読み書きの日本史 (岩波新書 新赤版 1978)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004319788

作品紹介・あらすじ

私たちが日々実践している文字による言語活動は、長い時をへて形づくられてきたものだ。古代における漢字の受容から、往来物による学びの時代へ。近世の文字文化の多様な展開から、近代学校の成立へ。──世界の事例にも目くばりしながら、識字の社会的意味を広くとらえ、今も揺らぎのなかにあるリテラシーの歩みを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 八鍬 友広 || 東北大学 大学院教育学研究科 教育学部
    https://www.sed.tohoku.ac.jp/laboratory/detail---id-3.html

    読み書きの日本史 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b626370.html

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「闘いを記憶する百姓たち」(吉川弘文館)も面白そう、、、

  • 日本の歴史の中で、読み書きがどのように推移し、
    社会に広がっていったのかを、詳細に解き明かす。
    第1章 日本における書き言葉の成立
    第2章 読み書きのための学び
    第3章 往来物の隆盛と終焉
    第4章 寺小屋と読み書き能力の広がり
    第5章 近代学校と読み書き
    図版出典一覧、主要参考文献有り。

    日本語の書き言葉の起源は、外国語である漢字の移入から。
    漢字訓読で日本語のように読む工夫。変体漢文で和文へ。
    宣命体。万葉仮名から片仮名、平仮名、漢字片仮名混じり文へ。
    候文体、御家流が近世、全国どこでも使える斉一性を得る。
    漢籍学習の時代。読み書きの学びの始まりは習書木簡から。
    往来物の時代。手紙の文例集なる往来物の最古は「明衡往来」。
    平安時代からあった往来物は、いつしか手紙以外の初歩教科書に
    変じ、商売往来や童子往来(教訓書)、道中往来を生む。
    近世から明治初期が往来物の最盛期。
    鎌倉時代末期から民衆の教育の場であった村堂。
    寺小屋は17世紀頃から普及。往来物が教材として使われた。
    教科書の時代。学制発布から教育令、小学校令へ。
    明治期の学びのキャンペーンと近代学校制度に義務教育。
    紆余曲折の末、小学校の国定教科書は言語一致体の方針に。
    様々な画像や図表を用いていますが、内容はやや難解です。
    第4章までは興味深く楽しめましたが、第5章が大変でした。
    自分としては、寺小屋と往来物の関係や、国定教科書以前の
    読み書きの教材について、更に詳しく知りたかったです。
    それでも、平安時代に一文不通の貴族がいたり、
    寺小屋師匠がぼやいていたり、地域によって識字の度合いが
    異なっていたりの、記録が紹介されていたのは楽しめました。

  • リテラシー史を考える際、筆から鉛筆という文具の問題、行書から楷書という書体の問題があるという指摘は面白かった。参考文献には興味を惹かれるものが多数あり。

  • 12月16日 毎日新聞 書評
    摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50328507

  • よく日本の近代化の条件としてリテラシー(読み書き能力)の高さということが指摘されるが、本書はそのリテラシーの歴史について「往来物」をキーに読み解いていく。

    往来物の「往来」という言葉が手紙文のやり取りにその起源をもっていたことは知っていたものの、『庭訓往来』『商売往来』などは中世から近世にかけての「教科書」という認識しかなく、「往来」がもつ歴史的な意味と役割には目が向かなかったのである。著者が言うように近代への連続性という視点からしかものを観ていなかったということであろう。

    著者は幕末の日本の識字率が世界一だったという俗説には根拠がないと指摘しつつ、歴史の多面性にあらためて注意を喚起している。また長い歴史をもってきた「書字随伴型学習」「諸事随伴型教育」が現代のテクノロジーによってその根本から変わろうとしており、それは私たちの読み書き能力に大きな影響を及ぼさざるを得ないことを指摘する。読み書きができることが当たり前の社会は決して当たり前ではないことをあらためて気付かされるのである。

  • 識字能力が各年代で「どのくらいだったのか?」ってのはよく分からないらしい。江戸時代の日本は諸外国に比して、高い識字能力だったと言われているけど、読む方はともかく、書く方は日本でも厳しかったようだ。これは書き言葉が言文一致ではなかったからで、候文がちゃんと書けるのは一握りの知識階級だけだったのだそうだ。そんな中で書き言葉の手本となったのが「往来物」で、これは手紙のテンプレート集。これにより生活するうえでの書類のやり取りが庶民にも可能になったのだそうだ。やっぱり言文一致ってすごい発明だったんだなぁ。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/565709

  • 去年から人をインタビューした録音をテキストにしてくれるサービスを使っています。最近はテキストをコピペして入力すると人工音声で読んでくれるのも時々使用しています。使えば使うほど文章品質、音声品質が上がっていくのはAIの時代ならでは。それこそchatGPTやGoogle翻訳使えば、他言語や機械ともコミュニケーションできる時代なのかもしれません。そんな時代の「読み書きの日本史」。先の述べたテクノロジーは実は言文一致体という「読むこと」と「書くこと」が重なっている文体を前提としていて、それが日本で完成したのは1920年ごろであって(はじまりは1887年の二葉亭四迷「浮雲」)、それまでは「話すこと」と「書くこと」は距離の離れたリテラシーだったのです。著者は専門の教育研究という畑から公的な学校教育の始まるはるか以前からの日本人の読み書き能力がどのように育まれていったか、を木簡の時代まで含めて推察していきます。よく江戸後期に日本を訪れた外国人が日本人の識字能力の高さに驚いて、それは寺子屋というシステムにあったという俗説(?)が語られたりしていますが、そもそも寺子屋という総称時代が明治以降のものであって、自分の名前を書ける能力、公的文書を読める能力、公的文書を作成する能力はばらばらで一様には語れないとする冷静な立場です。その民間教育の中で「往来物」というテキストに光を当てているのが新鮮でした。よくドラマに出てくる手習いという行為がどういうものなのか?のイメージがついたような気がしました。また地域社会のために読み書きできるという能力がどう重要であったのか、という視点も新鮮でした。こういう視点の日本史、面白かったです。P144の図4−4近代日本におけるリテラシーの構造という図は出色で、文書操作に関係する「文書界」と漢学、国学、和歌に関係する「文化界」、その両方を貫く読書、その両方に関わる俳諧、「文化界」と「文書界」をバインドする寺子屋教育(往来物)の関係性が言葉って何をなし得るのか?の曼荼羅になっていると思いました。

  • <目次>
    第1章  日本における書き言葉の成立
    第2章  読み書きのための学び
    第3章  往来物の隆盛と終焉
    第4章  寺子屋と読み書き能力の広がり
    第5章  近代学校と読み書き

    <内容>
    日本語は漢字・ひらがな・カタカナと種類の多い上、漢文を基本形としていた古代、当然ながら皆が読み書きの出来たはずはなく、段々に話し言葉(口語体)に近づくものの、言文一致体が明治に登場するまで、時間がかかった国だ。確かに授業で、日本人の識字能力の高さを、江戸時代の「寺子屋」で評価をするが、実態はそれほどでもない(特に女子の能力)ことがよくわかったし、納得した。これに方言の話を入れると、もっと説得力が増すかも知れない…

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