代理母問題を考える (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)

著者 :
  • 岩波書店
3.50
  • (1)
  • (3)
  • (6)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 61
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784005007226

作品紹介・あらすじ

生殖補助医療のめざましい進歩は、子どもをもつ可能性を広げ、リプロダクティブ・ライツなど新しい権利の主張をうみ出した。憲法学や人権論の立場から「代理母」問題にかかわってきた著者が諸外国と日本の現状をふまえ、学術会議報告書の内容を紹介しつつ、現時点での到達点と課題について論じた一冊。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」による代理母出産のルール作りのための提言を下敷きに、人権の概念や歴史を交えつつ代理母出産をめぐるいろいろを紹介する本。

    ジュニア新書は子供に興味を持たせるためのものと、興味はあるけれど難しいことはわからないよという大人がとっつきやすいものとある。
    これは(子供に語りかけてはいるけれど)後者の色合いが強い。

    自ら「中立」と言い切ってしまう前書きに少々警戒したけれど、確かに中立といってもいいかもしれない。
    まんなかの「中立」ではなく、あんなのもこんなのもあるよと並べて見せる「中立」。

    子供を産む権利はたしかにあるけれど、それは他人の体を危険にさらしても許されるほどの権利なのか?
    自由意思とは本当に自由意思なのか?社会的経済的な圧力がないといえるか?
    代理母と依頼者、卵子提供者と代理母と依頼者、法律上の母は誰?どうやって決める?
    など、様々な論点が論じられる。

    検討委員会の検討は、この本を読んだ限りでは本当に検討しているようで、ちょっとびっくりした。
    政治的なすり合わせやイデオロギーの対決ではなく、倫理と論理で真っ向から思考してる。
    提言自体は私の考えと違うところもあったけれど、この根拠にもとづいてこう考えた結果こういう理由でこれを推します、と筋道だてて説明されているので納得できた。

    世論を反映すると言っても世論が無知に基づいている場合もあるとか、法や判例に基づくといってもその法や判例を検討しなければならないのだからそれを根拠にするのはおかしいとか、反論の仕方が論理的に強い。
    いい具合に学術してる。

    ただ、著者が自明の理と考えているらしい部分が少々気になる。
    たとえば貧しい女性を搾取する営利目的の代理出産は処罰すべきだが、処罰の対象はどこまでかという問題。
    依頼者を罰しては生まれた子供を「犯罪者の子供」「犯罪によって生まれた子供」にしてしまい、子の福祉に反する。という意見がでてくるけれど、これっておかしくないか?
    正すべきは「犯罪者の子供」が不利益をこうむる状態であって、子供がかわいそうだから罪に問わないってのは、万引きなんかでもよく聞くけれど論点がズレている。
    結局依頼者も処罰に含める結論にいたるけれど、「犯罪者の子供」という発想自体は問われない。

    あるいは「独身者や同性カップルの代理出産を認めないのは当然」という、これは著者自身の意見と思しき部分。
    戸籍上の同性は婚姻できない。性同一性障害で戸籍を変更したい人は体を変えて生殖能力をなくさなければいけない(これはリプロダクティブライツに反するんじゃないか?よく考えたら「戸籍が欲しけりゃ去勢しろ」ってものすごく怖い考えだ)。
    婚姻できないのも生殖できないのも法律上の問題なのに、それを理由に排除するのっておかしくないか?
    婚姻しないヘテロカップルだって婚姻制度に不備があるせいで事実婚にとどまっているケースがある。
    と思うんだけど、これは多分検討されていない。
    ただ当然ダメだろうと書かれるだけで、ダメな理由の説明はない。

    この本の中で扱われる「子をほしがる人」が「婚姻中の日本国籍をもった夫婦」であるのは典型例を出しているからだという。
    一応「一般的には」「一番多い型を例にとって」とあるし、ところどころで同性カップルの存在にも(マイナス面ながら)触れている。
    それでもやっぱり典型例以外は眼中にないような気がしてしまう。
    少なくとも、この本を読む子供の中に生殖医療で生まれた子やセクマイがいる可能性はまったく見えていないだろうと思う。

    全体としては良い本だけに残念。

  • 法律家だけあって女性の出産をコントロールする(中絶の)権利(それに男性も加わるか)VS胎児の人権を各国様々とレポートし「現在、人類の2/3が(部分的にでも)中絶を許される地域に住んでいる」とする。サウジアラビアでは胎児を流産させるのは殺人罪(死刑)だが、イスラム圏でも甘い国もあるのか?ライフサイクルとして「産む権利」が保証されなければ社会は存続できない、東京に出生率日本最低でも流入があるように、国際移民が人口維持するようになるだろうか。文化ギャップ以上に出産法制の隔絶、韓国のように移民志向の貧国の人権侵害

  • 勉強になった。用語解説もあり、代理母問題を考えるのに便利な一冊と言えるだろう。
    ただ、やはり日本学術会議の提言はパターナリズムに陥っていて、受け入れることはできないと感じる。この問題で第三者がすべきなのは規制ではなく、予防・解決のための環境づくりだろう。

