知的生産の技術 (岩波新書 青版 722)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150930

感想・レビュー・書評

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  • 少し前の時代に当てはまるような古い項目(タイプライターなど)があるけれど、それ以外は現代でも使える技が紹介されており、文章も読みやすかった。カードは数年前に使って以来最近は使っていなかったけど、新たに買ってこれから使ってみようと思う。読むと研究と勉強のモチベーションが上がる。

  • 今のワープロを見たら、どんなコメントしたのか?
    日記は記録。確かに。コロナで緊急事態宣言の時の在宅メインの生活は記録にしておくべきだったと後悔。

  • 思考の整理学を読み直そうかと思って、並んでいたこちらを先に読み直そうという気持ちになった。
    7, 8, 10あたりは、この本が最初に書かれた時代からの技術の発展によって、そもそも問題が問題でなくなってしまっているような気がするけれど、それ以外のところは今にも違和感なく通じると思う。
    創造的な知的活動のための情報の整理、保存、活用術、といった感じ?
    カードシステムは、やってみたい気もするものの、物理的な媒体はあんまり持ちたくないし、こういうことをスマートフォンとかデジタルでできるようになると良いのだけれど。カードをくる、という操作が再現できないかな。
    200908

  •  今やITが発達して、WEBサービスやアプリで大方片付く問題ばかりだが、考え方が間違っていないことに気づかされる。

     わたしたちが「手帳」にかいたのは、「発見」である。毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは自分の着想を記録するのである。

     カードは、わすれるためにつけるものである。このことは、カードのかきかたに重大な関係をもっている。カードにかいてしまったら、安心してわすれてよいのである。そこで、カードをかくときには、わすれることを前提にしてかくのである。つまり、つぎにこのカードをみるときには、その内容については、きれいさっぱいわすれているもの、というつもりでかくのである。…自分というものは、時間がたてば他人と同じだ、ということをわすれてはならない。
     わたしは、なるだけ記憶をたよりにしないようにしている。…だいたいにおいて人間の記憶はあてにならない。

  • 古典的名著ながら今まで読んだことがなかったので、100刷到達記念(!)に読んでみました。初版は1969年ですが、知的生産に関わる記録の取り方やその残し方、読書の仕方など、ところどころ用語や道具が古いところや著者の強いこだわりがあるものの(タイプライターなど)、その思想は21世紀現在から見ても新鮮な気づきを与えてくれます。
    著者が本書を著した当時よりも、今は数多の情報で溢れかえっています。思想が徹底しているからこそ、世の中が変化しても著者のいう知的生産技術のシステムがこれからも有効なのだろうと思います。高校生にも薦めたい、おもしろい一冊でした。

  • 1969年発行の本ですが、情報の収集・整理・活用術として、今でも十分通用する内容でした。

    京大型カードとその使い方、切り抜きと規格化、整理と事務、読書、文章に関する論述が特に参考になりました。

    なお、ひらがなが多めの文章に慣れるまで少し時間が掛かりましたが、「7. ペンからタイプライターへ」のひらがなタイプライターの記述を読んで、敢えてひらがなを多く使っている理由がわかり、納得しました。

  • いつか片付けようと思っていた、部屋にどっさりある書類を整理した。書類整理法について読んだら、いてもたってもいられなくなったのだ。"整理や事務のシステムをととのえるのは(中略)生活の「秩序としずけさ」がほしいからである"。また、読書ノートの付け方も真似したいと思うところが多かった。記録するのは「おもしろい」と感じたところだけでよく、「だいじな」ところはその本そのものであるので抜き書きをする必要はないと書かれており、宜なるかなと思った。

    p3
    研究者としてはごく日常的な問題だが、たとえば、現象を観察し記録するにはどうするのがいいか、あるいは、自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、こういうことを、学校ではなかなかおしえてくれないのである。

    p9
    ここで知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合である、とかんがえていいだろう。この場合、情報というのは、なんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがらー情報ーを、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。

    p10
    また、趣味としての読書というのも、知的消費の一種であって、そのかぎりではマージャンや将棋とおなじ性質のものである。

    p15
    (前略)わたしは、たとえばコンピューターのプログラムのかきかたなどが、個人としてのもっとも基礎的な技能となる日が、意外にはやくくるのではないかとかんがえている。すでにアメリカでは、初等教育でコンピューター用の言語FORTRANをおしえることがはじまったようだ。社会が、いままでのように人間だけでなりたっているものではなくなって、人間と機械とが緊密にむすびあった体系という意味で、いわゆるマン・マシン・システムの展開へすすむことが必至であるとするならば、それも当然であろう。

    p24
    まいにちの経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。それも、心おぼえのために、みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、ちゃんとした文章でかくのである。ある意味では、それはそのままでちいさな論文ーないしは論文の草稿ーとなりうるような性質のものであった。すくなくともそういう体裁をととのえている。そのような豆論文を、まいにち、いろいろな現象をとらえて、つぎつぎとかいてゆくのである。たまってみると、それは、わたしの日常生活における知的活動の記録というようなものになっていった。

    p54
    頭のなかに記憶するのなら、カードにかく必要はない。カードにかくのは、そのことをわすれるためである。わすれてもかまわないように、カードにかくのである。

    p82
    本の場合、わたしは現在では、自分の蔵書はUDC(Universal Decimal Classification 国際十進分類方法)を基礎とした分類法で配列している。

