マヤ文明――密林に栄えた石器文化 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313649

作品紹介・あらすじ

ジャングルにそびえ立つ神殿ピラミッド、広場に林立する石碑、交易に用いられた黒曜石…。マヤ文明は中米の密林に花ひらいた究極の石器文明だった。もはや謎と神秘のベールに包んで論じる時代ではない。マヤ文字は王の事績を語り、考古学は貴族や農民の生活を明らかにする。マヤ文明の実像を、気鋭の考古学者が熱く語る。

感想・レビュー・書評

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  • マヤ文明の概略、特に最も興味のある文明の盛衰がコンパクトに整理されている。

    マヤ地域では古期の紀元前1800年まで狩猟採集が主で、雨季と乾季に移住する生活を続けていた。先古典期中期の前1000年頃に大きな穂軸と穀粒のトウモロコシが生産され始め、トウモロコシ農耕を基盤とした定住生活が各地で定着した。

    マヤ文明は石器を使い続け、鉄器は用いなかった。車輪の原理は知られていたが、大型の家畜がいなかったために荷車や犂は発達しなかった。「ピラミッド」はウィツと呼ばれる山信仰と関連する宗教施設だった。後世の王は、神殿ピラミッドをより大きく更新することによって王権を強化した。支配層に仕えた書記兼工芸家は、天体観測、工芸品の製作、戦争、行政などの複数の社会的役割を果たした。法律文は見つかっていない。

    ティカルでは乾季に水が不足するため、建築物や地面を漆喰で舗装して貯水池がつくられた。コパンでは、5世紀に大規模な建設が行われたために森林が破壊され、7世紀頃から建造物の外壁は漆喰彫刻に代わってモザイク石彫で装飾されるようになった。マヤ低地南部の都市が衰退した直接的な要因として最も重要視されているのは、人口過剰、環境破壊、戦争。8世紀に人口がピークに達し、宅地や農地の拡張、薪採集によって森林が減少し、農耕によって疲弊した土地が広がった。しかし、王たちは自らの権威を正当化するために神殿ピラミッドを更新続けた。戦争が激化して王朝の権威が弱体化・失墜した証拠がある。

    一方、マヤ低地北部では、マヤ低地南部の多くの都市が衰退した古典期末期(800〜1000年)に全盛期に達した。後古典期(1000年〜16世紀)には海上遠距離交換が発達し、商業活動が盛んになった。芸術や建築に代わって大量生産が行われるようになり、マヤ文明は16世紀にスペイン人が侵略するまで発展し続けた。

    内陸の芸術や建築を中心とした文明から北部海岸部の海運交易による経済へと移行したと説明している点が興味深い。人口増加による環境破壊は外部との交易によって解決されてきた歴史を物語っているように思える。

  • マヤ文明に対する見方が良い意味で変わる本。マヤは間違いなく大文明の一つであることが分かります。マヤ時代の建物や文字についても書かれていて、相当高度な文明であったことが想像できます。
    この本を読んでも思うのですが、都市を維持拡大していくのがいかに難しいか。その点も考えさせられました。

  • マヤ考古学者によるマヤ文明の解説書。主に古典期(前250年~1000年)のマヤ文明を中心に、都市王朝の歴史や文化、社会構成などを概説している。
    本書は初学者にも理解できるように非常に分かり易く説明が行われている。各都市の歴史やその社会構造、農民や貴族階級の暮らしを考古資料に基づいて説明しており、マヤ文明の最新の学術的研究成果を知る事が出来る。著者自身の体験談も交えて語られるマヤ文明の姿は、所謂「マヤの終末預言ブーム」において世間一般に広く流布された「謎と神秘」に毒されていないもので、彼が語るように「世界六大文明」の一つにして「究極の石器文明」たる高度な文明の姿である。私自身、マヤ文明についての知識は皆無に等しかったので、本書は非常に参考になった。
    「マヤ終末預言のXデー」も過ぎた今、真面目なマヤ文明理解をしたい方にお勧めの一冊。

