遠野物語・山の人生 (岩波文庫 青 138-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003313817

感想・レビュー・書評

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  • 遠野、行ってみたくなるような本。でも、遠野物語の遠野はもうないんだろうけど。山人の話は興味がでる。どんな人達だったんだろう。

  • スコヒ、ペィジヒラヒテ、ハゲシク、ココロヲ、ユサブラレタリ、トオノノクニノ、ブンタイニ。
    岩手県遠野市に限らず、怪談、民話は日本に流れ着いた異国人や奇形、狂人の起こした実話がもとになっていることも少なくないはず。

  • 遠野物語は子供の学校の読書リストに入っていて,彼女は読もうとしたがすぐに挫折してしまったらしい.それで私が読んでみることにした.これを読んでいると,私が子供の頃は家の外にも中にもあった真っ暗な闇を思い出す.一種のノスタルジーのようなものも感じる.子供が読めなかったのは文語文のせいだけではなくて,明るい都会に育つとこういう話には心情的に入りにくいこともあるのかなと思った.こういう本が昔は新潮文庫の百冊に入っていたのだ.
    「山の人生」は興味がわかず途中でやめてしまった.

  • 現在では真偽の程を確かめる術がないかもしれませんが、地道な取材によって得られた様々な証言がまとめられている点で、文化人類学上貴重な資料なのだと感じました。
    ビックフット(?)は実在したのではないかと少しだけ思いました。
    ただ、前半は文語体で読むの大変です。

  • 【ブッククロッシング待機本】読みたい方はご連絡下さい。

    伝承をまとめて、検証した 読み応えあるも 面白い本。
    ホントに座敷わらしや 山男に逢えそうな気がしないでもありません。

  • 「遠野物語」
    "願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ"
    冒頭文がすばらしいの一言。

    「共同幻想論」の後に読んだので、
    共同体の抑圧の強さが民話の中から窺える。

    たぶん、
    小規模だからこそ共同体の幻想が強固にあったのだろうし、
    国家が「父的」になればなるほど、
    ムラ社会が解体されていったのは必然の帰結なのだろうな。

    今はまた、
    新たな共同幻想を構築する時期なのかもしれん。


    「山の人生」
    「遠野物語」のような文語体のほうが、
    郷愁の念というか今は昔感というか、
    味わい深くて好き。

    解説に書いてあるように、
    「遠野物語」は学問的というよりも、
    文学的な色合いが強いのでしょう。

    今では「トンデモ」な設定や話に聞こえるけれど、
    当時の習俗に照らし合わせて考えると、
    民話と科学的事実の間にある、
    共同体の無意識が浮かび上がってくる(ような気がする)。

    そういったいわゆる「共同幻想」は、
    現在まで活きる「想いの科学」とでもいうのか、
    そんな視座を与えてくれる、
    という点で本書の試みは、
    当時の実証主義的な歴史学への警鐘でもあり、
    また活きる学問への啓蒙でもある。

    今の日本人というのが、
    もともと日本にいた土着の「国つ神」と、
    海からの渡来の「天つ神」の混血という話は他の本にも出ていたけれど、
    この本で言う「山人」が国つ神の末裔ではないかという考察は、
    肯んずるに吝かではない。

    というのも、
    日本の律令制の導入には、
    渡来の人たちが大きく関わっているわけだから、
    (天皇家には朝鮮半島から来た人の血が入っているらしいし)
    「古事記」や「日本書紀」にある、
    国つ神から天つ神への「国譲り」もそのような文脈で捉えると、
    結構わかりやすいんじゃないかしら。

    そうしてヤマトタケルの東征の話にあるように、
    天つ神の勢力が大きくなるにつれ、
    国つ神が平地からどんどん追いやられていった。

    それが「山人」なんじゃないかな、と。

    それから、
    天狗が坊さんの格好してるのは、
    修験道の開祖である役小角からくる山岳信仰が影響しているみたい。
    ナウシカの「森の人」も「山人」の影響下にあると思う。

  • 何度読んでも新鮮。私たちは同じように何か残せるのだろうか?

  • 遠野の伝わる不思議な話。遠野へ旅行へ行くときに読んだから興味深く読めた。面白かった

  • 遠野という土地にまつわる口承の物語。
    ある作家が指摘していたように、
    これは一つの研究の成果であるのに、
    まるで一つの文学を読んでいるような気分になるのだ。

  • 『遠野物語』はずっと前に角川文庫で「補遺」まで読んだが、『山の人生』は読んでいなかったので、読んでみた。愛知県や岐阜県の例もたくさん引かれていて面白かった。柳田によれば、天狗や鬼というのは、山に住む漂泊民を平地人がうやまった者で、古代では国津神と呼ばれていた。彼らは平地人よりも大きな身体で、斜面を非常に早く移動することができた。凶悪な者は鬼として武力で討伐されたが、なかには里に買い物にきたり、山小屋でこっそり火にあたっていたり、米の飯をねだりにきたりしていたらしい。また、時には輸送に使役されたりもしていた。山人が配偶者を求めて連れ去ったのが「神隠し」だが、神隠しのなかには自ら山に入った者も多く、女性が産後に山に入ってしまったり、鋭敏な子供が山に迷いこんだりしたらしい。柳田の記述は脱線が多く、これがまた面白い。「カゴメカゴメ」は、鋭敏な子供(申し児)に神の言葉をしゃべらせるため、村人が集団で囲んでマジナイを唱えた行事が子供の遊びに変化したとする。「ゴヘイモチ」は今では「五平餅」と書くが、「御幣餅」「狗賓餅」(ぐひんもち:狗賓は天狗)などと書き、木を伐採する時に天狗や山人に供えたもので、岐阜の鵜沼などではこれを焼くと「天狗が集まってくる」から、村で焼くのではなく、山小屋で焼いたと伝えられている。

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著者プロフィール

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。

「2021年 『新嘗研究 第七輯―三笠宮崇仁親王殿下に捧ぐ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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