛に溢れ、質素な生活を送りながら、全身全霊使命を全うする。

    藤樹は、名声を求めて目立とうと決してせず、村民に対し、人としての在り方を伝えていた。

    平等に接し、多くを求めない。名誉のために大善をしようとしては、できないし、そもそも狙うだけで徳は高まらない。

    日々小善を積み重ねるスタンスが、小だけでなく大きな善にもつながるし、徳が高まる。

    徳のある人間になりたい。



    ■西郷隆盛
    ・確固たるビジョンを持っていた

    ■上杉鷹山
    ・率先垂範(全身全霊)
    ・民が主体になる仕組み(報酬)
    ・民の育成
    ・産業の仕込み作り

    ■二宮尊徳
    ・率先垂範(退路を断ち、全身全霊)
    ・最初に道徳があり、事業はその後
    ・仁術

    ■中江藤樹
    ・人の第一の目的とすべきは生活を正すことである。
    ・母親をたいせつにする。仕事の内容に恥ずかしさを持たない。
    ・大善は名声をもたらすが小善は得をもたらす。大善狙いだけなら小さくなる。
    ・使命は、有名になることではない。
     静かな生活を望む。
    ・得を望むなら、毎日善をしろ。
    ・望みを高くして人生を送るならば、黙した人生を送ったとしても、力を及ぼすことを、藤樹から学ぶためかもしれない。
    ・人に平等

    ■日蓮上人
    ・宗教は、人生の人間自身による解釈。人生に何らかの解釈を与えることは、戦いの世に安心して生活するためには必要であった。

    ・15年間にも及ぶ剣難や流罪に耐えながら、シエ書のために、身を捧げる。

  • 日本人であることを誇りに思う。短い分量でよくまとまっている。名前のみ知っている人が多く、自分の無知を恥じた。

  • 新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作。

    しばらく積みっぱなしだったけど、100分de名著を機会に読んだ。読んだら意外に読みやすかった。岩波文庫にありがちwなんとなく敷居の高さを感じてしまうんだよね。

    西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の五人を紹介しているけど、ところどころに時代背景や周辺情報が入っていて理解を助けてくれる。

    二宮尊徳の例の、薪を運びながら勉強していたというのは今は事実として確認されていない、小学生が真似をすると交通安全上危険がある、などの理由から最近は学校の像が減ってきているらしい。公の職についたからには家のことなど気にしてはいけない、という価値観は現代ではちょっと極端すぎて受け入れられないかな、と思う。

    いずれも偉大な人たち。元は外人向けの本だけど日本人も読む価値がある。『武士道』は前に読んだことがあるので、今度は『茶の本』を読んでみたい。

  • 時代背景をおさえていないと難しいところがある。。。

    【西郷隆盛】
    ・ヨーロッパとアジアとの好ましい関係をつくりだすことは、日本の使命。
    ・西郷の家は「中等以下」。少年の魂に初めて義務の意識が喚起されたのは、遠縁の一人が、西郷の面前で腹切りをする光景を目撃したこと。このとき、命というものは君(天皇)と国とに捧げなければならないと悟った。
    ・統一国家、東アジアの制服
    ・必要ならばあえて戦争をも厭わない平和の士
    ・「天」の声の訪れがなかったなら、どうして西郷の文章や会話のなかで、あれほどしきりに「天」のことが語られたのでありましょうか?「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」
    ・東アジアの征服は、ヨーロッパの列強に対抗するために、所有する領土を拡張し、国民の精神を高めるために足る積極策として必然であった。弱き者をたたく心づもりはさらさらなく、彼らを強き者に抗わせ、おごれる者をたたきのめすことに西郷は精魂を傾けつくしました。
    ・文明とは正義の広く行われることである。豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない。
    ・西郷の謙遜には及ばない。農民と侍の下駄を直させる権利。
    ・生活上の欲望はなかった。身の回り(衣服、ふとんの上げ下ろしなど)に無関心なら、財産にも無関心。犬だけは別。
    ・天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない。敬天愛人の人であった。
    ・すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られる。
    ・不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由。「八分どおり成功していながら、残りの二分のところで失敗する人が多いのは、成功がみえるとともに自己愛が生じ、慎みが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗する。
    ・完全な自己否定が西郷の勇気の秘密。「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることができる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることができる人物である。
    ・機会には二種類ある。求めず訪れる機会と我々の作る機会。後者が真の機会であり、時勢に応じ理にかなって行動をするときに訪れる。大事な時には、機会は我々が創らねばならない。
    ・とにかく国家の名誉が損なわれるならば、例え国家の存在があやうくなろうとも、政府は正義と大義の道に従うのが明らかな本務である。・・・戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、政府と呼ぶべきでない。
    ・徳が多ければ、財はそれに従って生じる。精進は自分を利するを目的とする。君子は民を利するを目的とする。前者は利己をはかってほろびる。後者は公の精神に立って栄える。自分の困苦を気にせず、人の困苦を気にする。