  • 青山和夫『マヤ文明--密林に栄えた石器文化』岩波新書、読了。気鋭の高校学者が、その概要と歴史、人々の暮らしの実像を実証的に紹介する最新の入門書。「マヤ文明はもはや謎と神秘のベールに包んで論じる時代ではなくなった」とは著者のいう通り。2章「マヤ文明との出会い」の交流譚は心温まる。

    「人間の一生ではとうてい観察できない数千年という時間枠の中で、いつ、どこで、なぜ、どのように、文明が盛衰したのかを検証できるのが、考古学の強みといえる」。青山和夫『マヤ文明』岩波新書、2012年、195頁。マヤ文明を学ぶ意義は、現代地球社会の問題に光明を与えるものになりえる。

    「戦争や生態系の悪化といった諸問題に対応するために、現代の私たちからみると、最悪の時に愛悪の解決策を講じた。すなわち、自らの権威を正当化し、神々の助けを請うために、より巨大な神殿ピラミッドを建設し、更新し続けたのである」。青山和夫『マヤ文明』岩波新書、2012年、194頁。

    しかしマヤ文明衰退の事例は過去の話でも他人事でもない。「一部の人間が短期的な利益を追求するあまりに、長期的な衰退を招いていないだろうか。『得意の科学技術』によって危機を克服できるという、過度な期待をしていないだろうか」。青山和夫『マヤ文明』岩波新書、2012年、195頁。

    青山和夫『マヤ文明』岩波新書、2012年。「ネタ」として扱われトンデモな話題だけ先行して「謎と神秘のベール」につつまれたマヤ文明については、知らないことも多く非常に楽しく読み終えた一冊。過去を学ぶという意義をリフレッシュさせれた感です。おすすめ。

  • 第一線の考古学者がマヤ文明の概観を自分の研究をベースに記述。著者の専門の石器の話や考古学的な詳細が新書の割に多く、わかりにくいもののそれが逆に本気度を伝えている。正しいマヤ文明の理解を伝えることが、著者のライフワークの一部とのこと。
    マヤ文明は、ユーラシア諸文明のように大河のほとりで大灌漑事業をベースに絶対王権が栄え牧畜、鉄器などの文明を発展させたものではない。分散された都市国家が、牧畜はせず、ユーラシアの米や小麦よりも高効率なトウモロコシなどを栽培し、天文学文字を含む石器文明、交易を発展させていった。そう聞くとギリシアやキリスト教以前のヨーロッパ北部に近いものかと思うが、海上交易は少ないようだし、その比較は本書にはない。
    著者が携わるようにマヤ文明に関する知識は更新され続け、昔マヤのピラミッドは祭祀用とされてきたが、王墓も中にあるものが多いことは知らなかった。

  • 読みやすく、マヤ文明の概要についてこの一冊でかなり理解することができる。

  • 2012-5-2

  • 新書文庫

  • この本を読むまでマヤ文明に関する知識は殆どありませんでした。多くの人が誤解されていると、この本の著者が解説していますが、マヤ文明はアンデス文明と共に世界六大文明(私が習ったときは四大文明でしたが)を構成する一つだそうです。

    今年(2012)の12月22日には、マヤ暦では最後の日であると一時期は終末論とともに論じられたことがありましたが、この世の終わりではないものの、一つの時代の区切りを示しているのかもしれません。

    本日は日本では総選挙があり、多分政権が民主党から交代することになるでしょう。来年からは日本もこれまでとは異なった顔を見せていくのかもしれません。そんなことを、この本を読みながら感じました。

    以下は気になったポイントです。

    ・本書は、マヤ文明を築いた人々の活き活きとした生活や世界観を描き出して、マヤ文明の実像を紹介する最新の入門書である(はじめにp3)

    ・翡翠(ひすい)は緑色の硬い玉であり、メソアメリカでは、グアテマラ高地だけで産出、マヤ人にとって、緑と青は世界の中心の神聖な色であった、緑と青を区別しなかったのは日本人の「青信号」と似ている(p9)

    ・世界七大陸のうち、人類が最後に到達したのがアメリカ大陸、コロンブス以前のアメリカ大陸は、1万年以上にわたってモンゴロイドの大陸であった(p11)

