現代論理学入門 (岩波新書 青版 C-14)

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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004120148

感想・レビュー・書評

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  • 難しい読んだ後から内容を忘れる。

    ○極端な対立した意見を主張するひとびとが、いずれも「論理」というものについて的確な意見を持つにたるほど「論理」というものを十分には理解していない。
    ○論理法則はすべて実在の反論である、などという粗雑な解釈が現代にもなお尾をひいている。
    ○私たちは論理というものをふたたびその使用者である人間のレベルまで引き下げ、人間が行う他のもろもろの行動の中で、一体、論理というものがどのような仕事をしている行動であるかを具体的にとらえねばならない。
    ○人間において情報の処理は、通常の場合、主として言語と呼ばれる記号体系によって行われている。
    ○日常言語の働きの一部は論理的な思考の一部と共通している。
    ○断片的な、形式的な面だけを見て、非論理的だとか前論理的だと速断することは、私たちが言語と論理との密接な関係を理解するならば十分に注意しなければならない、
    ○より論理的だとか、より論理的でない、などというときの「論理的」ということの意味が確定できない。
    ○常識(すなわち共通にもっている情報)でわかっているものはいちいち言明のなかに入れないで、いわば暗黙のうちに了解事項として省略し、できるだけ短い記号の組み合わせで、できるだけ多くの情報を伝えることが日常言語の合理性の一つである。
    ○「論理学」というものはこのような粉飾や他の目的に対する譲歩を一切きりすてて、純粋に論理的な構造とその働きだけを明示しようとする一つの学問である。その意味において日常の言語と論理学とは、重なり合う部分を持つとともにくいちがう領域を持っている。このような、日常言語と論理学との間の微妙な関係を理解することはきわめて重要でである。
    ○記号それ自身は一つの物理的な事物、または物理的な出来事である。
    ○記号に共通した特徴は、多種多様な事物の状態や、その複雑な変化を、比較的単純な他のある物理的変化のバラエティーに対応させることによって、直接に事物の状態や変化そのものによらないでも間接にそれらについての情報をあたえる。
    ○「知る」という働きの最も複雑で緻密な最高のものは、自然に構成された物理化学的な記号(信号)による反応ではなくて、社会的に創られた言語記号や数学的表現を用いての論理的な知り方であろう。
    ○記号とその使用者との関係を問題とする語用論が私たちに教えることは、現実において記号というものは決して真空のなかで標本化され固定化されているものではなく、また意識一般とか自我とか絶対精神といったような抽象的な、そして普遍的な主体にたいして在るものでもない。
    ○私たちはすべての必要な情報を完全に所有することはできないから、その決定は常に誤りうる。統計的な計算に基づくところの、いわゆる確率的な論理が働いている。
    ○私たちの言語や、言語を通じておこなわれる思考活動は世界の忠実な絵であり、実在の反映であるという考えが生じる。
    ○記号と記号との結合の仕方を表すために用いられている特別な記号は言語によって異なるけれども、結合の仕方それ自身は共通である。
    ○本当は、「リンゴ」という語はある特定のリンゴを指してそれについて何かを言うために用いられる材料にすぎない。
    ○私たちの言語記号はある場合には私たちの身体的動作による記号、または身体的な動作についての情報と組み合わされて、はじめて十分な働きをする。
    ○清とか偽という価値は現実に与えられた情報に関してのみいわれるのである。
    ○論理にとって本質的なものは形式化なのである。
    ○知識の真なる結合の仕方と偽なる結合の仕方を明確に区別する形式化の仕事は、同時にどのような知識についても、それらを正しく関係づけることが出来るような規則を私たちに与えてくれる。これによって私たちはすでに確実なものとして持っている知識を体系化することができるだけでなくて、不確実な知識の真偽を決定したり、未知の真理を既知の真理から導き出す(演繹する)ことができる。
