- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004312932
作品紹介・あらすじ
東京裁判でA級戦犯報告全員の無罪を説いたインド代表判事パル(一八八六〜一九六七)。その主張は東京裁判を「勝者の裁き」とする批判の拠り所とされ、現在も論争が続く。パルの主張をどうみるか。その背景に何があるのか。インド近現代史を研究する著者が、インドの激動する政治や思想状況の変遷を読み解きながら「パル神話」に挑む。
感想・レビュー・書評
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以前に読んだ東京裁判について論じてる本で、何度も引用されているので手に取ってみた。表題の通り、東京裁判で「被告は全員無罪」という内容の少数意見書を書いたパル判事の評伝である。多くの一次資料に言及されたうえで「ガンディー主義者」「平和主義者」「国際法の専門家」といった俗説はすべて間違いなのを明らかにしている。また日本で上記のような俗説が広まってしまった過程も述べておられ、今後パル判事を語る上で避けて通れない一冊だと言ってよい。
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東京裁判のインド代表判事として知られるラダビノド・パルの評伝。周知の通り、被告全員無罪の少数意見から歴史修正主義者・国粋主義者によって神格化されているパルだが、本書ではインドや英国の公文書をはじめとする内外の一次史料や、一般の東京裁判研究者が語学上読めないであろうベンガル語資料に加えて、パルの子息や親族のオーラルヒストリーを駆使して、その実像を厳密に実証している。「ガンディー主義者」「絶対平和主義者」、あるいは東京裁判判事唯一の国際法の専門家というような俗説は誤りで、少なくとも東京裁判以前には国際法の業績はなく、また独立前はガンディーとも国民会議派とも関係がなく、むしろヒンディー至上主義的な右翼勢力やボースの「インド国民軍」のシンパであったことが疑われている。戦後の日本におけるパル顕彰の政治的動向の検証も行っており(岸信介の役割を重視している)、パルの「神話」形成過程も示している。パル単体を対象とした日本語の研究では現状唯一のまともな(学術的水準を満たす)成果と言える。
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(2013.09.29読了)(2013.07.21購入)
【9月のテーマ(東京裁判を読む)・その④】
太平洋戦争が終わり、マッカーサーの命令によって東京裁判が開かれた。日本の戦争犯罪を裁くために。その際に、インドから参加したのがパル判事です。
パル判事が東京裁判に加わったときは、インドはまだイギリスの植民地でした。
インドでの人選が遅れたために、パル判事が東京に着いたときは、東京裁判はすでに始まっていました。インド植民地政府、独立後のインド政府からは、特別の指示はなかったようで、自由な立場で、判断することができたようです。
満州事変、日中戦争、太平洋戦争、を始める時点では存在していなかった罪で罰することはできない、国の行為として行ったことで、個人を裁くことはできない、等の理由で被告人は全員無罪を主張したのが、パル判事です。
アメリカやイギリスは、自分たちがやってきたことと同じことをやっただけの日本をなぜ裁くことができるのか、日本は先進国からアジアを解放した、という考えが、パルにはあったのではないでしょうか。
パル判事は、日本の指導者を国際法で裁くことはできない、といっただけで、日本のやったことは正しい、と言っているわけではないのです。
安部晋三さんは、その辺をわかっているのでしょうか。もちろんわかった上で、知らんぷりしているのでしょうけど。
【目次】
序章 パルをめぐる記憶 日本とインド
第一章 ガンジス川ほとりの村で
第二章 法曹エリートへの道
第三章 東京へ 東京裁判とパル意見書
第四章 明と暗の晩年 国際社会とインドの間で
第五章 パル神話の形成
おわりに 神話化を超えて
あとがき
参考資料
●ガンディー主義批判(66頁)
もし東洋諸国が西欧の侵略的な搾取から効果的に身を守ろうとするなら、工業化を進める以外に道はない、というのがパルの見解であった。
●降伏文書(91頁)
