- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003600122
作品紹介・あらすじ
中学生だった虚子(1874‐1959)は、郷里松山に帰省してきた東京帝国大学学生正岡子規(1867‐1902)とその友人夏目漱石(1867‐1916)に初めて出会う。以後、師の没年までの濃密な交流を描いた「子規居士と余」と、松山中学の教師時代から文壇の寵児となる頃までの漱石との交友を描いた「漱石氏と私」の二篇を収める。
感想・レビュー・書評
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高浜虚子による、正岡子規と夏目漱石の回顧録。
子規の母堂の言うように「升(のぼ:子規)は、清さん(虚子)が一番好きであった」この言葉から分かるように、虚子は若い頃から、子規が最も愛情を注ぎ、また自分の後継者にしようとした愛弟子であり、弟のようでもあった。その二人の濃密な関係が細やかに描かれている。
それに反して、漱石との回顧はかなり冷やかに描かれており、面白い対比である。
虚子にとっての漱石は、元々は尊敬する先輩であったが、虚子がホトトギスの編集を引き受けた後に、漱石に文の掲載を頼んだ。これが「吾輩は猫である」の誕生となる。この小説が爆発的なヒット作となり、それによってホトトギスの売り上げが伸びる結果となった。この事が漱石と虚子の関係に微妙な変化を与えてゆく。
つまり、売れっ子作家と編集者という関係に代わって行く。
またこの本では述べられていないが、虚子は元々俳人ではなく、小説家になりたかったのだが、中々上手く行かず、ポッと出の漱石が小説家として華々しくデビューしてしまった。この事が恐らく虚子の心の中に屈折したものを生み、漱石に対しての表現に繋がっているのだと容易に想像出来る。
この回顧録の中でも漱石の言動に対してかなり批判的な箇所が随所にある。(但し漱石も精神に異常を来たしているので虚子の言うような事実はあったろうと思われる)
そういう背景を考えながら、この回顧録を読むと、別の面白さが出て来るのではないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
21/2/3 85
漱石>フェリー>寝台>楽しむ
昔>無実の罪>最悪、今>無実の罪>磔の上で、人々を見下ろして、ふふんんと思って死ぬ
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子規門下の俳人、高浜虚子による正岡子規・夏目漱石の回想録、子規も漱石も非常に愉快な人物であることがわかった。