方法序説 (岩波文庫 青 613-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361313

感想・レビュー・書評

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  • これはなかなかすごいですね。1600年代のヨーロッパの人間の考えがわかる感じがして(クソデカ主語)もう一読して理解を深めた方がいい書物でした。というのも、その当時のヨーロッパはキリスト教というべきか、神が学問の前提に立っており、神を前提とした意見が出てくるんですけど、今じゃありえない感覚でそこの断絶を感じるあたりが既に面白いです。科学が特に相性悪そうで。

    あとは1600年代のヨーロッパの人間はペルシャや中国に対して、野蛮であるという認識をしていたことがはっきりと分かりました。多分今も似たような感覚がある可能性は否めませんが、そこが知れたあたりから本当に面白く読めました。

    「我思う、故に我あり」が有名な本で読んでみなければと思っていましたが、色々と別の意味で学びを得られたのでとてもよかったです。哲学的な視点よりそっちの方が面白かったので…

  • まちづくりの在り方や、生物学的な事例から自らの思考、考える道筋を解き明かそうとしたもの。今の自分では、あまり頭に入ってこなかった。後日、再チャレンジかな。

  • 我思う故に我ありということばが有名で、様々な人が引用していたデカルトの著書を初めて読んだ。
    原著は難解だとばかり思い込んでいたけれど、この本はとても読みやすく、すんたり頭に入ってきた。

    1600年代にこんなにも視野広くいろんなことを考えている人がいたのかと驚いた。
    人の解剖に関する考察もどれも鋭く、学ぶべき考え方がたくさんあったし、人に対する見方で、多くの人が真理を求めるのではなく自分の正しさを証明するための会話をしているという指摘や、過去の偉人たちの批判を聞いて、偉人たちはその時代にあった素晴らしい人たちで尊敬するに値するほど深い思考力を持っている。
    だから、批判している人は、その人のことを本当に理解できないのではないか?だから、自分は原著を自分で読むことにこだわった。と。
    こういったことは今現代にも通じており、改めて意識しておきたいと思った。

  • 「むかしスパルタが隆盛を極めたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。(中略)それらの法律がただ一人によって創案され、そのすべてが同一の目的に向かっていたからである。」pp22
    「その時までに受け入れ信じてきた初見会全てに対しては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ。」pp23
    「4規則」pp28
    「討論というやり方で、それまでま知らなかった心理をなにか一つでも発見したというようなことも見たことがない。(中略)相手を打ち負かそうと賢明になっている間は、双方の論拠を考量するよりも、真実らしさを強調することに努力しているからである。長年優れた弁護士であった人が、必ずしも、あとでより良き裁判官になるわけではない」pp91
    「他の人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができないからである。」pp91
    「」

  • 「われ思う故にわれあり」を読んだとき、観光スポットを訪れた気分になりました。はじめての古典、難しかったですが楽しかったです。

    真理を導くするための明証、分析、統合、枚挙のプロセスをはじめ、大昔に書かれたと思えない部分が多々。
    自然をコントロールできるとする考えも書かれており、近代の思想の礎を感じ取ることができました。

    有名な部分以外にも道徳の話があったりして盛りだくさんでした。
    真理は人に教えてもらう物ではない、というのも覚えておきたい学びです。実践していこう。

  • 人間は生まれながらにして、永遠不変の本質を知っている。プラトン

    感覚的な経験を積み重ねていくことで、普遍的な知識・判断を導き出す。個々の経験・事実からそれらに共通する一般法則を求める。経験派は蟻の流儀で集めては使用する。合理派は蜘蛛の流儀で自らのうちから出して網を作る。▼物事を認識するとき、偏見・先入観を持つな。人のもつ目の錯覚、独りよがりの主観(狭い世界)、うわさ話・聞いた話、伝統・権威の盲信(先生・本が言ってた)に気を付けよ。▼経験に基づく知識を使えば、人間は自然(人間を取り囲む環境)を支配できる。F・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』1620

    経験なんて疑わしい。目の錯覚や感覚は人を欺くかもしれない。今は正しくても100年後も正しいとは限らない。どんな経験も夢かもしれない。▼ただ疑っている自分の精神はたしかに今ここにある。この疑いのない精神が、合理的な推理・推論・論証によって一般法則を見つけ出す。経験や観察に頼らずとも、私たちには物事を正しく判断し、真偽を識別する力がある。▼平行な2つの直線は交わらない。善悪の区別。完全と不完全の違い。美しいものの判別。これらは人間が生まれながらに持っている知識であり、経験によって得たわけではない。▼人間の理性の裏付けは神。神は世界を創造した。世界は神の理性に支配されている。人間の理性は神の理性からもたらされる。だから、人間はこの世界の法則を認識できる。客観と主観は一致している。世界や自然は、数学的な秩序として、人間の意識や主観の外に独立して存在している。ルネ・デカルト『方法序説』1637

    人間は生まれたばかりだと何も書かれていない書板だ(アリストテレス)。白紙に文字を書くように、経験を通じて、さまざまな事物の観念を手に入れていく。いかなる人間の知識も、その人の経験を超えるものではない。無数の観念を組み合わせて、複雑な観念の知識を獲得していく。ジョン・ロック『人間知性論』1689

