アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317456

感想・レビュー・書評

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  • 昔はエコの人たちダサくてゆるくて過激さがなくてカッコ悪いって思っていた。日本ではそうでもない(進歩してない)みたいだけど、欧米では、エコの人らが一番の過激派になっていてかなりラディカルなことしてる。それはそれでなんか違和感。その違和感をすっきり解消してくれてるとこなんかいいね。たとえば、
    今やられているのは、人間による人間の支配だ、それがより強力になっただけなんだ、「地球」って言葉が使われて、みんなのためにお前ら従えよって言われてるだけなんだよと。

    ほかにもいろいろ抜粋。気分爽快なところや、ゴロが良かったところ。

    例えば、今、ぱっと思い浮かんだのが、三里塚闘争だ。もともと、三里塚、成田周辺てのはめっちゃ農業が盛んだった。でも、ある日、突然、そこに成田空港を作りますよって国が言ってきて、そんでもって嫌だったら、てめえら邪魔なんだよ、立ち退かないやつは、国益に反しているんだよ、非国民なんだよって言って、農民たちを排除しにかかったわけだ。チキショウ国家、マジヤクザ。

    くそでも何でも武器にして、いつだって、何度だって叩き潰してやれ。我々は都会のインディオだ。CO2削減って叫びながら、車を燃やし、マックを焼き討ちにしては、マックグリドルソーセージエッグを食らう。

    てめえの自然を手放すな。てめえの体を制御させるなてめえの理想にだって縛らせちゃいけない。何度でも何度でも振り出しに戻って生きていきたい。

    フランスのアナキスト集団 不可視委員会の文章をよく読むんだけど、彼らに「いまこそ(仮)」って本があってね、その中に、「経済は尺度の警察ポリスである」ってフレーズが出てくる。これ文字通りなんだよね。金は生きる尺度だって言っておいて、従わない奴らを取り締まっていく、使えない奴は、こき下ろして、働かない奴が叩き出せポイポイってね、アナルコ・キャピタリズムの精神だ。みんな警察だよ。

    それまで自分ができないって思っていたことができるようになる、あれもできる、これもできる、何でもできる、もっともっとって、自分じゃない自分を手にすることが大事なんだ、そういう力を示すことが大事なんだって。それを自分で感じとることが大事なんだって、それだけが大事なんだ。もっとアホになれ、もっとアホになれ!もしもそれ以上の何かをさせようとするならば、コンセンサスだろうと男だろうと、そんなもんは、ただの政治だ、支配だ、権力だ。(ブラックブロックの精神)

    サイバネティクスの論理=絶えず無駄を除去して適正化、自動修正。サイバネティクスはファシズムの土台である。

    リュック・ボルタンスキー、エヴ・シャペロ「資本主義の新たな精神」資本主義批判には2つの方がある。
    1社会的批判 2芸術家的批判
    社会的絆は、この世の中に貧富の格差があるのはおかしい不平等を正しくましょうって言うもの。労働組合の運動のようなもの。
    芸術家的批判は、支配はいらない、この社会のヒエラルキーをぶち壊してやれ、大事なのは、自立と自己統治だ、命令なんていらない、自ら進んで面白いことをやっていく、新しいものを創造していくんだ。一人一人がアーティストになるだと言う若者の動き(60年代)

    1966年、ベトナム反戦直接行動委員会(ベ反委)
    ベトナム反戦運動におけるアナキストの団体
    ないものを発見する
    アナキストは無駄がいのち。

    アナルコ・サンディカリズム、結局カネなんかに縛られないで、メタクソに好きなことをやりまくって来て言ってやるぜって言うこと
    プルードン
    「あなたがされたくないことを他人にしてはいけない。いつでもあなたがされたいと思った良いことを他人にするのです」(労働者階級の政治的能力)

