- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003360125
感想・レビュー・書評
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個人の道徳と同時に政治の問題を追求
弁論術が立身栄達の術とされている現実や若い人の実利主義的道徳意識などを次々と明るみに出す。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
解説にも書かれている通り、この本はソクラテスの思想よりプラトンの考えが大きく反映されている。
この世で最も恥ずべきものは不正であり、不正を行うこと、そして不正を行いながらもそれに対する処罰を避けることが最も不幸なことである、という思考。
人として正しく、善く生きるために何をすべきか、何を掲げ生きるべきなのか。
後半部においては当時のアテネの政治に対する痛烈な批判も入り、この現代において再読されるべき名著である。 -
はじめて読んだプラトンで、その対話劇に夢中になった。プラトンのアテネでは、弁論術(演説の術)がすでに優勢をきわめていた。しかし、プラトンにはその仕事が大衆に迎合したものとしか映らなかった(これを現代のマスメディアとして読むこともできる)。現実にひとは何をどのように考えるべきか、またどのやって生きていくべきか、この切実な主題に突き当たっていたプラトンは、暴力や権力が必ず勝つ閉塞した時代状況のなか、確固たる思想を哲学とともに築こうとしていく。つまり、弁論術批判とは、哲学誕生の象徴的なもので、やらねばならぬことだった。プラトンが、ソクラテスの姿を借りて、問答法という対話方法が大事だと強く述べるのは、言葉の定義を誤ることなく、一つの思想・真理に到達するためである。まさしく哲学することの基本がここにあった。そうして、プラトンは、弁論術の恩恵に与かっている利益が実は最大の不正であることや(政治家なんかはいい例)、善を目的とせず単に快楽を貪るのは悪であることを暴いていく。しかし、どうだろう。ぼくなんかは、快楽(とくに趣向の快楽)は絶対だと常々思っていて、プラトンから遠く離れている気がする。また、そもそも善悪の概念が日本には薄いようにも感じる。周辺に悪だと思われるものが生じれば挙って規制に掛かるけれど、それは意外に「なんとなく」行われることが多いと思う。どちらとも、プラトンから見れば乱れた世界でしかないだろう。それに対する答えはむつかしい。だけど、現代人が、そして日本人が、こういった西洋哲学の書物を読むことが何のためなのかを時には考えてもいいんじゃないかと思う。ところで、プラトンの対話篇では、ソクラテスがいじられバカにされることがしばしばあって笑えるのだが、それをやり返すソクラテスの皮肉も結構笑える。『ゴルギアス』はとくにこのやりとりが多い。
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後半は長い演説でした。
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最近、なぜかプラトン三昧。
前回は「政治家」を読んでいたのですが、今回はコレ「ゴルギアス」。
ゴルギアスというのは、弁論術を若者達に教えている先生のような人、らしい。
そしていつものように「対話編」で構成されており、この「ゴルギアス」の場合は、ソクラテスがゴルギアス、ポロス、カルリクレスの三人を相手にしている三つの対話が収められている。
プラトンの場合、作品がいつごろ書かれたものであるかを把握することが重要である。後期になるにつれて内容が変わってくるからである。
ゴルギアスは比較的初期のものであり、「法」についての是非などはあまり登場しない。弁論術というものはどういうものか、あるいは不正と公正についてなどを対話によって明らかにしている。
・・・それにしてもいつもの如く、あまり面白くない。 -
ソクラテスの基本的な考えをおさらいできる本。この本よりも後に書かれた『国家』で確立される、哲人政治の基盤となるようなプラトンの考えもチラホラ見かけられるので、まだ確立し切れていない発展途上のプラトンの思考が伺える感じ。時代的にも内容的にも『ソクラテスの弁明』と『国家』の中韓に有る本なので、順番としては『弁明』の後にこれを読んでおくべきだったかも。
なお、この本の中に登場しタイトルにもなっているゴルギアスさんはあんまり活躍していない。カルリクレスさんが頑張ってる。自分だったらソクラテスにこう聞いてみるだろうな、なんてことを言ってくれている(実際に自分が同じ質問をするには、彼より多くの時間を費やすだろうが…)。
プラトンの他の著作も読んでみたいと思った。