- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004319160
作品紹介・あらすじ
一夜にして一〇万人もの民間人を殺害した東京大空襲。戦災孤児、障害者、PTSDなど、苦難のなかで戦後を生きざるを得なかった多くの人たちがいる。社会の無知や偏見に苦しめられながら、自分たちを切り捨てようとする国に対して救済を求めて立ち上がった空襲体験者たちの闘いをたどり、この国の「戦後」とは何であったのかを問う。
感想・レビュー・書評
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三分の一ほどは戦争の経緯と当事者の経験、残りは補償を求めた訴訟や立法運動。
壁と思われるのは、在外財産国賠訴訟の68年最高裁判決に始まる「戦争被害受忍論」だ。本書はこれを戦後補償史の「黒い画期」と呼ぶ。東京大空襲国賠訴訟の09年東京地裁判決、12年東京高裁判決も、若干原告に歩み寄ったようだがやはりこの法理に沿ったもの。その中で、原爆、沖縄戦やシベリア抑留では政策的に補償がなされていた。
また著者は、軍人恩給との不平等を繰り返し強調しつつ、一般庶民の戦争責任の低さも挙げる。
本書で触れているわけではないが、韓国の慰安婦や労働者問題とパラレルで考えてみた。相手国への個人請求権は放棄、個人補償は国内問題だが基本的には行わずという原則の下、ごく限定的な分野では個人補償を実施、と基本的には日韓政府とも一貫していたように見える。ただ大きく異なるのは日韓の司法判断だ。 -
序章 命を削って訴える高齢者たち
第1章 一〇万人を殺した無差別爆撃
第2章 今日まで続く戦争被害
第3章 民間人差別 国の論理
第4章 「受忍論」と裁判
第5章 立法運動の開始
終章 未完の戦争――当事者が望んでいること
新聞連載をもとにした内容で、問題の全体像をわかりやすい形で教えてくれる(ただし、他の関連する問題=徴用工問題や慰安婦問題とのつながり/かかわりに関する言及は見られない)。とくに、空襲被害者たちの戦後の苦難と、空襲議連での議論と議会における議論のプロセスが詳しく紹介された点は重要。
民間人戦争被害者に対する「補償」を出来るだけ小さくしようとする政府のありようは、現在の日本国家が戦時体制からの延長線上に作られた事実を、あらためて突きつける。「パンドラの箱論」とは、まさに日本国家の正統性にとってのそれを意味しているのだ。 -
戦後は未だ終わっていない。軍人、軍属の恩給とは異なり政府に切り捨てられた民間人の戦争犠牲者。遺族たちの長い戦後を追った一冊。
政府に直接雇用されていないとの理由から補償されない民間人、空襲と被害者。遺族や障がい者、孤児などの生存者の人数も相当に減ってしまった。それでも行われぬ補償。
司法判断を避け立法に委ねながらも実現しない。
受忍論を掲げつつも占領終結後、速やかに復活した軍人への恩給。政府が一部の人の利益にしかならない政策をいつの間に行うのはいつの時代も変わらない。
そもそも空襲を知らない人も多いだろう。さらに日本人の多くが知らない事実に目を向けた作品。 -
地元の本屋閉店バーゲンセールにて購入。
何度も読むことが辛くなった。
しかし、知っておかなければならないとの思いで読了。
司法も立法も当事者が死んでいなくなることを待っているのか。
逃げずに消せと事実上の命令を出したのは国ではないか。
私の母親もギリギリで防空壕に避難したら、
そこにいたのは町会の役員共だったという。
以来、我が家の家訓は「逃げろ」である。
都は被災者名簿を整理公開せよ。
国はおんぼろミサイルを買う金があったら速やかに戦災民間人の補償をせよ。
責任は感じるものではなく取るものである。
どこかの隣国のように未来永劫、恨み続けるのは愚かなこと。
責任は問えないがアメリカに焼かれた事実は伝えていかなければならない。
ドレスデンのような街と関係を築くべきではないか。 -
戦後79年経ったが戦争はまだ終わっていない。
原爆や沖縄戦の被害者のことは考えたことがあったが、東京大空襲や名古屋大空襲などの被害に遭われたことの人をあまり考えたことがなかった。なんたることと思う。
亡くなった方たちはもちろんのこと、命が助かったても怪我や火傷による障害が残ったり、両親を亡くして孤児になり苦労されたり、国によって起こされた戦争による被害は非常に大きい。それなのに何の補償もされていない。軍人・軍属にはあったのに。その格差を問題にし、たびたび裁判を起こすが、ことごとく敗訴。立法府の仕事だと判決でも言われるので、国会に請願するも全く進まない。年をとる。だんだん亡くなる人が増えてくる。
本にも書かれていたが「被害者が死ぬのを待っている」。
国というのは国民を見捨てるものだとつくづく思う。現在の状況を見ていても。無力感ばかりが募るが、この賠償請求を続けている方達は「未来の国民のため」とおっしゃっている。「新しい戦前」と言われる現在。国民はみんな一緒になって「国」と戦わなければいけないのではないか。
第2章の扉の戦災孤児の写真に心がつぶれる。何が「浮浪児」だ。親戚に引き取られた人たちも大変な苦労をされた。子供たちにこんな酷い目に二度と遭わせてはならない。 -
東京大空襲をめぐる補償の裁判についてが主軸となっている。
軍人と民間人との補償の差の理不尽や、防災法があり焼夷弾が降り注いだら消し止めることが求められており、大人が疎開することは許されなかった、ことなどが記載されている。
何故子供だけ疎開させて大人はもっと避難しなかったのだろう、と疑問に思っていたのだが、なるほど、そういう事情もあったのか、と初めて知った。
しかし「軍人と民間人とで補償に差があるのは人権問題である」「戦争はみんな被害にあったのだから我慢せよ、というのは理不尽で犠牲の濃淡で補償すべき」という理論は、心情的にはわかるのだが、行政側の立場もまたわかるなあ、と思う。
国として成り立つためには、どうしても「軍」が必要で、であるならば軍務による死傷を国家として補償すうるのは当然である。民間人と同じ補償にしてしまっては、いざというとき人が集まらなくなるのでは、と思ってしまう。また、補償の濃淡を決めるにしても戦争という極限状態で客観的データを求めるのは難しく、けれど本人の証言のみで補償するのもまた難しい。などと考えると、なかなか国として補償に動かなかったのもわかる。実際沖縄戦でも3人の目撃者証言者がいるいないで補償が受けられる受けられないが分かれてしまって、溝が生まれているし……。
そういう点で、実際に四肢欠損などの身体障害&補償開始時点での生存者のみというのは妥当な落としどころに感じ、ぜひ東京大空襲の補償が実現してほしい、と感じた。 -
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一夜にして10万人もの民間人が殺害