    【上杉鷹山】
    ・徳に代わる制度はないと、固く信じなくてはなりません、いや、徳がありさえすれば、制度は、助けになるどころか、むしろ邪魔であります。
    ・封建制とともに、それと結びついていた、忠義や武士道、また勇気とか人情というものもたくさん、私どものもとからなくなりました。封建制の長所は、この治める者と治められる者との関係が人格的な性格を帯びている点にあります。
                       


    ・鷹山の「能力に応じた人の配置」という民主的な考えは、封建制時の世襲的な性格に反するものですが、鷹山はあらゆる手段をつくして人材と登用しようとしました。

    ・真心は慈愛を生む。地合いは知識を生む。真心さえあれば、不可能なものはない。民をいつくしむ心さえ汝にあるならば、才能の不足を心配する必要はない。

    ・①領内に荒れ地を残さないこと。②民の中に怠け者を赦さないこと
    ①領内を国内最大の絹の産地にする。②役に立つ原田着物に変えることで、資源をフル活用。

    ・公共の福祉のためになる、と確信した場合には鷹山は不可能を考えませんでした。

    ・東洋の思想家たちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互関係と同じであるとみます。木によく肥料を施すなら、労せずして確実に結果は実る。民を愛するなら、富は当然もたらされる。

    ・弱い人間であるからこそ、藩主の地位につくとき、誓詞を神に献じた。

    ・生涯を通じて、木綿の衣服と粗末な食事とを続けた。古い畳は、もう修理がきかなくなるまではりかえず、破れた畳は自分で紙をあてがっている光景がたびたび見られた。

    ・親につかえるときには、偽りない心で振る舞うようにせよ。もし、あやまちを冒しても、真心さえあるならば、大きな過ちではない。知恵不足のためにできないとは思うな(その不足は真心が補う)。

    【二宮尊徳】
    ・長男の尊徳は、父方の伯父の世話を受ける。伯父の家にあって、この若者はできるだけ伯父の厄介になるまいと懸命に働いた。

    ・自分の油で明かりを燃やせるようになるまで、勉強をあきらめた。自分の油で勉強しても起こられたときも、伯父のいうことは当然だと思い、1日中重量道を頑張った。

    ・一人の孤児が、つつましい努力の報酬として、人生ではじめて生活の糧を得た喜びのほどは、容易に想像できます。「自然」は正直に努めるものにの見方である。その考えが、その後の改革の前提。「自然」はその法に従うものには豊かに報いる。

    ・以前の人がことごとく失敗したところで成功するほどのモノなら、最適の指導者。と尊徳は目をつけられる。

    ・尊徳は土を対手に耕す農民である自分が、せいぜい一生のうちに成し遂げたいことは、自分の家産の再興であり、それも自己の力によるものではなく、先祖から受け継いだ余徳によるものだと、3年間の間、村の再興を担うことを断り続けた。

    ・金銭的援助を断ち切る。荒れ地は荒れ地自身のもつ資力により開発されなければならない。貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません。援助は、貪欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こす。

    ・道徳力(仁愛、勤勉、自助)により経済改革を行う。

    ・尊徳の「土地と人心の荒廃との戦い」は、ただ魂のみ至誠であれば、よく天地をも動かす、との信念だけ。贅沢な食事はさけ、木綿以外は身につけず、人の家では食事をとらない。1日の睡眠はわずか2時間、畑には部下の誰よりも早く出て、最後まで残り、村人に臨んだ過酷な運命を、みずからも共に耐え忍んだ。

    ・部下の評価は、最も多くの仕事をするもの、ではなく、最も高い動機の誠実さで判断。根っこ堀の男に高い評価を。他の誰もがしたがらない仕事をした。人目を気にせず、誠に村人のためになることだけを考えてしたのだ。

    ・誠実だけで、これほど素晴らしい成果(村の再興)をもたらした話は聞いたことがない、最初に取り組んだ公共事業において、道徳面を重視していたが、当時の怠惰な風潮の社会において、与えた影響は大きかった。

    ・尊徳自身の経験から、勤勉と誠実とにより、独立と自尊にいたらないわけはない。

    ・自分可愛さが強すぎる。利己心はけだものだ。利己的な仁減はけだものの仲間である。村人に感化を及ぼそうとするなら、自分自身と自分のものを一切を村人に与えるしかない。自然の正しい法則に従って、自然から直接に与えられたものだけが、本当の自分のものなのです。

    ・きゅうりを飢えればきゅうりとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の飢えたものを収穫するのである。

