旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003380123

感想・レビュー・書評

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  • 流し読み再読。「創世記」のラストでエジプトに移住したイスラエルの12人の息子たち(部族の擬人化)、その後エジプトで増えすぎたイスラエル人は迫害されるようになり、モーセは神に導かれ彼らを連れてエジプトを脱出する。有名な海が割れるやつと十戒はこの過程での出来事ですね。

    しかしまあ、相変わらず神様(ヤハウェ)の身勝手なこと!エジプトへの10の災禍のくだりなど、正直「神」の自作自演のパフォーマンスでしかなく、それで大量に国民を殺されたエジプトの皆さんに同情してしまう。モーセ自身も序盤で殺人を犯しているし、殺した相手がエジプト人なら罪にならないの?結局ヤハウェは自ら、イスラエルの神、ヘブライ人の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、と名乗っているし、つまり全人類の神ではなくユダヤ人のための神。「妬む神」と自分でも言っているし、平等でも平和主義でもなんでもない。自分の権威を示すために天災や大量殺人のパフォーマンスを平気でおこなう独裁者ですよ(こら)

    こんなこと言っちゃいけないのかもだけど、結局キリスト教(ユダヤ教)のもともとは、迫害された一民族がそのストレスを選民思想にすりかえるために作り出した壮大な妄想物語だと思う。それを迫害した側の人間まで信仰するようになってるのがなんとも皮肉だなあ。

    後半は祭儀の規定や奉納金など神様側から自分を祀るためのあれやこれやを細かく指定。契約しないと助けてくれないなんて、神様って有料サービスなの?NHKなの?(笑)ハンムラビ法典の印象が強い「目には目を、歯には歯を~」が、旧約聖書にもあったのは意外でした。

  • ヤハウェからモーセへの指示がおもしろい
    シナイ山、登りに行きたい

  • エジプト人にとって当時家畜を飼う職業は忌み嫌われており、エジプト人とは隔離された場所ゴシェンで過ごさねばならなかった。ヨセフはそれを利用して、エジプト人とイスラエル人が交わらないよう、イスラエル人だけで栄える環境を作ろうとした。

    エジプトで信頼を得ていたヨセフが死に、ヨセフのことを知らないエジプト人によってゴシェンにいた奴隷化されてしまった。

    『出エジプト記』ではモーセについて語られる。歴史の授業でならっただけでは彼が非常に崇高ですばらしい人間そのものというイメージがあったが、ヨセフほどではない。

    (ex.モーセは同胞のヘブライ人がエジプト人に虐げられているのを見て、そのエジプト人を殺してしまう。また、主との対話で自分は弁がたたないからほかの人に任せてほしいと使命を断ろうとしたりするのはなんとも弱腰で意外だった。)

    同時に、このあたりから自分の中で、ヘブライ人かそうでないかがかなり重要であり、ヘブライ人でなければ容赦なく殺しても問題ないという感じがして恐ろしくもあった。これが「選民思想」ということなのだろうか。

    モーセの律法(十戒を含む神との契約)を全て正確に実行する能力は人間にはない。それは原罪(アダムとイブが犯した罪)の影響によるものであるが、新約聖書では人間の心に聖霊が宿り、その聖霊の助けによって神との約束の実行が可能となる。これが旧約と新約の違いである。

  • 読了。旧約聖書のいわば第二部。有名なモーセの波割りと、シナイ山での十戒など。後半は、天幕とか台座のつくりかたとかに何十ページも割かれていて我慢できずに読み飛ばし。聖書はウェブでも読めるし、手軽なものだが、聖書より高等批評の方が大事なので、注釈と解説を主にした。(高等批評に対し十分に注意を向けていれば、改めて聖書はより良いものになる)。読む前に、創世記を二度読んでおさらい。一部の民にとっては、エジプトで奴隷のまま死ぬか、解放されて神の手によって死ぬか、の二択である。神の像を崇めたという理由でモーセの指示により殺害された人数は3000人。多過ぎる(まぁ史実ではないだろう)。いわゆる過越の祭りの起源に関する記述。過越、過ぎ越しとは、ヤハウェ(天使とも)が殺しにやってくるので、我が家を過ぎ越される、ということのようだ。鎌を持った死神にしか思えなかった。十戒の「汝殺すなかれ」のトリック。「殺し」はダメだが、罪人を「処する」ならOKとのこと。また「殺すなかれ」は、厳密には「殺すことはありえない」と訳される方が近いとのこと。ここは面白いと思う。「してはダメ」は禁止だが、「ありえない」はそのような行為自体の存在の否定に近い。神の名ヤハウェは存在に近しい意味を持つ言葉だから、こういったところに厳密な聖書の意味が隠されているように思えた。

  • "旧約聖書の一編。
    一神教の論理、エンタテインメント、"

  • 偶像崇拝の禁止と一神教、「目には目を〜」の根拠はこれだったのか。安息日にちゃんと休まない人は死ぬという記述もあったりして、恩恵も大きければ罰もまた大きいのが神様なんだよな、というのを戒めのごとく思い出した。

  • モーセの出エジプトは面白いけれど、シナイ契約はちょっと繰り返しや文だけでは想像が付かない分からない個所が多くてつまらなかったです。続くレビ記~は同じレーベルで出てないのが残念です~いつかモーセ六書通読できれば。まあ、新旧聖書読破自体の夢ですね
    モーセがいきなり神の使いに選ばれて、神と民衆の間で戸惑っている姿には同情というか、憐れみを感じました笑
    ヤハウェ神は大きな子供みたいな素直さと強さ、怖さを感じました。

  •  創世記に続いて読書。海の奇跡、モーセの十誡など知っている場面を話の中で読むとまた印象が変わった。モーセは有名だが彼を助けるアロンのことは初めて知った。エジプト人への災禍には複雑な思いが湧いた。後半のシナイ契約は現代で守ることは不可能だと思うけどそのあたりをどう解釈しているのだろう。牛、山羊、羊などを捧げるのも現代はされていないか。
     まず原典があってそれをギリシャ訳などを参考にしつつ日本語に訳したものだから原典のニュアンスとは相当違うことは必然だろう。日本語の持つイメージにどうしても縛られるし。資料の分析などもそこに密接に関係するのだろうが正直解説は全然理解できなかった。新共同訳も読んで比較したい。

  • 「創世記」に続き、この「出エジプト記」を読んだ。
    しかし相変わらず神=ヤハウェの態度が厳しい。
    厳しいというか理不尽なのかな。
    理不尽そのもののようだ。
    一貫した正しい答えがあるようで、ないというか。
    そういった点では、ヤハウェは仏教でいう「宿業」そのもののようにも思える。

  • (1977.12.25読了)(1977.11.20購入)
    *本の帯より*
    エジプトで迫害を受けていたイスラエルの民は、モーセに率いられてこの地を脱出し、シナイの野に導かれて神との間に契約を結ぶ。

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