    ジョン・ホロウェイ(革命‐資本主義に亀裂を入れる)
    為すことドゥーイングと労働レイバーをはっきり分けて考えましょう。なすことはこれをやったら面白いとかこれをやったらあいつが喜ぶだろうなと言う事労働とは見返りをもらうために何かをするってこと。=大杉栄の「生の拡充」
    レイバーのほうは、工場の中の主人と奴隷みたいな関係。
    アナルコ・サンディカリズムの山で1日とはフランス語で労働組合のことサンディカリズムで労働組合主義。資本家がいなくても、政治家がいなくても、労働者だけで労働組合だけでやっちまおうぜというのがサンディカリズム、労働組合の組織作りも会社みたいなヒエラルキーにしない。統一された組織である必要もない。どこの組合とか関係なくゆるやかにつながっていつでも支援に入ったり駆けつければ良い。大正時代に日本でサンディカリズムをガンガンやっていたのが大杉栄。
    アナルコ・サンディカリズムは、労働組合の自主と言う縛りがあるため、純正アナキズムと論争になる、日本の大正時代なら、サンディカリズムの大杉栄と純正アナキズムの八太舟三。

    多分うちらが当たり前だと思っている自分は、他人によって強いられた自分である。

    大杉栄たちのサンディカは労働組合ではなく、街の中間共闘集団。得体の知れない無数の集団、無数の生命力。できるできるもっとできる、何でもできる。誰かが行けるところまで行ってみる。やること。成すこと根拠なし。なぜそんなことを始めたのかわからない。制御できない力がある「自然とは暴動である」ので、サンディカとは、人を自然に近づけようとするもの。衝動がある。しかし命令は無い。共鳴はある。しかし統一はない。バラけることを前提にして、人が群れ集まる。人は1人で群れだ。潜在的に人は無数の自分を持っている。アナルコ・サンディカリズムとは、一丸になってバラバラに生きろ。

    そして、第4章で、さすがの船本洲治登場。この人、栗原さん、ここまでもそうだそうだと読み進んできたが、めっちゃ信頼できる。
    「暴動は下層労働者の自己表現である」自らの弱者性を抑圧された存在状況を武器にしろ。トイレットペーパー勝ち取りのための新聞紙トイレ詰まらせ作戦。やられてとやられてなくてもやり返せ。まさかの船本からのアナルコ・フェミニズム展開へ。エマ・ゴールドマン。すごい武勇伝だらけの人生で70歳まで活躍したすごい人。
    魔女狩りの政治性経済性、、、家事労働の担い手確保のための正義。夫、配偶者のことを自分でダンナさまとかダンナとか言ってる人が日本には多くていちいち訂正したくなるけど、この無意識もしくは説教的奴隷マインドは痴漢とか性犯罪の多さや密室性とも関係してそうだ。伊藤野枝、友情はアナーキー。命のダンス、そうさせてやまないもの。
    アナルコ・コミュニズム
    どこにでもではないかも知れないが昔の、伊藤野枝の時代の田舎には普通にあった相互扶助が振る舞いとして自然であったこと。無政府は事実、という。おっしゃる通り。
    最後はドイツのアウトノーメ、スクウォットの話から秩序、奴隷の生、集団の権威からはみ出せ、秩序をはみだし、無償の生をいけ。コミュニズムとは絶対的孤独
    はみ出していこうとする力、相互扶助(無政府)は犯罪であり、アナーキーと 
    こんなにわかりやすく希望に溢れるアナキズム入門はない。しなやかで良いし、好きということがとても良い、大事。

  • アナキズムは自分をルールから自由にし続ける過程なんだなと思った。中指を立てるような文体も岩波新書らしさを抜ける試みなのかな。今度は理論と歴史に関する本も読んでみたい。

    • まめけんしさん
      伊藤野枝による機械という言葉の使い方が気になった。マルクス主義とは全然違う。
      伊藤野枝による機械という言葉の使い方が気になった。マルクス主義とは全然違う。
      2023/01/15
  • 2018年の出版だが、その後取り沙汰されるブルシットジョブ、資本主義リアリズム、人新世の資本論などを見事に先取りしている。

    ハチャメチャな文体の奥に垣間見える著者の誠実さも魅力。

  • いや、やっぱり栗原康は最高です
    自分の中にあるあらゆる支配をぶち壊してくれる
    「岩波新書」は格式高い?そんな知ったこっちゃないと言わんばかりの暴れっぷり
    栗原康の思想の真髄を知る上で、最も適切な一冊目になると思います

    無政府は事実だ!
    あらゆる相互扶助は犯罪だ!
    やられてなくてもやりかえせ!
    できっこないをやらなくちゃ!

