日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察 (岩波現代文庫 学術 231)
- 岩波書店 (2009年12月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006002312
作品紹介・あらすじ
かつて教養主義は人々をとらえたにもかかわらず、歴史的に衰退したのはなぜだろうか。本書は近代日本知識社会のインフラであった「教養」の動態を歴史社会学的アプローチで究明し、「教養」が輝いていた時代の意味を問う。知と文化の未来を考察するためにいま何が求められているか。現代文庫化に際して、現代日本の教養を考察する書き下ろし原稿を付す。
感想・レビュー・書評
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修養主義と教養主義の違いと歴史について理解できた。
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新書文庫
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修養主義、教養主義について明治期から戦後までカバーできる良書。
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京都大学文学部教授を経て、現・帝京大学文学部の筒井清忠(1948-)による、「教養」をめぐる近代日本の精神史。1995年に単行本で出版されたものに、「現代日本の教養」(第5章)を加えて文庫化された。
【構成】
第1章 近代日本における教養主義の成立
第2章 学歴エリート文化としての教養主義の展開
第3章 近代日本における「教養」の帰結
第4章 企業経営文化としての「修養」と「教養」
(付論)修養主義の思想的課題
第5章 現代日本の教養
あとがき
本書は、近代日本のエリート輩出機関たる旧制高校、特にナンバースクールにおける「教養主義」の生成課程を主たるテーマとしている。
江戸期から庶民の中に息づく「修養主義」は、明治前半期の高等学校の生徒にも大いに取り入れられていた。一方でこの時代における「教養」は、後の「文化受容」や「人格の形成・感性」という語義を含んでいなかった。
それが、明治末期、一高であれば新渡戸稲造が校長として赴任した1906年ごろから、様相が変化してくる。この時期から修養主義の中に「教養主義」的な要素が現れてきたという。本書では、修養主義という言葉の中にそれまでの「人格主義」に留まらない、西洋古典中心とした読書を通じた「文化受容」の意味が付与されるようになったと主張している。
そして、続く大正期・昭和初期にかけて「教養主義」のマニュアル化に拍車がかかり、旧制高校のエリート文化が形成されていく。
このような形成過程を経たからこそ、旧制高校におけるエリート文化は大衆的なエートス(修養主義)とは完全に分離できず文化基盤として脆弱であったという点、また大正期以降に隆盛するマルクス主義も文献の購読という観点からスムーズに受容されていったという点は興味深い。そして、前者は戦後の新制大学が「大衆化」するとともに希薄化し、後者はその希薄化とともに廃れた。
全体として論旨は明快であり、テクストの読み込みも不自然さはない。しかし、後半の「教養主義」の復権については、上滑りの感が強い。人文学の研究蓄積のためだけに、教養を求めるのであれば、手段と目的をはき違えていることになろう。著者には、いま一度冷静に、「なぜ教養が必要なのか」ということを考えてもらいたい。 -
本書は主に第3章で、明治末期から現代までの教養の考え方の変遷が述べられている。私にとっての新たな気付きは、著者が「教養主義文化」と「エンタテイメント中心の大衆文化」対比させていることである(130頁)。
また、明治末期からの旧制高校の教養文化から、戦後・1960年代までの高等教育を受けた者の中で醸成された「固有のエリート文化」、すなわち教養主義文化は、トロウのいう高等教育の発達段階説の「エリート」の段階に概ね符合していることもわかった。(著者は表13で高等教育就学率を示しこの辺のことを主張している。)
第5章で大衆文化と教養主義的文化を媒介させる知識人的大衆又は大衆的知識人が増えれば、それが多数派になるはずと指摘している。思うにこれが現代の大学、特に学士課程教育での使命なのではないか。アメリカ型を高等教育を結果的に取り入れたからには、なんとかそれを活用するコンテンツ・システムの運用をすることが課題だと、私の中で仮に位置づけたい。 -
フランスのエリート文化で軽蔑、蔑視されたのは、努力、習得、学習など要するに習得または獲得されうるものの俗悪さであった。
夏目漱石は戦前からよく読まれていた。
かつては教養が前提にあって専門があった。高等教育受容者は世界観を構築するために、尋問額、古典的教養を身につけるものだとされていた。
努力して、人格を向上させることという修養主義の理念の中からそれを文化の享受を通して行うという部分が教養主義としてあとに離脱してしていった。
よほど自立心が強い学生でない限り、現代日本の大学では結局なにも身につかない。