    おくときには、つんではいけない。なんでもそうだが、とくに本や書類はそうである。横にかさねてはいけない。かならず、たてる。ほんとうにかんたんなことだが、この原則を実行するだけでも、おそろしく整理がよくなる。せっかく分類のシステムをかんがえても、横につんであれば、その配列どおりにならべることさえできないのだ。

    p89
    キャビネット・ファイルは事務文書のファイルである。主として個人および団体との、さまざまな要件についての往復書簡がはいっている。それに対して、オープン・ファイルのほうは、資料のファイルである。そこには新聞のきりぬきをはじめ、パンフレットそのほかの資料がはいっている。キャビネット・ファイルのほうは毎日の事務のための文書の「保管」の装置である。オープン・ファイルはむしろ資料「保存」の装置である。

    p95
    これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、いかにしていらつきをへらすか、というような問題なのだ。整理や事務のシステムをととのえるのは、「時間」がほしいからでなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからである。

    p110
    よみおわって、鉛筆で印をつけた本は、しばらく、書斎の机の上に、文字どおりつみあげてある。さきにのべた、傍線にしたがってのノートつけは、よんだあとすぐではなくて、数日後、または数週間後におこなうのである。

    こういうやりかたをやってみると、これは、実質的には一冊の本を二どよむということなのだ。ただし、二ど目のよみかたは、きわめて能率的である。短時間で、しかもだいじのところだけはしっかりおさえる、ということになる。この段階ではじめて気がつくこともおおいし、全体の理解がすすむのがつねである。

    p113
    つまり、わたしにとって「おもしろい」ことがらだけであって、著者にとって「だいじな」ところは、いっさいかかない。なぜかといえば、著者の構成した文脈は、その本そのものであって、すでにそこに現物として存在しているからである。

    p117
    むしろ一般論としては、引用のおおいことのほうが、はずかしいことなのだ。それだけ他人の言説にたよっているわけで、自分の創造にかかわる部分がすくないということになるからだ。

    p163
    自分自身にむかって提出する毎日の経験報告なのだとかんがえればよいのである。(中略)その日その日の経験やできごとを、できるだけ客観的に、簡潔に記録しておくのである。もちろん、内的な経験を排除する必要はない。思想も、感情も、客観的に、簡潔に記録できるはずのものである。

    p170
    記憶というものは、ほんとにあてにならないものである。どんなに記憶力のすぐれた人でも、時間とともにその記憶はたちまち色あせて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである。記憶の上にたって、精密な地的作業をおこなうことは、不可能にちかい。記録という作業は、記憶のその欠陥をおぎなうためのものである。

    p175
    (前略)知的生産にたずさわろうとするものは、わかいうちから、自家用文書館の建設を心がけるべきである、ということなのである。

    p206
    KJ法というのは、かれの頭文字をとって命名されたものであるが、異質のデータからいかにして意味のある結合を発見できるかという、いわゆる発想法の体系的技術として、最近たいへん注目されているものである。

  • 仕事用のノートを作る時に、参考にさせていただいたのですが、今でも、たいへん重宝して、仕事用ノートを使っています。ノートの取り方や、メモの取り方、記録の残し方など、たいへん勉強になりました。オススメの一冊です。

  • もう半世紀前に上梓された本ながら、現代でも充分通用する内容。
    一言で言えば、情報処理と伝達の技術ということになると思います。
    冒頭で「これはハウツー本ではない」という趣旨のことが書かれていますが、読んでいると具体的な方法が紹介されていて、どちらかというとハウツー本に思えます。
    筆者は最後に、「読むだけではなく実践が大事」と書いているので、紹介されていたカードによる情報整理とかシンプルで分かりやすい文章の書き方など、参考に出来るものはその考え方を参考に自分なりに取り入れていきたいと思います。
    溢れる情報に溺れる現代、自分もそうですが、情報整理と情報活用に困っている人は、ぜひ。

  • 「勉強しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく勉強できるのかわからない。「整理整頓しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく整理整頓できるのかわからない。こんな経験、ありませんか?

    世の中にはいわゆる「知識」のほかに、「ものごとをうまくやるため」の知識が存在します。けれども、そういった知識はあまりにも身近なことなので、体系的に教わる機会はそうそうありません。「暗黙知」であり「ブラックボックス」なのです。

    大学には世界中からたくさんの人が集まります。「あの人はどうしてあんなに頭がいいのだろう」と、自分の不器用さ、どんくささに悩むこともあると思います。そんな時はぜひ、この本を開いてみてください。明確なこたえは書いていないかもしれませんが、きっと「うまくやる」ための考えのタネが、書いてあるはずです。

    ポッケやポーチに入るサイズで、気軽によめるのもうれしいところ。てはじめに、レポートがかけない、と悩んでいるあなた。この本をひらいて「文章」の項目をよんでみてはいかがでしょうか。人よりも「うまいやりかた」で文章がかけるようになるかもしれません。

    (ラーニング・アドバイザー/地球 SUZUKI)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1115869

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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