    ちなみにここにあるレビューの大概は的外れなので参考にしないほうがいい

    文体?んなこた知ったこっちゃねぇんだよ
    栗原康さんは栗原康さんの書きたいように書くんだよ
    そんなこともわかんねえなら初めから読み直せ
    自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です

    • workmaさん
      どらどらさん
      はじめまして。
      『自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です』…いいですね~!痺れるワードセンスですね!
      どらどらさん
      はじめまして。
      『自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です』…いいですね~!痺れるワードセンスですね!
      2023/03/11
  • (2021/2/18再読)同じ著者が編んだアンソロジー「狂い咲け、フリーダム」を読んでから再読すると、よりわかりみが深い。絶えざる自己変形の欲求、理路整然なんてくそくらえ、そうやってわけのわからない力に身をゆだねてやってやってやりきると、またあらたな生の輝きが身体の奥底から立ち上がってくるから、と。人間による人間の支配は受けない。権力をぶちぬけ。排除なんかしない。それがアナーキーだ、と。そして、支配のかわりに相互扶助を、と。今はまだ何もぶちぬけなくてここにいる自分をかえりみながら本を置き。。//(2018/12/16読了)権力を撃ちぬき、支配をひっくり返し、自分の理想すらひっくり返して、人としてできることを増やしていく、「生の拡充」。弱者は死ぬんだよォーーーーッ!、だから戦うんだろうが、というアナキストの叫び。弱者が弱者を取り締まることの不毛さ。エマ・ゴールドマンと伊藤野枝の著作への興味が深まる。今この瞬間に行動しないなら、もう絶対に行動することなどないのです、という言葉に撃たれながら、ページをとじた。

  • 2018年12月読了。
    この著者の著作を読むのは2冊目(1冊目は『村に火をつけ、白痴になれ』)。
    今回の『アナキズム 』、なにか非常に飛んでいる。
    文体が飛んでいる、というよりも文体以前の問題でイッテしまっている。
    「真面目な岩波新書でございます」てな調子で読み始めたら痛い目に遭う。

    アルケー(arche)がないのがアナーキー(anarchy)、アルケーは「統治」や「支配」という程度の意味で、それがan、つまり「〜がない」のでアナーキーは「無政府主義」と訳されるが、アルケーは哲学用語では「万物の始原」、あるいは「根源的原理」という意味のものであって、アナーキー=無政府主義だけでは足りない。根拠のないことをやる
    という意味も抑えておく必要がある(9ページ)。

    とかく意味や根拠、社会的な評価の尺度に合わせて生きなければならない、もしくはそう生きなければならないかのように思わされている人々にとっては、アナーキズムはそういった発想から解放される手段になる。

    邪推するに、この手の本が新書として出版されるということは、今の世の中に不自由や理不尽に憤っている人が多く、あるいは慣習、因習その他諸々の人の思考や行動を制限する何かによって窮屈な思いをしている人が多いのではないか、と思う。

    もっと群れずに自由に生きる、過去にもそんな人がいて、度々痛い目に遭いながら=時の権力に押さえ付けられたりしながら、どうにかやってきたということを知ることで、より自由な発想で生きるための縁としたい。

  • めっちゃ面白かったし、すごく元気出た。ヒャッハーーー!
    でも、「弱者の〜」という疑問に誠実に答えてるかと言うとそんなことない。例えば、デモとか集会の情報保障にはかなり気を配る。まんべんなくそういうスタンダードを打ち立てる必要があると思うけど、「みんなでやる」とかくそくらえって言われたらそれはそう…。

  • もうちょっと穏健なアナキストの方が好感が持てる

  • 大好き!毎日新しく生まれ変わって生きていきたいよ

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/721027

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝 ―― 永遠のアナキズム』(夜光社)、『はたらかないで、たらふく食べたい ――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)、『村に火をつけ、白痴になれ ―― 伊藤野枝伝』(岩波書店)、『現代暴力論 ――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『死してなお踊れ ――一遍上人伝』(河出書房新社)、『菊とギロチン ―― やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』(タバブックス)、『何ものにも縛られないための政治学 ―― 権力の脱構成』(KADOKAWA)など。

「2018年 『狂い咲け、フリ-ダム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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