    ・無駄な手続きを経なければならないので、その間に苦しんでいる人たちへの救済が手遅れになる。最初に道徳、その後に事業。

    【中江藤樹】
    ・真理を先に了解した点で、先に生まれたことになる。。

    ・母のため、「侍の魂」である刀を処分して、銀10枚を手にしました。母の笑顔に勝るものなし。個としての義務(孝(を中心としていて、この中心的な義務を書くならば、藤樹はすべてを失って、心が落ち着きません。

    ・大善は名声をもたらずが、小善は徳をもたらす。名を好むため大善をm止める人が多いが、名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に特に優る善事はない。

    ・無欲で正直で誠実

    ・人が消滅し、天地がたとえ無に帰した後でも、人の道は残り続ける。しかし法は、時代の必要にかなうように創られたものである。時とところが変わり、聖人の法も世に合わなくなると、道のもとを損なう。

    ・謙譲の徳に最高の一を与えていた。藤樹にとり謙譲の徳とは、そこから他の一切の道徳が生じる基本的な道徳でした。
    慢心は損を招き、謙譲は天の法である。謙譲は虚である。心が虚であるなら、善悪の判断は自然に生じる。
    四方の壁、それは、名誉、利益、高慢、欲望

    ・徳をもつことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善すると一悪がさる。日々善をなせば、日々悪は去る。昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるなrばすべての悪は消え去る。

    ・真の感化とは自分からひけらかすものではなく、勝手に知られるもの。

    【日蓮上人】
    ・人生になんらかの解釈を与えることは、この戦いの世に安心して生活するために必要。

  • 130年くらい前の日本人が日本人についてどう考えてたかについて垣間見れた。西郷は出てきても龍馬の一言も出てこないのが司馬史観以前だなあって感じでとても面白い。伝記としては適当な感じだったり、世界に向けての力みとか美化とか色々感じるけども、そんなに昔にこれを英語で世界に向けて出版したってのがどえらいことだと思う。

  • 上杉鷹山と二宮尊徳の話に感銘を受けた。5人全員に共感を持つと言うより自分にとっての代表的日本人を見つけられれば良いのかと思う。

  • 西郷隆盛
    ・人の成功は自分に克にあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事が厭うから、失敗するのである。
    ・機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会である。世間ではふつうに言う機会は前者である。しかし、真の機会は時勢に応じ理にかなって我々の行動する時に訪れるものである。大事ななときには、機会は我々が作りださなければいけない。

  • [この人たちを見よ]「2つのJ」などで有名な内村鑑三が英文で著した、『Representative Men of Japan』の翻訳作品。西郷隆盛や上杉鷹山、日蓮など、日本的精神を体現したと内村が考えた全5名を、その生い立ちや業績などをとおして評しています。訳者は、近代日本におけるキリスト教の研究が高い評価を得ている鈴木範久。


    まずは評伝として非常にわかりやすく、それだけでも勉強になります。学校教育で上杉鷹山や中江藤樹については簡単に触れただけの評者にとっては、優れた先人がいたんだなと、おそらくはこれを読んだ外国の人々のように素直に感心してしまいました。


    意外だったのは、本著において、今日から見れば「ナショナリズム的」な記述が多く見られる点。キリスト教と日本が内村の中でどのように結びついているかを考える上でも参考になると思いますし、勃興期の日本において、当時の国際社会に日本をどのように「アピール」したかという点でも興味深い作品なのではないでしょうか。

    〜一人の人間が、ましてや一国民が、一日にして回心させられるものなどと考えてはいけません。真の意味での回心とは、何世紀をも要する事業なのです。〜

    キリスト教徒にもかかわらず日蓮というのも面白いですよね☆5つ

  • 西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮について。
     
    清貧で、自分のことより、人に与えることばかり考え続けている人たちだと思った。
     
    自分も、自身のことは慎ましく、利他に生きたいと思う。

    ・西郷隆盛
    文明とは正義のひろく行われることである
     
    人の成功は自分に克つにある
     
    ・君子は日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は得をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。

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著者プロフィール

1861年生まれ、1930年没。思想家。父は高崎藩士。札幌農学校卒業後、農商務省等を経て米国へ留学。帰国後の明治23年(1890)第一高等中学校嘱託教員となる。24年教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され退職。以後著述を中心に活動した。33年『聖書之研究』を創刊し、聖書研究を柱に既存の教派によらない無教会主義を唱える。日露戦争時には非戦論を主張した。主な著作は『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』など。
佐藤優
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。現在は、執筆活動に取り組む。著書に『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。おもな著書に『国家論』(NHKブックス)、『私のマルクス』(文藝春秋)、『世界史の極意』『大国の掟』『国語ゼミ』(NHK出版新書)など。『十五の夏』(幻冬舎)で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。ほかにも著書多数。

「2021年 『人生、何を成したかよりどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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