  • 代理母にまつわる世界と日本の歴史的過程、現在をまとめた1冊。
    著者が法律系の人なので、法律に関する話がものすごく多いです。まぁ代理母および代理出産は法的にどう位置付けるかが国によっててマチマチで、日本はまだ法整備もできていないので当然と言えば当然なのですが。
    わたしはこっちのほうが好き。
    「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」
    http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0492-b/index.html

    あと次に読む一冊はこれだなと思った。最近新聞の書評でも話題だし。
    「精子提供 父親を知らない子どもたち」http://www.shinchosha.co.jp/book/438803/

  •  代理母問題についての議論が非常に要領よくまとまっている。本書は岩波ジュニア新書ではなく岩波新書で出した方が良いくらいの出来で、代理母問題を概観するのに非常に使い勝手が良いだろう。

     ただし、本書には隔靴掻痒の感が否めない。というのも、問題の全体像は何となくわかるが、根源的・思想的なレベルでの議論に言及されていないからだ。特に倫理方面の議論の中身はほとんど触れられていないに等しく、読者としては「倫理的に問題がある」というその「倫理的」の内実が知りたいのに、それが一向に見えてこない。
     読んでいて最後までわからなかったのは「リプロダクティブ・ライト」の中身である。権利主体も内容も未だ議論の途上にあるが、国際的に承認されている権利だと言われても、私には鵺のような主張にしか思えなかった。
     もう一つ気になったのが、フェミニズムやジェンダー論である。「代理母ツーリズム」のような、発展途上国の女性の母体を金で買うがごとき行為を批判・規制する文脈では説得的だと感じたが、代理母を依頼する側の話にまでフェミニズムやジェンダー論を持ち出されると途端に話がこんがらがってよくわからなくなった。

     本書を読みながら自分なりに整理してみた。
     まず、この問題で最大限に優先されるべきは生まれてくる子の福祉である。代理母問題が発生する時点では問題に一切関与できず、生まれた後に一方的な不利益を被りうる立場にあるのだから、その子供の利益を第一に考慮すべきであることは当然であろう。
     次に優先して保護されるべきは、分娩という生命・身体のリスクを負う代理母の権利である。代理母が「生む機械」として扱われないよう、営利目的での代理母はいうまでも無いが、非営利目的でも圧力がかからないよう注意しなければならない(例えば、姉が出産できないときに、妹に代理母となるよう周囲の圧力がかかるなどの場合)。
     さて、子の利益(代理母問題が発生する段階では子自体は出生しておらず、途中までは人権享有主体でないから「子の利益」としておく)、代理母の権利はそれぞれ人権論として議論しうる。では、代理母に出産を依頼する父母の「権利」とはいかなるものなのだろうか?
     父母に認められる権利としては、自分の遺伝子を受け継いだ子を残す権利ということになろう。これは、かつてナチスがした精神障害者に強制断種のようなものは認められないという意味でなら自由権(国家からほっといてもらう権利)として理解しうる。子や代理母の権利・利益を害しない範囲であれば、自らの遺伝子を受け継いだ子を残す行為をなす自由(権)を有すると考えられる。しかし、自分の遺伝子を受け継ぐ子を残すことを請求すること(請求権としての人権)は認められない。
     と、ここで引っかかるのが、自分の遺伝子を受け継いだ子を残す権利の享有主体は誰か、ということである。代理母問題では当然のように「女性またはカップル」とされており、「単に自分の遺伝子をもった子が欲しいだけの男性」には「代理出産を利用する『権利』などがありえない」(197頁)とされている。しかし、問題が、自分(達)では子を分娩できない人たちが第三者である代理母に分娩を依頼する構造である以上、その主体を分娩できない女性か男性・女性のカップルに限定することは論理的にはできないはずである。逆から言えば、男性や同性愛カップルも自分(達)では子を分娩できないという点で分娩できない女性や男性・女性のカップルと同じなのに、なぜ後者だけが代理母を利用する権利を享有できるのか。(本書でこの点についての説明がなされていなかったのが、隔靴掻痒を感じた最大の点である)

     あと、もっと根本的に考えると、「子を残す」とは遺伝子を残すのみだけなのだろうか?
     これは私が岸田秀の著作を読んで、日本は血縁幻想が強すぎるという意見に影響されていることもあるかもしれない。しかし、血のつながりも大事だとは思うが、一方で親子関係は親子として過ごしてきた期間の積み重ねによるところも大きいように私は思う。
     今現在、不妊治療で大変な思いをされているかたを否定する気は無いのだが、もし私(達)に子供が授からなかったとしても、私は不妊治療を受けるつもりはない。そのときは、里親になるか養子をもらうか、そういう形で親になる道を模索するだろう。(もっと言えば、日本にもっと里親や養子が一般化して欲しいと思っている)

     少々脱線してしまったが、代理母問題を考える上で、本書だけでは食い足りない。が、代理母問題を考える上で本書は良くまとまっており、資料としては使える良書である。

  • 495.48 ツ 登録番号9506

  • 読みやすくて、わかりやすかった。章のタイトルの挿絵はイマイチ。

全10件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

東北大学名誉教授・弁護士

「2023年 『憲法研究 第13号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

辻村みよ子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×