    ・アステカ王国と南米インカ帝国は、マヤ文明(前1000-16世紀)よりもずっと後、スペイン人が侵略した16世紀の直前に発展した(p13)

    ・コロンブスによるアメリカ大陸の発見は、世界の食文化革命をもたらした、トウモロコシ、トマト、カボチャ、トウガラシ、ジャガイモ、サツマイモ、インゲンマメ、カカオ、バニラ、たばこ、ゴム等、世界の作物の6割はアメリカ大陸原産(p15)

    ・マヤ文明は9世紀に突如消滅した謎の文明と誤解されるが、スペイン人が16世紀に侵略するまで盛衰を繰り返しながら発展した(p16)

    ・マヤ人は20進法を使っていた、手足両方の指で数を数えたから(p22)

    ・マヤの支配層は、365日暦、260日暦をはじめ、さまざまな暦を複雑に組み合わせた。小数を使わずに、149月齢が4400日という太陰暦に関する等式を編み出した、金星の5会合周期と365日暦の8年と同じであることも発見した(p23)

    ・マヤ地域では、多様な諸王国が、遠距離交換ネットワークを通して様々な文化要素を共有したので、一つの文明にくくれる(p25)

    ・マヤの東西南北の色は、それぞれ、赤・黒・黄・白、これは4種類のトウモロコシの色と同じ(p26)

    ・260日暦は、13の数字と20個の日の名前を組み合わせた、365日暦はひと月が20日の日が18と、最後に5日だけの短い月がついた、閏年がない365日の1年が52回の周期で循環、つまり260日暦と365日暦の組み合わせは、現代暦で、52年(260と365の最小公倍数)で一巡した(p35)

    ・マヤ文明のいかなる碑文にも、2012年の世界の終末は記されていない(p36)

    ・文字の読み書きは、日本の平安時代と同様に、王族・貴族の男女の秘儀であった(p43)

    ・トウモロコシは、麦、稲と共に、世界三大穀物を構成する、トウモロコシは100-200粒、小麦は4-7粒しか収穫できなかった(p125)

    ・農耕革命が起こらなかったのは、トウモロコシの栽培化と、ゆっくりとした品種改良にある(p128)

    ・四大文明では、船の通れる大河川流域で大規模な灌漑農業が発達したが、マヤ文明の集約農業では、主として中小河川、低湿地を利用して灌漑農業、段々畑、家庭菜園等があった(p142)

    ・マヤ低地北部では、南部の多くの都市が衰退した古典期終末期(800-1000)に全盛期に達した、南部は8~10世紀にかけて衰退した(p189)

    ・マヤ文明の諸都市は、スペイン人によって破壊された、スペイン人や旧大陸の家畜が持ち込んだ天然痘、はしか、チフス、インフルエンザ等の新しい病気が免疫力のない先住民の間で大流行した(p200)

    2012年12月16日作成

  • 所在:展示架
    資料ID:11200087
    請求記号:256.03||A58||1364

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著者プロフィール

茨城大学人文社会科学部教授(マヤ文明学,メソアメリカ考古学,文化人類学専攻)。
1962年京都市生まれ。東北大学文学部史学科考古学専攻卒業。ピッツバーグ大学人類学部大学院博士課程修了。人類学博士(Ph.D.)。1986年以来,ホンジュラスのラ・エントラーダ地域,コパン遺跡,グアテマラのアグアテカ遺跡,セイバル遺跡,メキシコのアグアダ・フェニックス遺跡や周辺遺跡などでマヤ文明の調査に従事している。「古典期マヤ人の日常生活と政治経済組織の研究」で日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞を受賞。日本を代表するマヤ文明学の推進者。
【主な著書】
『マヤ文明を知る事典』(東京堂出版,2015年),『マヤ文明 密林に栄えた石器文化』(岩波新書,2012年),『古代メソアメリカ文明 マヤ・テオティワカン・アステカ』(講談社選書メチエ,2007年),『古代マヤ 石器の都市文明[増補版]』(京都大学学術出版会,2013年)など多数。他,欧文による研究書・論文多数。

「2022年 『マヤ文明の戦争 神聖な争いから大虐殺へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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