    ○言語活動、または言語を通じての私たちの思考の形式化を組織的にできるだけ拡大しようとするのが、いわゆる形式論理学と呼ばれる学問の一分野である。
    ○形式化という点から見るならば、現代の論理学はかっての伝統的論理学が形式化し得た部分を一部として含み、さらにより広い領域の形式化に成功している。
    ○このように経験に直接に関係するような知識を哲学者たちは綜合的知識とよび、直接に経験的な仕事に関係のない、形式的な正しさについての知識を分析的知識と呼んでいる。
    ○私たちの努力によって進歩した数学や論理学に親しみ、これらを知ることによって私たちの生活の知恵をより豊かにいていく。
    ○現代の論理学の発想法の一つは、文、または命題(分によって表されている意味内容)を最初の、もっとも基礎的な出発点として、まず文と文の結びつきの形式を明らかにすることである。これを普通、命題論理学とよんでいる。
    ○「そして」「あるいは」「ならば」に「ない」という否定の語を加えて、四つの基本的な論理語とよぶ。
    ○「ない」を「-」、「そして」を「・」、「あるいは」を「v」、「ならば」を「⊃」という記号に置き換える(これを論理変項という)
    ○「・」は連言記号と呼ばれていて、「これによって結合されている文(連言文)の二つの基本文がともに真である場合にのみ、連言文全体の値は真であり、その他の場合は連言文の値は偽となる」。
    ○「v」は選言記号と呼ばれ、「これによって結合されている文(選言文)の二つの基本文のうち少なくともどちらか一つが真ならば選言文は真である」。
    ○「⊃」という記号は条件記号とでもよぶべきもので、その前にくる文を条件(または前件という)としてその後にくる文(後件という)を結びつける。「⊃」の意味は、「条件を述べている前件が真であり、後件が偽である場合には条件文全体は偽となり、その他の場合はすべて真である」。
    ○「≡」は二重条件記号である。
    ○xを何かとすれば、「(x)」(すべて)を全称記号、「(∃x)」(ある、少なくとも一つの存在)を存在記号と呼び表現する。
    ○現代の論理学はすべて根本においては「ない」「そして」「あるいは」「ならば」「すべて」「存在する」という論理語の論理的結合力を基礎として作られている。
    ○真に存在するものは語、または語の意味である概念(主として固有名詞と集合名詞)がそれに対応する所の実体(第一実体及び第二実体)である。名辞論理学。
    ○すなわち世界とは事実の総体である。命題論理学。
    ○所詮、人間は世界の側面については言葉なしに明確な思想を持つことは出来ない。とすれば、世界をよりよく把握するためにその道具である言語を、より正確な、合理的な論理の形で使用することはよりよき知的労働の条件である。
    ○現代の論理学が一般の思想に与えると思われる利点は、従来、ある事物や事柄を示すのに用いられていた漠然とした表現方法を、厳密な論理的推論が可能であるような、いわば推論可能な表現形式におきかえる、ということにたいして一つの基準を与えたことである。

  • 記号論理学の入門書です。

    本書の中心をなす第2章では、命題論理と述語論理の基礎を紹介していますが、第1章と第3章は、著者の専門である哲学に関わる話題があつかわれています。「分析哲学」と呼ばれる哲学の潮流のなかで、フレーゲやラッセルといった論理学の刷新にたずさわった哲学者たちが向きあっていた問題と、その哲学的意義が解説されています。

    現代の論理学では、われわれの知識を統一的な原理のもとに組織するという意義をもっていることを、著者は説明します。そして、形而上学的な独断にもどづいて論理学を否定するような考えかたへの批判をおこなっています。

  • よくもまあここまで細かく、言葉に厳密であろうとする態度をとれるなあ、と、いい意味で呆れる。
    僕たちがごくごく当たり前に使っている言語の奥深さを、わずかながら垣間見せてくれている感じ。

    僕の感触としては、半ばで紹介されていたデカルトの言葉がかなり的を射ているように思う。
    いわく、論理学は新しい何かを学ぶというわけではなく、すでに知っている何かのよい説明を学ぶものだ、と。

    なるほど。

  • 哲学における論理学の位置づけはわかったけど、3割くらいしかまだ理解できてないので、もう一度読もう。

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