四五年七月のポツダム宣言に、「一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」との文言が盛り込まれ、日本は同年九月に調印した降伏文書で、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した。この降伏文書に連合国側から調印したのは、米・中・英・ソ・オーストラリア・カナダ・仏・オランダ・ニュージーランドの九カ国であった。
東京裁判の判事団は九カ国にインドとフィリピンを加えて、一一カ国の代表で構成されることになった。
●手続きの誤り(99頁)
パルは適格者でないにもかかわらず、選任手続き上の誤りでインド代表判事に任命されてしまった
●個人責任(104頁)
検察側は、侵略戦争はすでに国際法で犯罪と見なされており、また、戦争のような国家行為であっても国家の指導者は個人責任を免れることはできず(指導者責任)、国際法上の刑事責任を個人として負うべきであって、そうしなければ、破滅的な戦争が再び起こることを防ぐことはできないと主張した。
●正当な戦争(146頁)
実際において、西洋諸国が今日東半球の諸領土において所有している権益は、すべて……主として武力をもってする、暴力行為によって獲得されたものであり、これらの諸戦争のうち、「正当な戦争」と見なされるべき判断の標準に合致するものはおそらく一つもないであろう。
●道徳的責任(199頁)
六六年にパルの最期の来日が実現した。このときパルは、私は日本は道徳的には責任はあっても、法律的には責任はないという結論を下しましたと述べたとされる。つまり「日本無罪論」という主張はしていないというのである。
●『パール博士の日本無罪論』(214頁)
この本は内容に問題があった。たとえば、意見書の原文をかなり変えて引用しているのに、カギ括弧をつけてあたかも忠実な引用であるかのように見せたり、東京裁判を「白痴的行為」と罵倒したりしているような具合なのである。それは言わば、パル原作、田中翻案というべきものであった。
☆関連図書(既読)
「秘録 東京裁判」清瀬一郎著、読売新聞社、1967..
「東京裁判(上)」児島襄著、中公新書、1971.03.25
「東京裁判(下)」児島襄著、中公新書、1971.04.25
「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
「「南京事件」の総括」田中正明著、小学館文庫、2007.07.11
「日本無罪論 真理の裁き」パール著・田中正明訳、太平洋出版社、1952.05.03
「落日燃ゆ」城山三郎著、新潮文庫、1986.11.25
(2013年10月2日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
東京裁判でA級戦犯報告全員の無罪を説いたインド代表判事パル(一八八六~一九六七)。その主張は東京裁判を「勝者の裁き」とする批判の拠り所とされ、現在も論争が続く。パルの主張をどうみるか。その背景に何があるのか。インド近現代史を研究する著者が、インドの激動する政治や思想状況の変遷を読み解きながら「パル神話」に挑む。 -
斜め読み。インドでは過去の人となっているパル…
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東京裁判にインド代表判事として出席したパル判事の生涯と、
これを取り巻く日本を描く一冊。
私の理解力不足やインド史の勉強不足もあってか
パル判事の考えがうまく飲み込めなかった。
しかし巻末にもあるように
パル判事は明確な一本の軸を貫き生きるタイプではなく、
ある面では凝り固まった、ある面では揺れ動く、
矛盾を内包した人間臭いタイプではなかったかと感じた。
その一方、パル判事を拡大解釈し利用した戦後日本については、
様々な思いがそこにあったにせよ、
同じ日本人として考えさせられるものがある。 -
東京裁判でインドの判事が日本のA級戦犯はみな無罪である、などと言っていたということを初めて知った。
そしてその判事が日本の保守層によって神話化されていたり、靖国の博物館(名前忘れました)に銅像があったりするとか、安倍元首相が首相時代に実家を訪問していたとか、知らないことばかりだった。
東京裁判もたんに「戦勝者が敗者を裁いた」というだけではなく、いろんな立場の人がいろいろと蠢いていたのだなと。