    真っ暗闇だと、人は近くに何かあっても見えない。物はその人が知覚しなければ、その人にとって存在していない。自分が知覚していなくても、他人が知覚していれば、その他人にとって物は存在している。誰も知覚していなくても、神は見ているため、存在できる。ジョージ・バークリー『人知原理論』1710

    「私」は知覚(五感)が集まって束になったものであり、「私」という実体はない。▼自分が見ているコップ(主観)と実際のコップ(客観)が一致するとは限らない。ずっとコップは見えているものだから、人間はコップの存在を習慣的に信じるようになる。皿を落とした。割れた。その経験を何度も繰り返すと、「皿を落としたから割れた」と因果関係を理解するようになる。因果関係は経験(習慣)による思い込みであり、自然界には存在しない。客観的な因果関係は存在しない。いかなる因果関係も真理ではなく、どのくらいか確かなのか、確からしさだけがある。ヒューム『人間本性論』1739

  • 2021/6/27

    久々に再読。
    コギトに基づく神の存在証明の理屈はなるほどなーと。あとは、帰納のさせ方も明快。街の作りやスパルタの法の例から、自分が信じてきた諸信念を取り除く決断を下すというデカルトの強固な意思が文章から伝わってくる。

    森を行ったり来たりして彷徨うくらいなら一方向に歩み続けた方がいい、というのは大切な人生訓の一つになりそうだ。

  • 「合理主義」というと、「形式主義」、「理性主義」的な、よくわかっていないくせに「決定論」とか「優生思想」的な印象まで持っていて好きになれず、コギト・エルゴ・スム さえ知っていれば方法序説を読む意味なんかない、必要ないなんて思っていた。
    けれど出口治明さんが、「方法序説」で語られている 「明証、分析、総合、枚挙」4つの視点で物事を認識する意識を身につけられれば、意思決定の精度が大きく高まる。ということで功利的な動機で読んでみた。功利的に読むなら第2部だけを読み込むだけで良さそうだが、すべてを読み込むことで、発達途上な数学、幾何学、哲学、解剖学、医学、天体、光学、物理学の状況を楽しみながら知ることができた。心臓の拍動を筋肉によるものではなく熱機関として捉えていたことなど、すべてを正しく理解できていたわけではないが、天動説が否定された当時にリスクを負ってでもデカルトが主張すべきと判断した思いに感動したし、フランシス・ベーコンなどの引用なども解説されていて帰納法、イギリス経験論をより深く確認するきっかけにもなった。
    出口さんが木田元さん(哲学者)の言葉を引用して言われているように、「きちんと書かれたテキスト(古典)を一言一句丁寧に読み込んで、著者の思考のプロセスを追体験することによってしか人間の思考力は養えない」とのことでそういった視点で読み込むことも、楽しみをより一層高められた気がする。また「哲学と宗教全史」を読み返すことで、うまく読み解けず誤解しそうになっていた部分をきれいに補正してもらうことができた。
    デカルトがいまの世の中を見たときに、自分が発言したことの意味、意義をどう確認しただろうか。

    あわせて読みたいWikipedia
    方法序説
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E5%BA%8F%E8%AA%AC
    合理主義哲学
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%93%B2%E5%AD%A6
    経験論
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96

  • 8年を超える旅をして、デカルトは何を得たのだろう?

    「我思う故に我あり」以外は薄っぺらいし論拠が弱い。
    随分とこじらせた人だなぁ、と思ってしまう。
    しかし、争点の多い内容だからのそ後世に残った。
    ディスカッションパートナーとして素敵な人だったのかもしれない。

  • かの有名なデカルトの著書。「世界最古のロジカルシンキング本」とのコメントを見かけ、約100ページなので1-2時間で読み終わるともあったので、興味本位で手に取った。
    結局、1-2時間どころか10時間近く掛かってしまったが、何とか読み終えた。決して極端に難しい本ではないが、きちんと理解しながら読み進めようとするとそれなりに時間はかかると思った方が良い。

    まず、確かに法則を導くために最小限の公理のようなものを設定し、そこから演繹的に思考していくというスタイルが随所に取られており、おそらく当時としては画期的だったのだろうと想像できた(当時の他の著作にほとんど触れたことがないため、あくまで想像に留まる)
    一方、むしろ印象的だったのは、その設定された公理、すなわち自明であるとしたことが、現代においては必ずしも正とされないことが散見されたことである。典型的には、「心臓は熱を持ち、血液がその中で気化することで心臓が拍動し、血液が体内を循環する」と述べていた第5章の一連の記述などであろうか。前段で、「本当に確かと思われる事以外は公理として採用しない」旨を高らかに述べていたにも拘らず、こうした誤りが散見される所に、当時の思想や科学水準の限界を見る思いがした。
    もちろん、上記の誤りによって本書の価値が減じられるわけでは全くないが、我々の演繹的思考も、真実から大きくかけ離れた結論に至ってしまう可能性があることを、改めて知らしめてくれたと思っている。

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