- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006000424
作品紹介・あらすじ
「である」ことと「する」こと、「タコツボ型」と「ササラ型」、「実感信仰」と「理論信仰」など、卓抜な概念が多くの人を魅了してきた岩波新書『日本の思想』には、「戦後民主主義の思想家」という既成の丸山像を揺るがす力が秘められている。日本の伝統から積極的な価値を引き出そうとした丸山「開国論」を参照系としつつ、丸山真男の果たしえなかった企図を今日において引き継ぐ力作評論。
感想・レビュー・書評
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宮村治雄 「 丸山真男 日本の思想 精読 」
岩波新書 「 日本の思想 」をテキストに 丸山眞男 の思想史学の視点(近代や開国に内包された問題点とその処方箋)をテーマとした講義録
理解するのに かなり苦労したが、知的な刺激に満ちた凄い本だった。次はテキストを読もうと思う
テキストの章立てとは 逆に進む講義だが、最後の講義(テキストでは最初の章「日本の思想」)が 一貫したテーマの結論となっていて、構成も良かった
「である」価値とか「する」価値とか、タコツボ型文化とか ササラ型文化とか、精神的貴族主義とか いやいやながらの政治活動とか、P伝統とかC伝統とか...テーマに的確な言葉使いが素晴らしい
近代日本の思想と文学とマルクス主義のところが 少しわかりにくかったので、テキストで確認する
丸山真男「日本の思想」のテーマは、「開かれた社会」を実現するために「近代」に内包する問題を取り出し、C伝統として新たな精神的基軸を造り上げることだと思う
近代の哲学(物事の判断の仕方)は 「である」価値から「する」価値への相対的な重点移動によるものとし、近代の問題点として 両者の倒錯を取り上げ、事例から論考した上で、それに対する提言までする構成
「する」価値と「である」価値との倒錯の例
*政治の「である」論理の持続
*文化の「する」論理の浸透
倒錯を再転倒させる提言
*精神的貴族主義〜精神的貴族主義とは 自分が自分であることに価値を見出す勇気であり、教養や文化において少数者であることを恐れない
*いやいやながらの政治活動〜いやいやながらの政治活動のすそ野の広がりが政治を支えるとき、「である」と「する」の倒錯を再転倒させ、近代を支える価値原理として再生する
「思想のあり方について」
*開国に含まれている近代の問題点
*開かれた社会→視野の拡大→閉じた社会への回帰という逆説が生じる
*視圏の拡大=ステレオタイプ化されたイメージへの依存が強まる
*近代は 閉じた社会を内に含む
近代の特性
*視圏の拡大
*空間の縮小
*科学的認識→専門化と分業
タコツボ型文化とササラ型文化
*近代の集団は それぞれ一個の閉鎖的なタコツボになる〜そうなると 属するメンバーをすべて飲み込む
*近代が 開かれた社会と結びつくには、横断的な社会的コミュニケーション、知の共同体的意識の介在が重要
*ササラ型社会〜全体性や普遍性の意識を養成した伝統を持ち、近代化の過程の中で横断的なコミュニケーションを保持している(教会、サロンなど)
「近代日本の思想と文学」
知性や思想のあり方が、近代化の方向と内実を左右する
開かれた社会として近代を成立するために〜知性の個性的相違を確認しながら、相違を組み合わせることで包括的世界概念を樹立する
日本におけるマルクス主義の思想的意義
*学問形態の早熟的な専門化傾向に対して、マルクス主義が総合性や構造性の視点を与えた
*思想には人間の人的責任が賭けられていることを教えた〜マルクス主義の思想的転向が 良心の痛みとして残った
*マルクス主義のトータルな世界観
プロレタリア文学を始点とした昭和文学史は〜タコツボ型世界の伝統の中で、それと対立するマルクス主義との出会いとなった
文芸復興期に現れた知的共同体への可能性を救い出すために
*プロレタリア文学者、マルクス主義者、小林秀雄ら文学主義者の思考形態を批判
*個人の思考だけでなく、個人がどこまで自覚しているか定かでない個人を超えた要素(カルチャーあるいは伝統)を取り出す
伝統の意味
P伝統(パターンとしての伝統)
個人によって無自覚に反復され、経験的論証によって確認されるパターンを特質とする伝統
C伝統(価値的なコミットミントに媒介された伝統)
*個人が自己の置かれた状況で自覚的に継承しようとする意志に媒介されている伝統
*思想を伝統化する、思想的伝統を形成するとは、C伝統を念頭に置いている
*C伝統を自ら形成するために、思想が蓄積され構造化されることを妨げるP伝統を問題視することが 「日本の思想」のモチーフ
I伝統(土着的な文化としての伝統)
C伝統の形成を阻害したP伝統の問題
*ヨーロッパ思想の無秩序な流入を天皇を精神的基軸とする方向において収拾した
*近代国家建設は 西欧の制度の輸入として行われるため、天皇制国家の根本的な問題となった〜フィクションの自覚が失われている
第二の開国としての戦後を、開国の歴史的負荷である精神的雑居性の現出する極限状態として位置づけ
明治の天皇制国家は、近代日本の直面した開国状況への必死の対応であったが、近代に大きな負荷を強いた
開国の状況下で、C伝統を構築する代わりにI伝統(天皇)を引き出し、P伝統を増幅させた
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丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)が提出している問題をていねいに掘り下げて解説している本です。
丸山は、思想が立場の相違を超えて共有財産として引き継がれることがない日本の思想状況を批判していました。彼はこうした日本的な思想史のパターンもまた「伝統」ということばで呼んでいますが、著者はこうした伝統を「伝統P」と呼びます。他方、それぞれの個人が自覚的なコミットメントによって選択し継承された伝統は、「伝統C」と呼ばれています。さらに著者は、日本に土着の思想を「伝統I」と呼び、伝統Pと伝統Cの対立を、伝統Iと外来思想との対立にかさねあわせるような立場に丸山が立っていなかったと論じています。著者によれば、丸山の近代主義はいわゆる「欧化主義」として理解するべきではありません。
著者によれば、丸山が擁護した「近代」とは、ヨーロッパの土着思想ではありませんでした。彼は、キリスト教でさえヨーロッパの土着の思想ではないことを指摘しています。ヨーロッパは中近東が生んだキリスト教を取ってきて、みずからの「伝統」としたのであり、ここに「思想を伝統化する」精神のありようを認めることができると著者は指摘します。丸山が批判したのは、日本の思想史にそうした精神のありようが欠如しているということなのであり、日本の土着思想と対比される西洋の土着思想としての「近代」を取り入れべきだと主張していたのではないと著者は論じています。
なお本書では、丸山の「近代」理解と並んで、「開国」というテーマにも突っ込んだ考察がなされています。この問題は、丸山の「古層」をめぐる思想の評価にもかかわるため、『日本の思想』を精読することを目標に掲げている本書では十分に議論が掘り下げられていないのですが、丸山のめざしたおおまかな方向性についての示唆があたえられています。 -
丸山政治学をちと反面教師的に。
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一応T大法学部出身ですが、分からなすぎて自分に引いた。
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丸山の『日本の思想』の解説本。
『日本の思想』自体が非常に分かりやすい本であるから必要ないかもしれないが、より考察を深めたいのであれば、良いかも。こちらも、講演を下に編集したものなので、丸山に負けず劣らず、非常に分かりやすい。